はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.286 クラウド・コレクター

2014-10-06 22:08:02 | 



タイトルに魅かれて、めずらしく衝動買いした小説

書かれたのが1998年で文庫化が2004年。
クラウドという言葉をよく聞くようになるずっと前の小説だったことは意外。

なんだかヘンテコリンな話で、言葉遣いとか、構成とかヘンテコリンに凝っていて、
なんとなく僕の弟が書くヘンテコリンなちょっと下ネタの多い小説にも似ているところがあるなとか思いながら一気に読み切った。

パスポートナンバーの秘密は面白かったので、
「さっそく息子に謎を解いてみて」とやってみた。

せっかくなので、みなさんも謎を解いてみて。

142857
285714
428571
571428
714285
857142

さあ、これらの数字はどんな関係があるのでしょうか?

うちの息子の答えは20点くらいかな。
まったく見当違いじゃなかったけど、
深みが足りなかった。
息子の答えはこう。
「出てくる数字が同じ。」

まあ、そうなんだけどね。
並び順も一緒だよね。
そして小さい順に並んでいる。

でもそれだけじゃまだ足りない。

答えはこう。
142857×1=142857
142857×2=285714
142857×3=428571
142857×4=571428
142857×5=714285
142857×6=857142

どうですか、すごいでしょ!

ちなみに7をかけると999999になる。
このネタも小説では使われている。

そしてうちの子はさらに、8をかけ、9をかけ、10をかけ、
142857×8=1142856
142857×9=1285713
142857×10=1428570
これも規則性あるな、なんてやってるから、
なかなかやるなとか思ったりして。


Vol.279 こころ

2014-02-11 12:23:13 | 


小学校、中学校の同級生に、ちょっとセンスの好い奴がいて、僕の音楽のルーツはおそらくそこから始まっている。
大人びていて、お洒落で、女の子にもモテて、ギターが上手な奴だった。
そいつが聴いていたので僕もRCサクセションを聴くようになった。

RCサクセションに魅せられて、その音楽だけではなくて、ロック雑誌の忌野清志郎のインタビュー記事やラジオ出演などを追いかけるようになり、清志郎に影響を与えた、あるいは清志郎が好きなミュージシャンにも清志郎同様に興味を持つようになった。
そして、遡ってストーンズやジョン・レノンを聴くようになったのだ。

高校生の時にうじきつよし率いる子供ばんどのコピーバンドを初めて、子供ばんどのルーツを追いかけてグランドファンクにたどりついた。

高校の時の若い現代国語の先生に勧められて大江健三郎を読むようになった。
大江の小説に時々登場するウイリアム・ブレイクに興味を持って本屋で詩集を探し続けたが田舎の本屋のどこにもブレイクの詩集はなかった。(今ならAmazonで簡単に入手できる)

本でも音楽でも興味を持った作家やアーティストに傾倒して、一体感を求めるというか、共感を深めるために、その人物が好きなものにまで興味が出てくる。
好きな人を追いかけているうちに、知識が広がったり深まったりする。

そして学びとはそういうものだと僕は思う。

姜尚中の「心の力」を読み終えて、
まずは「こころ」とトーマス・マンの「魔の山」を読まなきゃな、と思った。

トーマス・マンはヴィスコンティの映画を観たことから「ヴェニスに死す」を読んだことがある。
「ヴェニスに死す」は薄い本だったので「魔の山」も薄いだろうとたかを括っていたらば、文庫本で上・下巻に分かれていて、なおかつそれぞれがそこそこにボリュームのある本だった。

僕は「こころ」から読むことにした。

姜尚中が初めて夏目漱石の「こころ」を読んだのは17歳のとき。
おそらく僕が「こころ」を初めて読んだのもその頃だ。
中学生の夏休みに太宰治の「斜陽」で宿題の読書感想文を書いた記憶があるが、「こころ」で感想文を書いた記憶もあるので、もしかしたら中学生のときだったかも知れない。

そして次に読んだのは、松田優作主演で森田芳光が映画化した「それから」を観た後日。
僕は大学の2年生で20歳になったかならないかの純情な頃。僕自身、恋に悩んでいた。

夏目漱石生誕140年の2007年にちなんで本木雅弘主演、久世光彦監督で製作されたテレビドラマ「夏目家の食卓」が2005年にオンエアされ、オムニバス映画「ユメ十夜」は2006年に上映された。

世間が夏目漱石で盛り上がっていたので「夢十夜」「我が輩は猫である」「坊ちゃん」などを読んだけれど、このときは「こころ」は読まなかった。

つまり、今「こころ」を読むのは実に28年振り。
もとより、あらすじも曖昧にしか覚えていなくて、以前読んだ時にどんな気持ちになったのかは忘れてしまったけれど、今と違う感想を持ったことは間違いない。
自分自身で実際に父親の病気や死を体験している今とでは、感じることもリアリティも違ったはずだ。

「心の力」とは何なのか
と姜尚中が問う。

僕は考える。

果たして「心の力」とは、
繊細さ、敏感さ、気がつくこと、気が利くこと、なのか、
それとも逆に、
動じないこと、鈍感さ、無邪気さ、切り換えられること なのか。

竹のようなしなやかな力なのか、攻撃的な力か、忍耐力なのか、粘るような強さなのか、
ばっさりと潔い力なのか。

「心の力」が強いのは、私なのか、先生なのか、それともKなのか。

姜尚中が言う平凡、真ん中、凡庸の偉大さとは何か。

死なずに生き続けることが「心の力」なのだろうか。
僕にはまだ答えは見つからない。

では「心」とは何か

精神、こだわり、思いやり、それともアイデンティティのことか。

どちらかというと無頓着で陽気な自分には「鬱」なんて無縁のものと思っていた。
ところが「心」が塞いでいるのを認識していることがあり、そんなときは自分でも驚く。

技巧で愉快を買った後にはきっと沈鬱な反動があるのです

と先生は私への手紙の中で言う。

沈鬱な反動、なのかも知れない。
楽しい、幸せな時間を過ごす程、沈鬱な反動が激しくやってくる。

時代に置き去りにされるということもどういうことなのかわからないけれど、
子どもの頃の幸福なシーンが記憶の中にあって、記憶の中での登場人物は大切な人も含めて、身近な人も、タレントや著名人も、現実にはすでに失われて不在である。それが過ぎてしまったことでありもはや取り戻せない時間であると認めると、何か恐ろしく取り返しのつかないことになった気がして、投げやりで寂しい気持ちになる。
そして、寂しがっている今このときでさえも、容赦なくどんどん過去となっていく。
だからと言って死のうとは思わないけれど。

「こころ」とはなんだろう。

Vol.265 幸福論

2013-06-01 23:32:45 | 




世界的にブームだったのだと思うが、僕も例にもれず、
ここ何年かは幸福ブームで、ずっと幸福について考えている。

映画「happy」を観て(大学でも上映会をした)、
ショーペンハウアーの「幸福について」を読んで、
「天才バカボンの幸福とは今日もおひさまが昇ること」を読んで、
そしてアランの「幸福論」を読んだ。

そしたら案の定だけど本が付箋だらけになった。

「幸福論」を読んで感じたこと。

すごく大雑把に言えば、幸福は自分次第ということ。

どんなひどいことがあっても幸福でいることはできるし、
どんなに人から幸せそうに見える人でも不幸な場合もある。

「幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだと思う。」

「自分の不機嫌に身をまかせる人は、たちまち不幸で意地悪くなる。」

そういえば、意地悪な人って不幸なんだと思う。

「必要なのは、信じ、期待し、微笑することだ。」

そして残念なことに不機嫌は伝染する。

同じようなことは関根勤も「バカポジティブ」に書いていた。

例えば朝起きて妻が不機嫌だと子どもも不機嫌になって、
自分も不機嫌な気持ちで家を出る。
そして職場で自分の不機嫌をまき散らす。
妻の不機嫌がいったい何人の人を不幸にするのだろう。

同じように上機嫌も伝染する。

妻が上機嫌だと、僕はすごく幸せで、
その幸せを職場中に笑顔でまき散らす。
そのおかげでどれだけの人を幸せにすることができるだろう。

アランは「上機嫌は贈ったり、もらったりすべきものだ」と言っている。

「上機嫌こそ世の人すべてを、
 そして何よりまず贈り主を豊かにする真の礼儀であり、
 交換によって増大する宝物である。」

まあ同じことを言葉を代えて言っているだけだけど、

「自分の不幸についてけっして他人に話してはいけない」

「自分について愚痴をこぼすことは他人を憂鬱をするだけ。」

愚痴を言い、悪口を言う時の顔は誰でもが醜い。
だから悪口ばかり言い続けている人は後天的にブサイクになる。

逆に上機嫌でいられる人は年齢を重ねる毎にどんどん美しくなる。

「幸福であることが他人に対しても義務であることは、
 じゅうぶんに言われていない。
 幸福である人以外には愛される人はいない。」

「幸福になろうと欲し、それに身を入れることが必要である。」

望めば必ず幸福になれるし、
なろうと思わなければ幸福にはなれないのだ。

そして今、僕はかなり幸せだ。

Vol.264 もったいない主義

2013-05-19 05:30:52 | 



少し前になるが、
NHKで放映された小山薫堂氏と佐藤可士和氏の番組を見た。

珍しく妻と一緒にテレビを見たのだけど、
妻は佐藤可士和氏の徹底した整理が性に合うらしい。
うちのリビングの真っ白い本棚には扉がついている。
僕は自分の読んだ本を見せたい人だが、扉があった方が圧倒的にスッキリした感じになる。
もちろん妻のセレクトだ。

佐藤可士和氏の新丸ビルで無料の講演会を聴講したことがある。
本も2冊持っている。
「佐藤可士和の超整理術」と「佐藤可士和のクリエイティブシンキング」。

一方、小山薫堂氏には惜しいところで会えなかった。
以前僕が勤めていた会社のイベントで小山薫堂氏のBSの番組を絡めた企画があって、
僕が担当するはずだったのだけど、
企画が動き出した直後に僕が会社を辞めてしまったのだ。
企画はうまくいったらしく、番組は僕も拝見させていただいた。
それ以来、小山薫堂氏の名前には敏感に反応している。

薫堂氏の「もったいない」というテーマは、
ムダ遣いがもったいないということではなくて、
せっかくあるのに使わないことがもったいない、という発想が多い。
むしろムダなことを推奨している。
一見ムダに見えることも、クリエイティブな観点から見ると有意義なものなのだ。共感。

超整理派の佐藤可士和氏とムダ推奨派の小山薫堂氏。

「僕は薫堂派かな」
というと、
妻は
「私は可士和派」。

薫堂さんも可士和さんも実は僕とほぼ同年代。
すごい人はすごいなあと思う。



もったいない主義
-不景気だからアイデアが湧いてくる!(幻冬舎新書)

小山薫堂氏の会社「オレンジ・アンド・パートナーズ」
その受付はなんとパン屋になっている。
パン屋で働きながら受付を兼務している女性。
社員を管理するにあたって、
仕事の質を変えて同質の仕事をさせないという配慮がある。
同じ条件で仕事をさせるとライバルになってしまう。
その人にしかできない仕事をさせる。
「なんとなく異質な存在」がいることでほかのスタッフの刺激や癒しになるのだそうだ。

なるほど、参考になる。


イチローのお母さんのつくるカレーの話。
ブランディングの定義。
「こんなふうに感情移入をさせるのがブランディングである。」

なるほど、心を動かさなきゃね。


大学のキャリア支援について。
今の大学は学生の就職率を上げることを非常に重視している。
だからいわゆるキャリアサポートとか、就職のためのカウンセリングを手厚くして、
「この会社へ行くならこれを勉強しなさい」「勉強したらこの企業に入りなさい」と
進むべき道筋をつけてくれる。
大学での過ごし方もどんどんムダがなくなっていく傾向にあるようだ。

なるほど、遠回りや失敗だってその人のリソースだもんね。
よかれと思ってそれを取り除いたら、
つまらない人生になっちゃったってこともあるかも。


映画「おくりびと」の話。
号泣の涙ではなくて、雪解けのしずくのような、
自分の中で凝り固まっていた感情が溶け出してきたような涙

なるほど、最近そんな経験しました。



神様にフェイントをかける、ということ。

なるほど、そんな考え方もあるね。


自分が何か失敗したときにはチャンスだと思おう。
謝り方ひとつで見直されたり、深く理解されたりすることもある。

なるほど、じゃあ僕なんかチャンスだらけだ。


「閾値(いきち)」
刺激に対する慣れの度合い、という感じかな。
幸せの閾値を下げれば、幸せをいつも感じられるという話。
小さな幸せをたくさん積み重ねて
「プチハッピーのミルフィーユ」。

なるほど、大きな幸せばかり期待していたら
小さな幸せを見逃してしまう。
確かにそれはもったいない。



電車で見かけた本田直之氏の本を読んでいた人に名刺を渡した話。
薫堂氏から声を掛けられて、本田氏にもアプローチするチャンスであるし、
そこにいろいろ可能性があったのに、
その人からはとうとうメールが来なかった。
「その彼は、目の前に”どこでもドア”があったのに、開けなかったんですね。
なんてもったいないことをしたんだろう」

なるほど、「目の前の”どこでもドア”」
オモシロい表現だよね。

目の前にあるどこでもドアに自分はきちんと気がついているだろうか、
とキョロキョロしてしまった。


なるほど、
って読みながら何回言っただろう。

ちょっとだけ紹介してみた。
気になる人は本を読んでみてね。

Vol.258 まずいスープ

2013-03-31 22:30:02 | 


僕はスープ好きなので、タイトルに魅かれて読んでみた。

感想を言うと、
登場人物が個性的過ぎて、
漫画のようだ、
と思った。

僕自身は
ルールを守ることを尊重する、
極めて常識的で計画的な人間で、
この小説の登場人物のように怠惰で自由で成り行きで生きていける人たちには
基本的には共感しない質なのである。

だから、
漫画を読むように、
自分とはかけ離れた人たちの話、
と思って読んだ。

そんな中で、
僕が付箋を貼った箇所、
つまり、なんとなく共感したシーンがある。


「マイナス人間とマイナス人間が掛けあわさって、
 どうでもいいプラスの空気が生じているみたいで、
 飲み込まれてしまうと結構居心地が良い。」

そんなこともあるか、
なんてね。