これから車に乗ろうとしたところで母親から電話が掛かってきて、妻が電話に出た。
話しながら、いつの間にか妻が泣いているので、間にあわなかったのだと思ったがそうではなかった。
母親が心細くて泣いていたので妻もつられて泣いたのだ。
どちらにしても猶予はそれほどない。
東北道を走って、実家へは行かずにそのまま県立の病院へ直行した。
父は穏やかではないがそれほど辛そうでもなく横になっている。
指に器具がつけられ、脈を測っているのか絶えず、ピーピーとなっている。
弟はさっき帰ったのよ、と母親が言った。
ドラマや映画などでは最後の時に思い出を語りあったりするシーンがあるが、父の場合は痛さと辛さでそれどころではなかった。
昔、父から聞いた話を雑誌に投稿して掲載されたものが単行本化されたので持ってきていたのだが、そんな話をするどころではなかった。
まだ幼稚園にあがっていない長男を連れて近くのショッピングモールへ下着など必要なものを買いに行く。
長男がトミカが欲しいというので「じいじに買ってもらおうな」と言って事後承諾で買った。
そしてそれがじいじに買ってもらった最後のオモチャになった。
検査やら何やらで日中が過ぎ、夕方になった。
先生がやってきてモルヒネを打ちましょうと言った。
いよいよかと思った。
僕は実はなんとなくわかっていた。
たぶん父は今日、逝ってしまう。
今日なら僕もいるし、母もいるし、僕の妻も、父の孫もいる。
もうすぐ弟に子どもが産まれるので、そこまで頑張ってほしいとも思ったけれど、目の前にいる父の姿を見て、僕はもう頑張れとは言えない。
暗くなって、母が家に帰ると言う。
母も看病疲れでまいっている。
そして、少し我がままも言う。
母は明日病院に持ってくるものを紙にメモして
「お父さん、また明日ね」といって病室を出た。
父はモルヒネを打っているので目覚めなくてもおかしくないのだけれど、僕らがいる間に何度か目を覚ました。
妻に運転してもらって僕だけ残った方が良いかとも思ったけれど、なんとなく一緒に帰ってしまった。
もうすぐ春がやってくる風の強い日だった。
僕はジャンピングジャックフラッシュを口ずさんでいた。
僕はその日はビールを飲まなかった。
夜中になって電話が鳴って母が出た。
父が危篤。
やはり、と僕は思った。
母親と二人で病院に駆けつけた時はすでに父は事切れていた。
父は最後にきっと必死に「お母さん」といつものように呼んで探したんだろうなと思って、取り返しのつかないことをしてしまったと思った。
人が死ぬ瞬間に手を握ることを仕事とする人が出てくる伊坂幸太郎の小説があるが、父の手を握ってやれなかった、母に手を握らせてやれなかったことを実は今でも後悔している。
告別式では僕があいさつをした。
そこでこんなことを言った。
父親との思い出はたくさんあるけれど、思い出というよりも、今でも例えや誇張ではなくて僕の身体の中に父親が存在していることを感じる。
子どもができて、僕も父親になって、父が僕の目を通して僕の子どもである僕を見ている。父と同じように僕は子どもを愛して、一緒に風呂に入り、子どもがご飯を食べる姿をうれしい思いで見ている。それは今まさに一緒に父親と僕が経験していることであって思い出ではない。だからいつまでも父は僕の中にいるんだと思う。
まあ、途中でつまっちゃってグダグダな挨拶だったのだけど、こんなことをみんなに伝えたいと思っていた。
今でもその思いは一緒だ。
俺は自分で食べるより子どもたちが食べるのを見ている方がお腹が一杯になるんだよ
っていつか父が言っていた。
まさしく僕もそう思う。
子どもの成長を日々感じながら、自分の父と過ごした半生をなぞっていっている。
そう考えるとさびしくはないけれど、同士として酒を飲みながら子どもの話を父とできたらいいなと思う。
俺の気持ちがわかっただろ
という父の声が聞こえてくる気がする。
僕はいつも思うんだけど、
親は子どもの百倍、子どもとの思い出を持っていると思う。
僕は自分が産まれた時の思い出はないけれど、子どもたちが産まれた日のことは今でも詳細に覚えている。
だから僕はもっと父と話して、たくさん思い出をつくれば良かったと後悔しているんだけど、父は僕が思う以上に僕との思い出を持っていてくれたんだろうなと思う。
死とは結局、生き残った者の思いなのだ。
僕はこれからも精一杯生きて、そして妻や子どもたちにも精一杯生きてくれることを望むだけだ。
話しながら、いつの間にか妻が泣いているので、間にあわなかったのだと思ったがそうではなかった。
母親が心細くて泣いていたので妻もつられて泣いたのだ。
どちらにしても猶予はそれほどない。
東北道を走って、実家へは行かずにそのまま県立の病院へ直行した。
父は穏やかではないがそれほど辛そうでもなく横になっている。
指に器具がつけられ、脈を測っているのか絶えず、ピーピーとなっている。
弟はさっき帰ったのよ、と母親が言った。
ドラマや映画などでは最後の時に思い出を語りあったりするシーンがあるが、父の場合は痛さと辛さでそれどころではなかった。
昔、父から聞いた話を雑誌に投稿して掲載されたものが単行本化されたので持ってきていたのだが、そんな話をするどころではなかった。
まだ幼稚園にあがっていない長男を連れて近くのショッピングモールへ下着など必要なものを買いに行く。
長男がトミカが欲しいというので「じいじに買ってもらおうな」と言って事後承諾で買った。
そしてそれがじいじに買ってもらった最後のオモチャになった。
検査やら何やらで日中が過ぎ、夕方になった。
先生がやってきてモルヒネを打ちましょうと言った。
いよいよかと思った。
僕は実はなんとなくわかっていた。
たぶん父は今日、逝ってしまう。
今日なら僕もいるし、母もいるし、僕の妻も、父の孫もいる。
もうすぐ弟に子どもが産まれるので、そこまで頑張ってほしいとも思ったけれど、目の前にいる父の姿を見て、僕はもう頑張れとは言えない。
暗くなって、母が家に帰ると言う。
母も看病疲れでまいっている。
そして、少し我がままも言う。
母は明日病院に持ってくるものを紙にメモして
「お父さん、また明日ね」といって病室を出た。
父はモルヒネを打っているので目覚めなくてもおかしくないのだけれど、僕らがいる間に何度か目を覚ました。
妻に運転してもらって僕だけ残った方が良いかとも思ったけれど、なんとなく一緒に帰ってしまった。
もうすぐ春がやってくる風の強い日だった。
僕はジャンピングジャックフラッシュを口ずさんでいた。
僕はその日はビールを飲まなかった。
夜中になって電話が鳴って母が出た。
父が危篤。
やはり、と僕は思った。
母親と二人で病院に駆けつけた時はすでに父は事切れていた。
父は最後にきっと必死に「お母さん」といつものように呼んで探したんだろうなと思って、取り返しのつかないことをしてしまったと思った。
人が死ぬ瞬間に手を握ることを仕事とする人が出てくる伊坂幸太郎の小説があるが、父の手を握ってやれなかった、母に手を握らせてやれなかったことを実は今でも後悔している。
告別式では僕があいさつをした。
そこでこんなことを言った。
父親との思い出はたくさんあるけれど、思い出というよりも、今でも例えや誇張ではなくて僕の身体の中に父親が存在していることを感じる。
子どもができて、僕も父親になって、父が僕の目を通して僕の子どもである僕を見ている。父と同じように僕は子どもを愛して、一緒に風呂に入り、子どもがご飯を食べる姿をうれしい思いで見ている。それは今まさに一緒に父親と僕が経験していることであって思い出ではない。だからいつまでも父は僕の中にいるんだと思う。
まあ、途中でつまっちゃってグダグダな挨拶だったのだけど、こんなことをみんなに伝えたいと思っていた。
今でもその思いは一緒だ。
俺は自分で食べるより子どもたちが食べるのを見ている方がお腹が一杯になるんだよ
っていつか父が言っていた。
まさしく僕もそう思う。
子どもの成長を日々感じながら、自分の父と過ごした半生をなぞっていっている。
そう考えるとさびしくはないけれど、同士として酒を飲みながら子どもの話を父とできたらいいなと思う。
俺の気持ちがわかっただろ
という父の声が聞こえてくる気がする。
僕はいつも思うんだけど、
親は子どもの百倍、子どもとの思い出を持っていると思う。
僕は自分が産まれた時の思い出はないけれど、子どもたちが産まれた日のことは今でも詳細に覚えている。
だから僕はもっと父と話して、たくさん思い出をつくれば良かったと後悔しているんだけど、父は僕が思う以上に僕との思い出を持っていてくれたんだろうなと思う。
死とは結局、生き残った者の思いなのだ。
僕はこれからも精一杯生きて、そして妻や子どもたちにも精一杯生きてくれることを望むだけだ。