はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.344 キャンドルサービス

2018-12-22 21:29:29 | ライフ






毎年12月のこの時期には
家の近くの
けやき通りキリスト教会の
キャンドルサービスに参加している。

キリスト教の学校に勤めた年からだから、
かれこれ7回目になる。


讃美歌を歌って、
聖書の朗読があって、
また讃美歌を歌って、
基本その繰り返しで、
最後の方で
牧師先生がお話をしてくれる。

今年のお話は
絵本の朗読で、
「そのままのきみがすき」


5人の兄弟が
王様に好かれるために
自分の得意なことを生かして
贈り物を用意しようとする。

ところがその作業に夢中になるあまり、
思いやりを失ってしまう。

何もできなくても
きちんと王様と向かい合って
王様の話を聞いてくれた
末の娘が
結果的に王様の子どもとして
引き取られるという話。


家族や、
会社の人に話しかけられた時に、
きちんと作業を止めて、
その人に向き合うことができているだろうか
と反省させられる話だった。


子どもたちは
この話をどんな風に受け止めたんだろう。


帰りに子どもと並んで歩いて気づいた。
とうとう身長を抜かれたようだ。






次回のブログ予告

妖怪たちのいるところ




Vol.342 コーヒーの木

2018-12-21 00:08:52 | ライフ



もう7、8年も経つだろうか。

コーヒーの木を買ってきて、
机に置いていたら1週間ほどで枯れてしまった。

何が良くなかったかわからなかったけど、
あんまり悔しいので、
もう一回懲りずに買ってきたら、
今度は順調に成長した。


自分は植物でも金魚でも、
マメに世話をする方だから、
まあまあ長持ちをする。

観葉植物とか、
20年くらい育てていたのに、
ある日急に元気がなくなって枯れてしまうことがある。

サボテンや多肉植物もそんなことがあった。

数年前に、
盆栽店さんの社長さんと話す機会があったので
なんで急に枯れちゃうんでしょうねと質問したところ、
根の問題だったり、
鉢の中の土の栄養がなくなったせい、
とか説明してくれた。

リビングに
ガジュマルの木とコーヒーの木を置いていた。
ガジュマルの葉が落ちて、
葉が少なくなって寂しい気がしたので、
肥料をやった。

コーヒーの木は葉がたくさんで
ワサワサしていたけれど、
ついでにと思って
肥料をあげた。


するとしばらくして
コーヒーの木の葉が落ち出して、
1ヶ月くらいの間に、
あんなにワサワサしていた葉が
ほとんど落ちてしまった。

木自体も緑色でみずみずしかったのが、
みるみる白くなってしまって、
すっかり枯れ木になってしまった。

肥料の量とか時期とかが悪かったんだろう、
あるいは日当たりの問題か、
気温も低すぎたのかもしれない。
背が伸びたから、
根っこに問題があったのかも知れない。

いずれにしても
枯れるのはあっという間で
寂しいものだ。


また葉が出てきてくれたら
嬉しいんだけど、
ここまでなったら
それは無理か。





次回ブログ予告


WAKUプロデュース Birthday2018

Vol.328 はぎやまのりへいブログキャンペーンWEEK

2018-12-01 16:30:08 | ライフ
このブログにする前にも少し書いていたけれど、
このブログを始めたのが2009年だから、
10年近く書いていることになる。

とはいえ、
マメではないので毎日書いたりしてはいなくて、
10年書いてVol.328である。

映画を観たり、
芝居を観たり、
コンサートに行ったり、
美術展に行ったりした時にブログを書いていたのだけれど、
今年は3月に空海の映画のことを書いて以来サボっている。

本来は書くべきだったことがどのくらいあるかなと、
数えてみたら、
これが結構ある。

12月になったことだし、
1年間のことを振り返りながら、
毎日ブログを書いてみようかなと思って、
はぎやまのりへいブログキャンペーンWEEKのはじまりはじまり。

明日のブログ予告

親鸞フォーラム〜人間とは何か〜
AI×ゴリラ×仏教



Vol.320 ホ・オポノポノ

2017-08-30 20:05:44 | ライフ


連想したのは、

時々考える突拍子もない2つのイメージ。


【その1】

自分の人生は自分のものだから、

なんでも思い通りになるはずなんじゃないか。

実体がどうかとかよりも、

すべてを認識するのは脳だから。

たとえば、ものすごく大っ嫌いな嫌な奴がいるとする。

自分の人生の中でそいつを嫌な奴として役割を与えているのは自分。

だからそいつも自分の創造物。

嫌な奴であればあるほど人生という作品は面白くなるから、

敵役だって愛すべき自分の人生の登場人物。


【その2】

最近、物語を書いた。

人間はなんらかの目的に向かっているプログラム。

個人個人は小さな細胞の一つのようなもの。

一つ一つの意味は小さく、

エラーも想定されていて、

取り換えもきくけれど

集合体として長い時間をかけて大きな役割を果たす。


Vol.308 やまゆり園の容疑者の笑顔に思うこと

2016-07-27 11:03:41 | ライフ
やまゆり園の事件の容疑者が送検されたときの映像がテレビで放映された。

車の中で容疑者は笑っているように見えた。

実際に笑っていたのかも知れないし、そうでないのかも知れないが、
笑っているように見えたことは事実である。

人間は楽しいと笑顔になるし、
その逆に、笑顔をつくることで楽しい気分にすることができる。
笑顔のときは「楽しい」と脳が勘違いするのだそうだ。

眩しいときの顔と笑顔は似ている、と伊坂幸太郎の小説にあったが、
太陽が眩しい海や、白銀の雪が眩しいスキー場で恋に落ちやすいこととも関係があるかも知れない。
苦痛の表情と快楽の表情も似ている。

車の中で容疑者が笑っているように見えたということは、
悲しみや怒りとは違う感情を持っているということなのだと思う。

辛いときにこそ笑顔、
というのはまさしくその通りで、
笑顔が脳に作用して、気分を前向きにしてくれて、
辛さから自分を救ってくれる。
だけど、悲しいときには悲しい顔をして、
一旦はその感情を自分自身受け入れるべきなんだと思った。

それにしても、
こんな大事件を起こしておいて笑顔でいさせてはいけない。