YASUKOの人生珍道中

2006年秋、新しく始まるYASUKOの人生はブリスベン!この先どうなることやら…珍道中

青木 新門 (あおき しんもん)

2010-08-26 21:41:04 | Weblog

『納棺夫日記』

映画 『おくりびと』の元になった本だそうです。

グッとくるものがあります。

でも真ん中辺は…知識不足の私には…ちょっと難しかった。


また、拾い出してみますね。

『今日の医療機関は、死について考える余地さえ与えない。……
死に直面した患者にとって、冷たい機器の中で一人ぼっちで死と対峙するようにセットされる。しかし、結局は死について思うことも、誰かにアドバイスを受けることもなく、死を迎える事になる。
誰かに相談しようと思っても、返ってくる言葉は 「頑張って」の繰り返しである。……
ある末期患者が「がんばって」と言われる度に苦痛の表情をしているのに気づき、痛み止めの注射をした後 「私も後から旅立ちますから」と言ったら、その患者は始めてにっこり笑って、その後顔相まで変わった。』

『京都に行こうと行き先を決めるから、京都行きの切符を買うことが出来るのである。でたらめに切符を買ってるうちに、偶然京都に行き着いたなどということはありえない。
今日の既存宗教教団などに見られる混迷は、行き方の会議ばっかりが忙しく、行き先が明確でない所に問題があるようだ』

『人は、自分と同じ体験をし、自分より少し前に進んだ人が最も頼りとなる。……
末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉も要らない。綺麗な空のような瞳をした、透き通った風のような人が。そばにいるだけでいい。』

『悟りといふ事はいかなる場合にも平気で死ぬることかと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事はいかなる場合にも平気で生きている事であった=正岡子規』

『災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬる時節には死ぬるがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候=良寛』

まだまだまだまだいっぱいあった。
私は良寛様の言葉が好き 
正岡子規の言う事に同感 

私だって、この年になれば、やっぱ 『死』って事を考える。
正直、怖かった。
今も 怖い。
でも…なんか…楽になった