はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.318 ちょっと今から仕事やめてくる

2017-06-30 20:56:48 | 映画
観たかった映画の2本目。

土曜出勤の振休で観た。

大学を卒業して、僕が最初に就職した会社は残業の多い会社だった。
毎日仕事が終わるのが終電前の11時ころだった。
時には完徹の日もあった。
朝9時が定時なのに7時30分から会議があったり、
前の日に終電が間に合わなくてタクシーで帰っているのに、
翌朝9時に出社できないことで怒られた。
10時過ぎから飲み出したら終電はなくなる。
タクシー券は使い放題だったけど、
睡眠時間が短くてやはり翌日は遅刻で怒られた。
土曜日は交代で休むことができたが、
交代でということはつまり休みづらいということで、
実質は日曜日しか休みがなくて、
その大切な日曜日が会社行事の運動会やゴルフで潰されても振休はなかった。
当時はそんな言葉なかったけど、
もしもあったならやはりブラック企業と言われたのではないだろうか。

身も心も疲れ果てていて、口の中はいつも口内炎ができていた。
味覚がバカになって、ご飯にソースやマヨネーズをかけて食べていた。
世の中ってこんな辛いのかと思って、
病気になったり、交通事故で怪我とかしたら会社に行かなくても良いのかな、
なんて、真剣に考えるくらい心が病んでいた。

父親が突然倒れて、母親から泣きながら電話がかかってきたのに、
仕事の段取りをつけて引き継ぎが済むまで帰れなかった夜には、
さすがにこの会社は辞めなくちゃならないなと思った。

会社を辞めることには罪悪感があったし、
途中で逃げ出す自分が嫌だったが、
同期入社の半分くらいが退社すると、
逆にいつまでも会社にしがみついている自分がバカに見えてきた。

転職したら、次の会社は天国だった。
もっと早く辞めたら良かったと思った。
病気にならなくて、交通事故にあわなくて、死ななくて良かった。

今ではピンチになることも少ないし、
どんな困難がやってきても何とかなるし、何とかできるが、
20代の頃はピンチの連続で、
何もかもがピンチに感じていたことを思い出した。

ましてやパワハラ上司やパワハラクライアントに出会ってしまったとしたら。
映画の部長のような上司はさすがにいなかったが、
とはいえ程度は違えど、同類の上司がいないわけじゃあなかった。

忘れていたいろんなことを思い出すことができた。
若い人たちを応援する立場のキャリアコンサルタントとしても観ておいて良かったと思う。

生きていれば何とかなる。
人生そんな捨てたもんじゃない。

自分の命は自分のためだけにあるんじゃない。
自分を大切に思ってくれている人がいる。
自分を必要としている人がいて、
自分がすべき仕事がある。

良い映画だった。

Vol.317 光

2017-06-30 20:10:39 | 映画
観たい映画が3本あって、
それを手帳に書き出したら全部邦画だった。

上映終了しそうだったので思い立ったその日に観に行ったのが河瀬直美監督の「光」。

視力が失われていくカメラマンと視覚障害者のために映画の音声ガイド原稿をつくる仕事をしている女性との物語。

僕は裸眼では0.1の視力もなく、
超がつくど近眼に加え、最近は老眼もひどい。
近いと読めないので文字を離すと、今度は小さくて読めない。
暗いとなおさら読めない。
夜にダイヤル式の自転車の鍵を開けられなくて困ったこともある。
しかも、30代の前半には左目が網膜剥離で網膜が半分剥がれて手術をしたこともある。

そんな僕なのに、
目が見えなくなることは想像したことがない。
いや怖くて、想像しないようにしている。

白杖の人が街を歩いていて、
それも若い人だったりすると、
気の毒だなと思うけれど、
まさか自分が盲目になるなんて考えられないから、
自分ごとで考えたことはない。
自分ごとじゃないから、うわべで気の毒に感じるだけで、
危険な瞬間に即座に行動することができないし、
電車の座席を譲ることにも躊躇してしまう。
そんな自分を心から恥じる。

視力がなくなるってどんな感じなのだろう。
瞼を閉じても瞼を透かして明るさを感じることができるが、
その光さえ感じられなくなるシーンが映画中にあった。

目が見えなくなったら家の外に出るなんてとても怖くて無理だ。
信号を渡ったり、電車に乗ったりなんて恐ろしすぎる。

カメラマンとして成功しながら視力が失われることで全てが失われてしまう。
それをかろうじて繋ぎ止めている大切な古いカメラ。
その大切なカメラを捨ててしまう決心。
カメラを捨てることは視力が失われることを認める、受け入れるということで、
受け入れることによって、きっと先に進めるのだと思う。
でも、きっと認められないし、捨てられないな、自分なら。
先になんて進めなくても良い。
そこで終わりでいいやと思うかも知れない。

もしも視力がなくなったとしたら、
夢は見るのだろうか。
夢の中で視力が失われないのならば、
心の目でものごとを見ることができるのかも知れない。

心が行ったり来たり、
複雑な思いで映画を観ながら、
大切なものってなんだろうとか、
それが失われるのってどういうことなんだろうとか考えた。

目が見えなくなっても、子どもの顔や妻の顔をずっと覚えていられるのだろうか。

良い映画だった。