YASUKOの人生珍道中

2006年秋、新しく始まるYASUKOの人生はブリスベン!この先どうなることやら…珍道中

舐めちゃうくらい

2008-08-21 21:00:29 | Weblog

好きなの、私 

ママがね、EMIおばちゃんが送ってくれた、日本の百円ショップで売ってる“黒胡麻プリン”を作ってくれて、食べたんだけどね。

美味しくって、嬉しくって、ボールまで舐めちゃったの 

着てみました ♪

2008-08-21 20:53:51 | Weblog


似合う かな?

確か、私が33歳の時に、母はお月様になってしまってので・・・
21年ものの “セーター”
まだ、何処もほどけたり、破れたりしたないの 

それでもって、とっても あったか~い


今日はお休みだったので、ゆっくりと母との思い出に浸ってました。
こんな事、21年間・・・したことなかった・・・
年とったのかな? 心に、身体に 余裕ができたからかな?

娘と、孫達と 暮らすようになって、余計に母の偉大さを、日々感じています。

今日も、お月様が「まだまだだね~」って、笑っています。


さあ、現実に戻って、“英語の復習” しなくっちゃ 
今日は 「before ・after ・during・ while 」について。
難しかったな~ 


母のセーター

2008-08-21 20:33:01 | Weblog
母は、“編み物” “和裁” “洋裁” “あらゆる手芸” “日舞” “大正琴” “ゲートボール” う~ん、まだあったかな~?
とにかく 『多趣味』 
それも、広く浅く では無く、究めてる!
“洋裁” なんて、紳士物の仕立てまでこなしてしまう、プロ級!!

このセーターは、癌で入退院を繰り返してる時に、編んで(いっぱいいっぱいセーターを編んでた。お世話になったみんなに一枚づつ・・・くらい)、いつも着ていた・・・他界したその春先まで・・・着ていた。
抗がん剤で髪がなくなり、スカーフをかぶって・・・着ていた。
その後、柔らかく、透けるような髪が生えてきて・・・頬がこけて、薄い髪の母が・・・着ていた。
このセーターを見ると、その、薄い髪の母が・・・微笑む。

私は、殆ど母の“形見”を残していない。
そういう物と一緒に暮らすのは 辛い。
だから、みんなに貰ってもらった。
そんな事で思い出したりしなくても、私の心の中は、いつも母の作ってくれた“素適な思い出”が、今も、溢れている。

でも、やはり、このセーターは・・・ず~っと、一緒