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『俳句人名事典』 著者、常石英明

2023年08月03日 10時46分10秒 | 日記

『俳句人名事典』 著者、常石英明

 

・略歴

 

明治44年高知県高知市に生まれる。

大学在学中より、古陶磁・古書画・古刀などをはじめとする目本の古美術に関心をもち、独自の研究をはじめる。

この間、川村独英、小野賢一郎両氏に師事するかたわら、四谷刀剣研究会を主催し、その幹事を務める。

専門は目本の古美術全般に及ぶ鑑定と評価。

著作に

「日本刀の鑑定と鑑賞」「日本陶器の鑑定と観賞」「書画骨董人名大辞典」他13冊(いずれも金園社)がある。

 

 発行所 金園社

 

   はじめに

 

 俳諧や俳句は平易で滑稽味のある連歌や和歌の発句(最初に記す五・七・五の匂調)だけを取り挙げて、

詩文学の一分野として鎌倉時代に芽ばえ初め、

室町末期に荒木田宗武・山崎宗鑑らに依って発句即ち俳句だけを詠ずる所謂俳諧連歌が大成され、

続いて松永貞徳(貞門派)と西山宗因(談林派)の二大流派が興り、これが出発点となって、

江戸中期の元禄時代近くに松尾芭蕉が輩出して、更に奥深い幽玄と閑寂の世界にまで踏み込んで、

発句だけで一匂独立の立派な文学として完成されたのが俳句です

(俳諧は俳諧連歌の略称であり、俳句は広義の俳諧の範疇に入る)。

現在では、この俳句に興味を特つ人々は実に一千五百万人にも達し、

和歌の九百万人、詩文の五百万人足らずに比較して、

断然ずば抜けた庶民文芸の筆頭どして発展し続けています。

そして、この上手な人達を俳人と呼び、その表現された詩が俳句です。

 

俳句は常に自然に美しく移り変り行く四季の風情や森羅万象を題材

これに日本人特有の哲学的情緒を深く探求して加味し、

僅か十七文字(五・七五のリズムに乗った句調)の中に自分の思いをうまく表現して、

心に安堵感や生甲斐を託すと共に、世の人々にも感動を与える最短の立派な庶民文芸として生きています。

なお、こはこのせちがない浮世にあっても、雪・月・花などに思いをはせ、

或は道の先覚者違いをはせ、

或はその生活環境からにじみ出た数々の名匂などをよく鑑賞して感激すると同時に、

これ等の俳人たちの来歴等を少しでも調べ得て、後世に伝えたく、僭越ながらこの編著に取り組んだ次第です。

どうか故人たちの遺作をよくかみしめて栄養剤とし人々が心豊かに健康で、

いわゆる「温故知新」の心境で、俳句に親しみながら前進して戴きたく、心から念ずる者です。

 

  •  青人(あおんど)『俳句人名事典』  

 

本名は上島治房。通称は勘四郎。別号は一博、虚瓢、忘居士。

摂津伊丹の酒造業油屋総本店の主人で富商。

俳諧は松江重頼に学び、のち伊丹派中興の祖と仰がれた。

一族皆俳諧をよくした。弟の鉄郎、子の徳七、挑足、耳広、同族に鬼貰などの俳人がいる。

『伊丹生俳諧』、『庵桜』、『其袋』、『鉢扣(はちたたき)』などに入集が多くある。

 元文五年(一七四〇年)五月十八日没。享年八十一歳。伊丹の墨染寺に葬る。

   内に居て旅の人見る時雨かな

   貝桶に遊び汐干やかこつ御所上臈(じょうろう)

   虫ぼしや花麗浪人蛇のうろこ

   猫の配所小袋嶋やおもひ妻

 

  •  与謝野晶子(あきこ) 『俳句人名事典』

 

本名は与謝野しよう。旧姓は鳳。

  詩人与謝野鉄幹の妻で、歌人。

大阪府堺市の菓子商駿河屋鳳宗七の三女。

明治二十七年(一八九四年)堺女学校専攻科を卒業。

在学中より源氏物に興味を持ち、源氏物語、古典、和歌、現代文学など自学自習した。

明治三十四年(一九〇一年)上京して雑誌『明星』に処女歌集『みだれ髪』を発表して好評を得、

続いて『小扇』、『毒草』、『舞姫』などを著す。

この間に与謝野鉄幹と熱烈な恋愛を演じ結婚した。

明治三十七年九月、弟が日露戦争の旅順攻略作戦に決死隊を志願したのに対し、

『君死にたまうなかれ』の詩文を『明星』に発表。

当時の世相から見て大きな物議を醸した。その作風は情熱的で、自由放任の作柄で名高い。

夫の鉄幹や石井袖章らと「文化学院」を創設して、その学監を勤めた。

また、俳句もよくし、昭和五年三月より雑誌『冬柏』を刊行。

昭和十年、夫の鉄幹と死別して、有名な遺歌集『白桜集』を著した。

さらに、正宗敦らと『日本古典全集』(全五十冊)を出版。

  昭和十七年(一丸四二年)五月二十九日没。

卒年六十五歳。多摩墓地に葬る。

 

却初(ぼうしょ)より作りいとなむ殿堂に

我も黄金の釘一つ打つ


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