YASUKOの人生珍道中

2006年秋、新しく始まるYASUKOの人生はブリスベン!この先どうなることやら…珍道中

△ボトル

2010-09-24 20:59:36 | Weblog
昨日、スーパーで見つけて、
お洒落だったから買ってみました。

350ml 入って、セールで 2ドル49。
味は3種類あって、私は “グラニースミス(青りんごの名前)”にしてみました。
スッキリとしておいしかった けど…
普通のとこれと言った違いのないりんごジュースが…この値段…ねえ
ボトルのデザイン料? 


2010-09-23 18:51:55 | Weblog
昨日の朝、着替えをしている時に、急に閃いた
(今日は9月22日、お父さんのお誕生日だ  )

今まで、父親の事なんて、ほとんど思い出したことはなかったんだけど…
…私も…年かな~
父は明治39年生まれだから…生きてたら100歳を越えてる 

「たまには親を思い出して、親というものを考えてみなさい!」と言われているようで…


私は、両親にとって、遅い子で一人っ子なので、本当に大切に、
昭和29年生まれと言うと、まだまだいろいろと不自由な時代に、何の不自由も感じないで育てて貰いました。
今になってあれこれ思い出してみると…親的にはあっちこっちに不自由だらけだったんだけど ね。

そして、私は両親から注意はされても、叱られた事がなかったような気がする。
そんな事に、今になって気がつくなんて…

なのに私は、いっぱいいっぱい2人の娘達を叱りました。
手もあげました。

そんな私の子育てを、どんな思いで私の両親は、見ていたんだろう…?

母は、どんな時にも私の考えを優先してくれた。

私が子供を叱っている時には、決して口を出さなかった。
そして、後から、子供達に叱られた理由を説明したり、何か提案したりしてくれていた。
その時にも決して私を批判しなかった。
子供の面倒を見ているときに、判断に困ると必ず 「あなたたちのお母さんに聞いてみようね!」と、私に判断をさせた。

それは、私の子供だから、母ではなく、私が思うように育てなさい。
そして、自分の子供には、自分が責任を持って接しなさい。
という気持ちからだったと思う。

逆に義母は、私が子供達を叱っている時に
「やっちゃん、わしが謝るで、許してやっとくれん。」と、割って入る人だった。

何か子供たちが良くないことをしていると
「これこれ、こういうふうで、それはやっちゃだめなのよ。」が母。
「お母さんに怒られるで、やめりん(やめなさい)。」が義母。


第一線の子育てを退いて
ばあちゃん役の今、娘の子育てを見ていて、
本当によく母の事を思う。

(こんな時には、母だったらどんな風にしたんだろう?)
(ああ、あの時、母はこんな気持ちだったんだ~)って。
いろんな場面が思い出される。
どんな場面でも、いつも母は、いえ両親は私の強い味方 だった。


私はね、ちょっと違ったばあちゃん感 を持ってる。
よく「孫は可愛くて可愛くてしょうがない。ついつい甘やかしちゃうのよね~!」という言葉を聞く。

でも、私は絶対に自分の娘たちが可愛い。
可愛い娘達の子供だから、ついでに孫も可愛い 
 
私って、冷たいのかな~?(うん、良く “冷血人間”って言われたよ!)

だってさ~、孫達は、娘たちが可愛がってあげればいい事で、
私の娘達は私が可愛がらなきゃ、 ね。

なんか、話がそれそう…

で、この10年、ばあちゃんしてきてみて
私の周りにも、だんだんばあちゃんが増えてきて…思うんだけどね。

自分の子供達の子育てに、手助けはいいけど、口出しはやめたほうがいいんじゃない?
それも、孫達の前で自分の子供達を叱る(意見する?)のは絶対に駄目だと思う。
それって、自分の子供達を孫達の “親”って認めてないことになるんじゃない?
ってことは、自分の子育てが駄目だったって事 なんじゃん?

私は、古いって言われるかもしれないけど、
「何があっても、親が一番!」って子供に思わせる事って、大切だと思う。
絶対に逆らえないくらい、威力のある “親” が必要だと思う。
親が白だって言ったら “白”
間違ってても、その責任がとれる “親”
躾まで他人任せにしないでね。

躾もしないで教育なんて出来ないよ。

もし、自分の子供の出来が悪い なんて思う親は…自分の(親の)出来が悪いのよ。


またまたYASUKOの辛口トークになってしまったね 


生まれたときに “親” として生まれてくる人は、一人もいない。
自分に “子”ができて、初めて “親”という呼び名をもらい。
子供と一緒に “親” も育つ。
子供に “親”にして貰うんだよね。

ばあちゃんも同じ、 “孫” ができて初めて ばあちゃん。

だから、私もばあちゃんだから!って油断しないで、自分を磨き続けないと ね 


母は、白と紫そして青い花が好きだった