今週はずっと美術館で仕事をしている。
今日は祭日でいつもより時間があったので、同館で開催している写真展を観てきた。
写真は難しくて僕には良く分からなかったのだけれど、最近は自分の写真が下手だと云うことは理解している。
そんなわけで、写真家もあまり知らないのだけど、この植田正治という人は相当有名な写真家らしい。
昭和13年生まれだから僕の母親より年配だが、残念ながら既に亡くなられている。
写真の善し悪しがわからないとは言ったものの、日頃から絵や芸術に積極的に触れているので多少感受性は強くなっているようだ。
のっけから「ほ~。」とため息が出た。
僕が撮る写真は当たり前だが写真に過ぎないけれど、こういう優れた写真家が撮る写真はまさしく「作品」である。
その作品の中には物語がある。得意とする演出を施した作品の中にももちろんストーリーはあるし、何気なく撮った写真の中にもドラマを感じた。
晩年は菊池武夫の依頼でファッション写真を撮っているので、見たことがある写真があったのはそのせいかも知れない。
砂丘を背景に撮った写真が有名で、ハットや傘などの小道具を使っているのでマグリットを連想するシュールな作品もいい感じだ。
あらためて写真の面白さを感じさせてもらった。
福山雅治の先生でもあるらしい。というか、福山が写真撮るって知らなかった。
今日は祭日でいつもより時間があったので、同館で開催している写真展を観てきた。
写真は難しくて僕には良く分からなかったのだけれど、最近は自分の写真が下手だと云うことは理解している。
そんなわけで、写真家もあまり知らないのだけど、この植田正治という人は相当有名な写真家らしい。
昭和13年生まれだから僕の母親より年配だが、残念ながら既に亡くなられている。
写真の善し悪しがわからないとは言ったものの、日頃から絵や芸術に積極的に触れているので多少感受性は強くなっているようだ。
のっけから「ほ~。」とため息が出た。
僕が撮る写真は当たり前だが写真に過ぎないけれど、こういう優れた写真家が撮る写真はまさしく「作品」である。
その作品の中には物語がある。得意とする演出を施した作品の中にももちろんストーリーはあるし、何気なく撮った写真の中にもドラマを感じた。
晩年は菊池武夫の依頼でファッション写真を撮っているので、見たことがある写真があったのはそのせいかも知れない。
砂丘を背景に撮った写真が有名で、ハットや傘などの小道具を使っているのでマグリットを連想するシュールな作品もいい感じだ。
あらためて写真の面白さを感じさせてもらった。
福山雅治の先生でもあるらしい。というか、福山が写真撮るって知らなかった。
もう、12月中旬。
マインドマップ手帳自慢のキャンペーンがあるらしい。
今年はマインドマップ手帳で、ほんとに毎日マインドマップをかいた。
絵がうまくなった気がする。
観察力もついたかな。
基本的にはその日の予定のToDoリストをマインドマップにして、チェックしたり書き足したり。
時々は読書準備や読書後のメモとして。
ビジョンも何回描いただろう。
企画書の取りかかりはいつもマインドマップ。
個人情報が書かれていなければ、皆におおいに見せたい。結構見せちゃってるけど。
昨日、土曜日は長男の小学校の音楽会を見に行った。
僕ら家族が見に行ったのは第3部で、2年生と4年生と6年生の演奏だった。
長男は合奏では鍵盤ハーモニカの第2パートを担当。まあ、いわゆるその他大勢。
幼稚園からピアノを習っているのだから、お父さんとしてはもう少し特別な楽器を担当してもらいたいものだと思うけれど、本人が納得して楽しくやっているので、まあいいかと思う。
集まって並んでいるときから私語もまったくなく、合奏も合唱も全員が一所懸命に取り組んでいる姿は素晴らしかった。
運動会のダンスの時も思ったけれど、うちの子ももちろん指の先まで力いっぱい一所懸命踊っていたし、仲の良いお友達もそうだった。
今回の合唱でも、みんなが大きな口をあけて、頬を赤らめて、身体全体でリズムを取り、一所懸命に歌っている姿が印象的だった。
茶化したり、馬鹿にしたり、「うざい」と言ったり、そういうことを良しとしない小学校で、一所懸命なことを尊重し、レスペクトする小学校であることがうれしく思えた一日だった。
それは、将来、息子の人生にとって、きっと大きな差を生む。
僕ら家族が見に行ったのは第3部で、2年生と4年生と6年生の演奏だった。
長男は合奏では鍵盤ハーモニカの第2パートを担当。まあ、いわゆるその他大勢。
幼稚園からピアノを習っているのだから、お父さんとしてはもう少し特別な楽器を担当してもらいたいものだと思うけれど、本人が納得して楽しくやっているので、まあいいかと思う。
集まって並んでいるときから私語もまったくなく、合奏も合唱も全員が一所懸命に取り組んでいる姿は素晴らしかった。
運動会のダンスの時も思ったけれど、うちの子ももちろん指の先まで力いっぱい一所懸命踊っていたし、仲の良いお友達もそうだった。
今回の合唱でも、みんなが大きな口をあけて、頬を赤らめて、身体全体でリズムを取り、一所懸命に歌っている姿が印象的だった。
茶化したり、馬鹿にしたり、「うざい」と言ったり、そういうことを良しとしない小学校で、一所懸命なことを尊重し、レスペクトする小学校であることがうれしく思えた一日だった。
それは、将来、息子の人生にとって、きっと大きな差を生む。