恥ずかしながら 業病を知らなかった。石原氏の話題で初めて知った(/ω\)
業病とは前世の悪業の報いでかかるとされた、治りにくい病気。難病の意味だそうだ。
調べてわかった。 石原氏はツイッターで釈明したそうですが、
ツイッターも SNSもやらない 、今だにガラケーの超時代遅れ(^^; 世の流れについていけない。
ALSに侵され 自死のための身動きも出来ない女性が 尊厳死を選んだというニュース・・・
もし、私がこの病にかかったら 意思表示できる間に 彼女と同じく・・・
50歳前後の頃から10年間 ロシアの歌をロシア語で歌う 合唱団に属していた。
団の中では、あまり個人的なお付き合いをしなかったが 東京生まれのTさんとは
気が合って仲良くしていた。私よりだいぶお姉さんでした。
彼女が合唱を休み、病名がわからないま 私の働いていた病院に検査入院した。
後にALSという難病だとわかった。半年ほど入院していたので 勤務を終えると
必ず病室に顔を出してから帰るのが 日課になっていた。
入院中のまだ動けるうちに ホタルを見たいというので 外出許可をいただき
夜お迎えに行き 車椅子を積んで、わが家の前にある水路を飛び交う ホタルを見せてあげた。
何十年かぶりにホタルと見たといい、とても喜んでくれた。その数日後に病室に寄ったら
喉に穴をあけ カニューレを付けて 呼吸器の装置をつけていたので驚いた。そんなに進んでいたとは。
もう、お話も出来なくなり ボードに50音字を書いたものを指す練習をしていたが
手、指の力もなくなって来ていた。そのあと、由利本荘市にある国立機構の
ALS専門病棟のある病院に転院した。たまにしか、お見舞いに行けなかったが
もう彼女は眼も開けることも出来ず 自分の意識で身体を動かせる箇所はなかった。
耳は聞こえていたようなので、行くときは練習風景の録音テープを持参してきかせた。涙がぽろり・・・
彼女の好きな「百万本のバラ」を 練習中だった。
転院先の病院に1年位もいただろうか。私も当時は勤めもあり、合唱練習は毎週土曜日だったので
なかなか由利本荘市まで行けなかった。ある夜 とても彼女の事が気になって
翌日病院を訪ねたら、お部屋に名札がないのでザワッとした。聞いたら「Tさんなら亡くなりました」
「えっ?」Σ(゚д゚lll)ガーン 言葉を飲んだ・・・ 私が行ったのは、亡くなった数ヶ月後だったから…
もっと早く お見舞いに来ていればと後悔した。
後日 自宅に電話してご主人に 菩提寺をお聞きしお墓参りに行ってきた。
ALSとは、とてもたいへんな病です。体中の筋肉が硬くなり動かない、呼吸も出来なくなる。
もちろん食べることもできず胃瘻に。耳は聞こえる様でも意思表示を まったく出来ない。
彼女を見ていたので、もし、自分がかかってしまったら、意思表示出来るあいだに
お願いできるものなら 尊厳死をお願いしたい・・・
(まったくの私見で、今回の尊厳死をどうこう言っているのではありません)
オニユリが 敷地のあちこちに花盛りです。
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