舶匝

堅く評 #大村知事のリコールを支持します #ピーチ航空は障碍者の敵 #静岡県を解体せよ モーリシャス関連は検索窓から

東京は危険だ― 新型コロナウイルス編 ( from 東海地方 )

2020-05-08 21:52:18 | 俳句
名古屋は良いとこ、やっとかめ。PCR検査編 にて紹介した陽性率を見てから、
東京都の陽性率

を眺めると、、、

高い!
と声を上げたくなります

東海地方は既に、
なので、
「自粛の先」が見え始めています。

ドア開けて 眩し楽しの 清和かな (舶匝)

清和とは、初夏の爽やかな天気のこと。
しかし、明日の東海地方は、雨模様。
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不十分な経済支援とキリギリス人間を庇い、自粛警察(自粛ポリス)に責任転嫁する卑怯者・鈴木傾城

2020-05-08 21:18:03 | 経済
の続き。

という記事は、ある事を看過した上で成り立っている。

それは、

十分な経済支援または十分な蓄えがあれば、
新型コロナウイルスに直面しても、
困窮せずに済んだ

ということ。

十分な経済支援は、政府を含む公的部門の施策の問題。
十分な蓄えは、個々人の日々の生計と節制の問題。
(自営業ならば、六か月分の生活費相当額の蓄えは必須)。

もしかすると、自粛警察(自粛ポリス)叩きには、「自由からの逃避」(政治権威への服従)以外にも、
安倍内閣を含む公的部門の無策
放蕩癖のキリギリス人間たち
から目を背けさせる狙いもあるのでしょう。


働かないと食べていけない人

日頃、無駄遣いをしていた人。
蓄えを作るコツは、月々使わない金額を決めるところから。
それすら出来ていないダメな人たち。。。

最終的に多くの人が経済的に死ぬ。

これも、間違い。
直近の日銀さくらリポート https://www.boj.or.jp/research/brp/rer/rer200409.htm/
を眺める限り、そのような妄想は妄想となるであろう、ということが分かる。

企業バタバタと倒産

与信枠・融資枠の設定、という経済ニュースを見たことがないのだろうか。
「大雨」でも「傘」を貸してもらえる企業は、融資でしのげる。
「小雨」でも「傘」を貸してもらえない企業は、、、そもそも「晴天時」であっても、存在してはならない。パレート効率的な資源配分とっての、邪魔者でしかない。

新型コロナウイルスは、
「ノアの方舟」に出てくる長雨のように、
悪人……非効率的な企業……を一掃できるだろう。

オリーブの枝を、悪人が掴ませてはならない。

どれだけのホテルや旅館が破綻してしまったのか
親戚がとあるホテルに勤務している。
「暇だー」とぼやいていても、
破綻云々という言葉は、まるで出てこない。
親戚の勤務先は、大資本傘下のホテル。
新型コロナウイルスはその程度の事態です。

億単位の破綻のみを挙げただけでもこれだけのホテル・旅館がここ2ヶ月の間で潰れてしまっており

この書き手は、バブル崩壊の頃を知らないのだろうか。
あるいは、近年ホテル事業は、パブっていことを知らないのだろうか。

何も考えないで「自粛・休業・ステイホーム」を強要している人たちは、もしかしたら影響を受けていない業種に就いている人、あるいは年金受給者、あるいは自粛でも金銭的ダメージを受けない富裕層なのかもしれない。

きちんと節制と蓄えをしている人が、欠けている。
節制と蓄えから程遠い放蕩者には、想像すらできないのだろう。

或いは、自宅勤務を含む、稼働に必要な諸々の工夫も、想像できていないのだろう。
ステイ・ホームの結果、
ホームセンターや家具屋さんがなぜ混雑したか、すら。

だから、何も考えないで、ひたすら「自粛・休業・ステイホーム」を連呼するのは無責任だというのだ。今に及んでそれしか言っていない人は、ある意味、無責任だし一方的だし残酷な人である。経済が壊滅的ダメージを負って困窮する人は「勝手に死ね」と安全地帯で言っているに等しい

何も考えずに放蕩生活と無貯蓄を続けたツケでは?
そういう「困窮する人」は、自身の「過去の言行」に襲われているだけ。
因果応報です。

本当は「最大限の防御をしつつ、一刻も早く経済を再開させる」決断が必要なのではないか。

カッコ良く纏めたつもりになっているだけ。

現状は、
「最大限の防御をしつつ、社会にとって必要な活動は継続している」
です。

社会にとって必要とされていない活動を一掃できるチャンスです。
新型コロナウイルスは、「ノアの方舟」に出てくる長雨。
オリーブの小枝を、悪人たちに渡させない
好機です。







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自粛警察(自粛ポリス)が登場するから、「治安崩壊が始まる」は間違い。

2020-05-08 13:15:46 | 経済
で検討した通り、
「自粛警察(自粛ポリス)」の類は、ルールの空白を埋めるために登場する。
言い換えるならば、秩序の欠損や治安崩壊生じたときに生れる。

なので、
は、因果律の取り違え
ダーティハリー云々は、「自由からの逃避」ですらある。
高須は、自由主義に盾突いている。

ていうか、
ステイ・ホームならば、
自炊一択・自作弁当一択じゃん。
なぜ飲食店をわざわざ開く必要があるのか。
(自営業ならば、六か月、売上断たれても、生き残れる程度の蓄えをするものです。まさか、遊興道楽に経費を使ったのか?それとも、雑な事業計画を立てていたのか)

そもそも、新型コロナウイルスは、「ノアの方舟」に出てくる長雨の如く、悪事・悪人――風俗店を含む夜の店・飲食店を含む非効率な事業者・文化芸術界隈に集う怠惰・享楽的なキリギリス連中・任侠ほか――を洗い流しつつある

「自粛警察(自粛ポリス)」は、さっさと悪事・悪人が洪水に流されるように支援しているだけ。
ノアの方舟」に乗っている側にとっては、歓迎すべき事。

「自粛警察(自粛ポリス)」を叩こうとする連中は、

『我は「ノアの方舟」に乗れない悪人デス』

自白したも同然。

追記。
だから、夜の店は悪事・悪人の魔窟なのだ。どの国においても。
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直筆の大切さ。故・金正恩編

2020-05-08 12:46:49 | 国際政治
見出し画像は、金正恩直筆の命令書(Kim Jong-un - Presidium of Political Bureau of WPK Central Committee Held. Naenara. KCNA (2017-09-03))
 金正恩と聞いて当方が思い浮かべる特徴の一つが、



極端に右上がりな直筆

金正恩は、重要な書類には必ず、
右上がりの直筆で書いている。
ちなみに、上記命令書は、核実験実行の命令書。
南北首脳会談の際にも、芳名録に直筆のサインを残している。

さて、
金正恩氏、中国のコロナ対策称賛習近平主席に親書、関係維持狙う

では、右上がりの直筆が登場しない。
「口頭」の親書だから。

最も重要な国のトップに対する親書であるにもかかわらず。
書簡と比べれば、口頭は礼に欠けるにも関わらず。
直筆一つで、健在ぶりを簡単にアピールできるのに。

わざわざ「口頭」で親書。

ペンを手にすることができない状態ならば、しっくりはくる。

死人の口なし。ペンを動かす筋力も、なし、、、ですから。

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詭弁添削教室。碓井真史・徳力基彦の「自粛警察」吊し上げ編

2020-05-08 00:54:17 | 法学

に呆れる。

そもそも、「自粛警察」を「自粛ポリス」と言い換え。
滑稽さを掻き立てるための印象操作として、締まりのない語感の「自粛ポリス」言い換えたのでしょう。小手先感。

「正義」だから堂々とやってしまう

これ間違い。

正当防衛としてやっているにすぎない。
法確証にケチ付ける事が心理学者の仕事なのだろうか。

『よそ者』への攻撃に向かっていくんです

は、新型コロナウイルス感染の実態を知らない輩による言葉。
県によっては、主な感染者は、他都道府県からの来訪者、または、その濃厚接触者。つまり、市中での蔓延が見られない。
そのような県では、他都道府県からの来訪者は、「新型コロナウイルスの感染源」である恐れ大。県民の生命身体を防衛するための、確実な正当防衛行為は、
他都道府県からの来訪者の排除・回避。

実際、県によっては、他都道府県からの来訪自粛を求めている。

東海地方では三重県

関西地方では和歌山県

リスクを冒してでも相手を貶めたい

正当防衛を批判するフレーズ。
正当防衛の根拠の一つは、法確証。法秩序を守る事。
法秩序の崩壊を祈願しているからこそ、

正義のためなら、違法なことも許されると思っているんです

などというフレーズが出てくる。
要件を満たせば、違法性は阻却されるのに……。

科学的な根拠は特になく、目にした情報を集めて、自己流のルールを作ってしまう。絶対に私は正しいぞ、と思っている。自分の気に食わない情報は排除する 
などと法解釈・法適用を全否定。
法解釈には、幅や揺らぎが生じるもの。
法適用も同じく。

緊急事態宣言や各種要請で示されている規範にも、
解釈の幅・揺らぎがある。
解釈に疑義があるならば、
喧々諤々議論を経て、法解釈・法適用を進化させるものです。
なのに、
相手の解釈・適用を「自粛警察」「自塾ポリス」と評して非難するだけ、
では法解釈・法適用が進化しない。しかも、「自粛警察」「自塾ポリス」と評して非難する側が「自己流のルールを作ってしまう」結果となる。
法解釈・法適用の進化なしには、社会は対立の場になるだけ。

芸能人のSNSにも異変が起きている。レジャーや優雅な暮らしぶりが「不謹慎だ」と叩かれるため、写真公開時に「これは緊急事態宣言の前に撮ったものです」といったエクスキューズが見られるようになった。

これ、写真が「感染リスクを高める行為を奨励している」と解釈されるから。
(写真は雄弁に語るものです。)
なので、次段落以降の文章が悉く破綻。

「『なるほど、あなたの考え方はごもっともですね、今はこういう時ですしね。でも、ちょっとゆっくり考えてみたいですね』という共感的な対応が必要だと思っています」

んなことを言う奴は、冷水とウォッカの違いすら理解出来ていないのだろう。

背景には
以降は詭弁の域(過度の一般化)。
ていうか、耳障りの良いカタカナ語で、説明したつもりになっているだけ。


その力を本当に困っている人を救うことに ……
「本当に……いる人」は詭弁を弄する者が、使いがちなフレーズであり、
哲学的思考が緩い事の証左。
「本当に困っている人」は、「本当に困っている『訳ではない』人」がいる、ということを暗黙の前提にしている。
(医療系で見かける機会の多いフレーズ)
本当に」の背後には、「我こそは本当か偽かを鑑別できる」という尊大さがある。
「自粛警察」「自粛ポリス」を非難する論の根底は
、「我こそは本当か偽かを鑑別できる」という尊大さへの非難。

「自粛警察」「自粛ポリス」を非難する論の根底が、
本当に」の一言で崩壊

今は、『少し距離をあけましょう』となってきている。でも、何が正しいマナーなのか、まだみんながよくわかっていない
 
『少し距離をあけましょう』は、新型コロナウイルス対策のための規範の一つ。
マナーとは、異なる規範。
「でも、」以降の唐突な飛躍に、呆れる。

みんな自分は正しいと思っていますから。

この「から」は全く意味不明。
マナー本が市場に溢れている理由は、「マナーについて我は不案内である」と自覚している者が一定数いるから。「自分は正しいと思って」れば、マナー本もマナー講座も存在しなえい。

携帯電話のマナーのように、新しい常識が確立されていくはずです。

マナーと常識は、別概念。

まずは意識できる人たちから
これ、「自粛警察」「自粛ポリス」との違いが、不明瞭。
ていうか目的語がない「意識できる」

共感的なコミュニケーションを積み重ねていくことが大切 
意味不明かつ空虚、そして、カタカナ語で語ったつもりになっている。


法学者が入っていないだけで、ここまで酷い事になるとは……

しかも、徳力というnote社の一員が一枚噛んでいた……


を一読すれば、「自粛警察」をnote社が叩いている事の滑稽さに、気付けるでしょう。
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