僕が宿泊していた札幌のホテルは、TVの映画が無料だった。
初日、2日目はクライアントと飲みに行った。最終日の3日目は約束がなかったので、一人でホテル近くの寿司屋に行き、たらふく食べて、飲んだ。どのネタも美味いが、旬のにしんと、ほてい魚の子・ごっこ真砂が特に美味かっただろうか。
いい気持ちでホテルに戻り、TVをつけた。映画無料を思い出して、どんな映画があるのかリストをチェック。「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」に目がとまった。ブラピ主演で、ちょっと観たいなあと思っていた映画だ。
ところが酔いがまわっていい気持ちなので、ベッドで寝転がって観ていたら、ウトウトと眠ってしまった。1時間少しくらいたったところで目が覚めて、そこからちゃんと観だした。そうしたら思った以上に印象的で、風呂に入ってから前半を見直した。観終わったら2時になってしまった。まあ、いいか、その前に1時間以上寝てるんだし。
物語は面白いが、リアリティのないありえない話。けれど、何が良かったのか自分でも良くわからないけれど、すごく印象に残ってしまった。感動と云うのとも違うし、良くできた面白い話、という感じでもないのだけど、ぐっと心をつかまれた感じ。
運命、ということかな。
ベンジャミンが年齢と共に若返っていき、子供になってそれまでの記憶を失っていくのだが、最愛の恋人が母のように世話をする。そして最後は赤ちゃんになって、お婆ちゃんになった恋人デイジーの腕の中で静かな眠りにつく。その場面が頭から離れない。
「そして彼はすべてを思い出して、眠るように息を引き取ったの」と云う彼女のセリフも心から離れない。
たぶん、デイジーに共感したのだと思う。登場人物に自分を重ねたことで、自分の妻や子供、家族への思いが投影されて、懐かしいような、切ないような、言葉では表現できない気持ちになったのだ。
恋人としての燃えるような激しい愛ではなくて、大きな深い慈愛とも云える愛が溢れている。
例えば育ての母の無償の深い愛。根っからの善人で母性愛豊かな人なのだろう。彼女の愛は心に染みる。
それから実の父の本能的な血縁に対する愛。彼は、不気味な姿で産まれたベンジャミンに驚いて無常にも実の子を捨てた親なのであるが、クールでダンディでカッコ良くて僕の好きなキャラだった。
そして船長の友人としての愛。仲間として認め、認めた仲間への愛も素敵である。
それから、運命の女性、デイジー。彼女の愛は恋人としての愛でありながら、それ以上のものを感じる。つまりそれは、よく分からないけれど、恋愛ではなくて、自分の家族に対する愛なのだ。そこには損得もかけひきもなくて、自分の思うがままに愛する心。
娘が生まれて、娘の成長と共に、年齢が逆行する自分にはこの家族を幸せにすることはできないと思い、身を引くベンジャミンだったけれど、ベンジャミンとデイジーにとってはお互いの存在はスペシャルで何がどうでも最優先なのだ。
それはうまく言葉にはできないのだけれど、僕にはわかっている。理屈ではなくて大切な人はいるのだ。
もうすぐ、うちも結婚10年。愛情の種類は変化しているかもしれないが、それはグレードアップの変化。僕の家族は僕のすべてで、僕の人生そのものなのだ。
この世を去るときがきたら、妻の腕の中で息を引き取りたいな、という思いが無意識に頭をよぎって、強い印象を残した映画になったのかも知れない。
初日、2日目はクライアントと飲みに行った。最終日の3日目は約束がなかったので、一人でホテル近くの寿司屋に行き、たらふく食べて、飲んだ。どのネタも美味いが、旬のにしんと、ほてい魚の子・ごっこ真砂が特に美味かっただろうか。
いい気持ちでホテルに戻り、TVをつけた。映画無料を思い出して、どんな映画があるのかリストをチェック。「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」に目がとまった。ブラピ主演で、ちょっと観たいなあと思っていた映画だ。
ところが酔いがまわっていい気持ちなので、ベッドで寝転がって観ていたら、ウトウトと眠ってしまった。1時間少しくらいたったところで目が覚めて、そこからちゃんと観だした。そうしたら思った以上に印象的で、風呂に入ってから前半を見直した。観終わったら2時になってしまった。まあ、いいか、その前に1時間以上寝てるんだし。
物語は面白いが、リアリティのないありえない話。けれど、何が良かったのか自分でも良くわからないけれど、すごく印象に残ってしまった。感動と云うのとも違うし、良くできた面白い話、という感じでもないのだけど、ぐっと心をつかまれた感じ。
運命、ということかな。
ベンジャミンが年齢と共に若返っていき、子供になってそれまでの記憶を失っていくのだが、最愛の恋人が母のように世話をする。そして最後は赤ちゃんになって、お婆ちゃんになった恋人デイジーの腕の中で静かな眠りにつく。その場面が頭から離れない。
「そして彼はすべてを思い出して、眠るように息を引き取ったの」と云う彼女のセリフも心から離れない。
たぶん、デイジーに共感したのだと思う。登場人物に自分を重ねたことで、自分の妻や子供、家族への思いが投影されて、懐かしいような、切ないような、言葉では表現できない気持ちになったのだ。
恋人としての燃えるような激しい愛ではなくて、大きな深い慈愛とも云える愛が溢れている。
例えば育ての母の無償の深い愛。根っからの善人で母性愛豊かな人なのだろう。彼女の愛は心に染みる。
それから実の父の本能的な血縁に対する愛。彼は、不気味な姿で産まれたベンジャミンに驚いて無常にも実の子を捨てた親なのであるが、クールでダンディでカッコ良くて僕の好きなキャラだった。
そして船長の友人としての愛。仲間として認め、認めた仲間への愛も素敵である。
それから、運命の女性、デイジー。彼女の愛は恋人としての愛でありながら、それ以上のものを感じる。つまりそれは、よく分からないけれど、恋愛ではなくて、自分の家族に対する愛なのだ。そこには損得もかけひきもなくて、自分の思うがままに愛する心。
娘が生まれて、娘の成長と共に、年齢が逆行する自分にはこの家族を幸せにすることはできないと思い、身を引くベンジャミンだったけれど、ベンジャミンとデイジーにとってはお互いの存在はスペシャルで何がどうでも最優先なのだ。
それはうまく言葉にはできないのだけれど、僕にはわかっている。理屈ではなくて大切な人はいるのだ。
もうすぐ、うちも結婚10年。愛情の種類は変化しているかもしれないが、それはグレードアップの変化。僕の家族は僕のすべてで、僕の人生そのものなのだ。
この世を去るときがきたら、妻の腕の中で息を引き取りたいな、という思いが無意識に頭をよぎって、強い印象を残した映画になったのかも知れない。