次のミーティングまで少し時間があいてしまって、どうして時間を過ごそうかと思っていた折、偶然目に入ったのが「月映展」の案内。
日曜日が十五夜で、「月」という文字に脳が過敏に反応したのかも知れない
「月映」と書いて「つくはえ」とふられたその読み方にも反応した。
「つくばえ」じゃなくて「つくはえ」という発音が儚くうつくしい。
「やばい」という言葉一つで多くの意味を表現する若い人たちの語彙の少なさを嘆く自分たちだって豊かな表現を失っていることを泉鏡花の小説を読んで気が付いた。
だから、日本語の表現や美しい言葉にも過敏になっているのだと思う。
「月映」とは田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎の3人の美学生が出版した木版画と誌の作品集。
病につき死に怯える田中恭吉。
妹の死に傷ついた藤森静雄。
木版画に描かれた人たちは誰も俯いていて、生と死の儚さを連想させる。
そえられた手紙や作品名の日本語がうつくしい。
展示室の監視のスタッフが年配の方々で何もせず、黙って俯いている。
それすらも演出なのかと思ってしまう。