▽誹枕 高野幽山編 山口素堂序。
○寛文末年頃の作が延引して増補刊行する。
勢多にて
夕立や虹のから橋月は山
宮嶋にて
廻廊や紅葉の燭鹿の番
髭の雪連歌と打死なされけり
「俳枕」序
能因が枕をかつてたはぶれの号となす。つたへ聞、其代の司馬迂
は史記といふものゝあらましに、みたび五岳にわけいりしとな
り。杜氏、季白にたぐひも、とをく廬山に遊び洞庭にさまよふ。その外こゝにも圓位法師のいにしへ、宗祇、肖栢の中ごろ、あさ
がほの庵、牡丹の園にとゞまらずして野山に暮し、鴫をあはれ
び、尺八をかなしむ。是皆此道の情なるをや。そもく此撰、幽
山のこしかたを聞ば、西は棒(坊)の津にひら包をかけ、東はつ
がるのはて迄、足をおもしとせず、寺とうふてら、社といふやし
ろ、何間ばりにどちらむき、飛騨のたくみが心をも正に見たりし
翁也。あるは實方がつかの薄をまげ、十符のすがごもを尋ね、緒
たえの橋の木の切をふくろにをさめ金沢のへなたり、いろの濱小
貝迄、都のつとにもたれたり。されば一見の所ぐにてうけしるし
たることの葉のたね、さらぬをもとりかさねて、寛文の頃桜木に
あらはすべきを、さはりおほきあしまの蟹の横道にまつはれ、延
る宝の八ツの年、漸こと成りぬ。さるによつて今やうの耳には、
とませの杉のふるきを共おほかり。しかれども名取河の埋木花さ
かぬも、すつべきにあらず。 是が為に素堂書ス。
巻頭
山城のとはにあひ生や松飾 風虎
東国よりのぼりて
みたらしやきのふは東の十團子 梅翁(宗因)
秋也けり山城米に宇治たはら 幽山
里富り奈良の初年壽祿神 言水
秋の暮此上いかに無人嶋 松木青雲(甲斐の人)
關の清水古郷戀し生鰹 々
茶の花や利休が目には吉野山 素堂
中山にて
爰ぞ命顔淵が命夏の月 々
富士は扇汗は清見が關なれや 々
髭の雪連歌と討死なされけり 々
伊豆
峠凉し沖の小嶋の見ゆとまり 々
武蔵
花の千世の何かの春も江戸也けり 々
小僧来たり上野谷中の初櫻 々
武蔵野やそれ釋尊の胸の月 々
武蔵野や富士のね鹿のね虫も又 々
近江
戦ひけり蛍瀬田より参あひ 々
瀬田にて
夕だちや虹のから橋月は山 々
宮島にて
廻廊や紅葉の燭鹿の番 々
紀伊
根来物つよみゆづれ村紅葉 々
長崎にて
入舟やいなさそよぎて□の風 々
瀬田にて
水や空うなきの穴もほし蛍 々
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