はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.215 グスコーブドリの伝記

2012-07-27 21:10:34 | 映画



子ども二人と「グスコーブドリの伝記」を観てきた。

原作はあらかじめ読んでおいた方が良いと思う。いきなり見ると流れが唐突だったり、現実離れしたことが多すぎるかも知れない。あらかじめ原作にふれておくと、登場人物であるとか、町や火山や場所の名前に親近感が湧いて関心の持ち方が変わる。

我が家では、原作を子どもたちに読み聞かせしていたのだけれど、映画を観る今日までには読み切れなかった。
しかし、長男だけは自分で最後まで読んでいたらしい。

何を象徴しているとか、どんな意図があるとか、余計なことはまったく考えずに感じるままに観るべきだと思う。
大人はいろいろと余計なことを考えてしまう。子どもは素直に受けとめる。
教訓的なことや倫理的なことが描かれているのかも知れないけれど、窮屈に一つの方向からのみ捉えてしまうと折角のイマジネーションが縮こまってしまう。
大いに心を解放して観てほしい。

Vol.214 真珠の耳飾りの少女

2012-07-04 06:13:04 | 芸術


フェルメールの有名な1枚の絵がやってきた。

マウリッツハイス美術館展。6月30日~9月17日の開催。
主催者はこれから力を入れて告知をしてくだろうし、テレビやニュースなどで取り上げられて入場者数はどんどん増えていくだろう。
開催開始間もない、雨天の、本来は休館日である平日月曜日。つまり、7月2日・一昨日、さっそく上野の東京都立美術館へ足を運んだ。
開場は9時30分だと思っていたのだけれど、9時10分過ぎに着いた時にはすでにお客さんが入場していたので、9時から開場していたのかも知れない。

フェルメールの絵は世界で30数点しかない。じゃあ、全部見ることを目標にしよう!と思って12年経った。
今回見た絵を数えて14点。あと20数枚というところだ。
観た絵のタイトルと、何処で何展で観たのかを記録している。絵のタイトルは似ているものが多く、同タイトルの別の絵があったりもする。
最近は絵はがきを購入してファイルしていて、見た絵がすぐにわかるようにしているけれど、最初の頃に絵はがきを買っていないので不完全な状態である。

さて、マウリッツハイス美術館展の感想。
思った通りであるけれど、全体的に絵の点数は少なめだった。
フェルメールの絵は「真珠の首飾りの少女」の他にもう一枚「ディアナちニンフたち」がある。この絵はフェルメールの絵が一気に7枚観ることができた2008年の「フェルメール展」の時にも展示されていた。構図はフェルメールらしくない感じだが、青と黄色と光りと影がフェルメールらしい作品である。
フェルメール以外ではレンブラントの作品も数点展示されている。
絵を観ていて、絵も写真と同様でピントのシャープなものとソフトフォーカスのものがあると思っている。レンブラントの絵やフェルメールの絵は割とピントが甘めである。
人物以外の、例えば金皿などはピントがきていることが少なくない。ディアナとニンフたちの作品も足下のお皿にピントがある。

静物画を観ていたら「贅沢な食卓」というタイトルが付けられていた。
静物画って例えば僕らが料理の写真を撮ったりしているのと同じ意図だったりするのかな。最近、料理をつくって写真を撮ることが多いので、静物画にも興味を持って参考にすべきだなとしみじみ思った。

空いている日、空いている時間を狙ってきたのであるけれど、例の1枚の展示コーナーだけは列ができていた。列に並んで見終わるまでに20分くらいだろうか。並んでいる途中でも絵は観られるから、それほど苦痛ではない。
絵は思った以上に小さくて、絵の中の真珠の耳飾りは思った以上に大きかった。この絵画は特定の誰かを描いた肖像画ではなくて「トローニー」なのだそうだ。トローニーってはじめて聞いた。流行るかな。

「真珠の耳飾りの少女」の展示コーナーだけは混雑していたけれど、フェルメールもう一枚「ディアナとニンフたち」もレンブラントの作品も割とゆっくり、じっくり観ることができた。

Vol.213 映画「happy」

2012-07-02 06:57:02 | 映画


「happy公式サイト」

映画「happy」。
ようやく観ることができた。

ご存知のようにこの映画は、自主上映会ができるように7月から映像の貸し出しを行なっている。フェイスブック上などでそうした上映会の案内をいくつか目にすることができるが、僕は昨日7月1日に開催された金沢工業大学K.I.T.虎ノ門大学院の自主上映会&ワークショップに参加してきた。

幸せとはなんだろうか、わかりやすくするためには言葉が必要だが、言葉にするとカタチが変わることもある。

幸せとは「コントラスト」である。
自己の成長、親密な交流関係、コミュニティへの貢献。
幸せになるには他の人が持っていないものを自分が分けてあげればいい。
本当の自分に気がつくのが幸福の鍵。
持っていないものを求めるのではなくて、持っているものに感謝すること。

映画に出てくる言葉はどれも正しいけれど、どれも絶対ではない。
「幸せとは何か?」これは1つの答えを見つけるための映画ではない。
例えば、幸せになるためには瞑想が必ず必要かというとそういうことではない。ボランティア活動をすれば必ず幸せになれるかと言えばそれも違う。
上映会を開催する時にワークショップを一緒に実施することは、特に1つの正解を誰かに教えてもらう教育を受けてきた学生にとっては効果的なのだろうと、実は自分たち主催での自主上映会を考えている立場からはそう感じた。

映画の感想を少し。
コメディアンで教育者のマイケル・プリチャード氏が子どもたちに話をするシーン。彼は言葉だけで人を感動させ、そして人の心を動かす。その思いが本物だからなのだろう。涙を堪えるのが大変な時間だった。そして幸せって「愛」だなとベタだけど思った。
映画の中でダライ・ラマ14世が、人間は生まれると母親のおっぱいを飲もうとする。そこには絶対的な信頼がある。つまり「愛情は生まれた時から、我々の血の中にある」と言っている。
僕たちは愛によってできているんだ。そう思うとなんか好い気持ちだ。
人間は誰もが神に愛されていて、誰かがあなたを大切に思っている。大切に思ってくれている思いを受けとめて自分の人生を大切に生きることも「To be happy」への道だと思った。その対局として映像に出てきたのは、日本のビジネスマンの過労死の問題。死ぬまで働くなんて意味がわからない、おかしいと思ったらさっさと会社を変えれば良いのにと今では思うけれど、そんな自分だって、大学を出て就業時間が長い会社に勤め、身も心もボロボロになりながら働いていて、それでも辞めるまでに5年間の時間がかかった。
これも誰のセリフだったかメモを取らなかったけれど「幸せはスキルの1つ」と映画の中で言った人がいた。幸、不幸はアンコントローラブルなことではない。スキルによって幸せになることができる。僕には、なぜか一番心に残った言葉になった。