穏やかに…シニアブログ

日常・民話など

8月の青い鐘

2020-08-17 11:34:07 | 

8月の青い鐘

 

風にゆれる 小さな青い鐘

鐘の音 空のかなたまで 

届けとばかりに ゆれる

 

おろかな戦争により

犠牲になった 多くの人の命

 

敷地に根付いた ツリガネニンジン

鎮魂の8月に  鐘が鳴り響けとばかり

枝を増やし 小さな青い鐘を たくさん増やした

広島に

長崎に

沖縄に

戦争で犠牲になった すべての魂に

どうかやすらかにと

鎮魂の 青い鐘の音ひびく

 ⇧8月になると咲きます。耳をすまして・・・ホラかすかに聞こえるでしょ!

⇧支柱を超えて高く伸びました

 

青い星も花盛り☆

 

 追記

* 叔父(父の弟)も先の戦争で 南方で戦死 お骨も帰ってません・・・

* 秋田市土崎空襲は 終戦前夜8月14日夜から15日未明にかけて、米軍のB29爆撃機が

 土崎港の日本石油秋田製油所を攻撃。製油所の社員や家族ら250人以上が亡くなっています。

 戦争は、何も残りません。哀しみだけが残る…

 

 


民話・鼻水の因縁

2020-08-11 13:38:00 | 昔っこ・民話

昔・昔のこと。一人の旅の坊様がおった。雨雪(みぞれ)の降るばんげ(夜) とある村のはずれまで

たどりついた坊様は、1軒の小さな家の前で 鈴を鳴らしてお経を読み始めたと。

その晩は、そこで泊めてもらおう思ったわけだな。 お経の声に 家から出てきたのは婆さまだった。

そこで「今晩一晩泊めてたんせ」と頼むと 「何もねぇども、それで良ければ」と、婆さまは家に中に

こころよく入れてくれたと。晩飯は粟がゆに沢庵だけだったども、坊さまは喜んでご馳走になり、

床に入ってぐっすり寝た。 次の朝 坊さまが目を覚ますと、婆さまが ちょうど炊けたばかりの米の飯を

釜から おひつに移し替えているところだった。見るともなしに見ていると、なんと・婆さまの鼻水が

つーっと おひつにたれ落ちた。坊さまは、しらねふりしたども、婆さまからお膳こ を、すすめられたとき

「どうも、腹あんべわりくてなぁ。まず、今朝はごちそうにならぬことにする」と

まったく箸もつけねで、婆さまの家をあとにしたんだと。

 

さて、そこらあたりの、村々をまわった坊さんは、三日あとに またこの家にやって来た。

「今晩も、泊めてたんせ」  婆さまは、今夜もこころよく家にいれてくれて、

「まんず寒くて大変だすべ」と、温かい甘酒をふるまってけだと。

その甘酒のうまいこと。うまいこと。坊さまは、3杯ものんだと。それからふと、不思議に思って

聞いたわけだ。「婆さま、一人暮らしで まんず こんたに沢山、甘酒っこ造ったこと」

「なんも、この前な、、坊さまに食べてもらおうと思って、沢山飯を炊いたのに 坊さまが

たべなかったすべ。だもんで、余ってしまったもの。それで甘酒作ったのだ」

坊さまは「んだが、んだが」と、手を合わせたそうな。

当たる罰は、なんとしても当たるっていうけども、婆さまの鼻水は、なんとしても坊さまの

腹に入ることになってたんだな。 とっぴんぱらりのぷう・・・  阿仁地方に伝わる民話

*楽しんでいただければ嬉しいです。

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ひまわりと辰子像

2020-08-09 11:00:12 | 日記・雑記

眼の手術も終え 少し落ち着いたので 先日友達から温泉にお誘い

いつもの田沢湖高原の温泉へ🚗💨

 ⇧高原にやまゆりがたくさん。草わらで近くに行けず ボケ画像ですみません💦

 

温泉後は 田沢湖半にひまわりを見に行きました。⇩

 ⇧休耕田約60㌃に 背丈の短いひまわりが 強い雨の降った後で傾むいてました

 

          ⇩車のあるあたりにクニマス館があります

 この日も朝方雨だったので ぬかるんで(^-^;

 

湖畔を少し行くと🚗💨 黒雲でも辰子さんはピッカピカに光ってます

      波があり逆さ辰子像は残念ながら

 

遊歩道ギリギリまで水面が

⇧これはクニマスではありません。ウグイです。たくさん泳いでます。

 

かつてクニマスは秋田県の田沢湖が唯一の生息域だったが、国策の水力発電用のダム建設に伴って

水質が急速に酸性化、1940年代に絶滅した。サケは酸性の水に弱く、特に稚魚は、

水素イオン濃度(pH)の急激な変化について行けなかったのだ。

1935年に人工ふ化実験のため、富士山のふもとにある西湖などへ、受精卵を放流する計画が進んだ。

しかし、成魚の発見には至らず、すっかり忘れ去られていた。その後、70年以上の時を経て発見されたのだ。

魚博士のさかなくんの元に、富士山の麓 西湖の漁業団体から クニマスらしき個体が届けられた。

それがクニマスと判明し 西湖から田沢湖に里帰りしたクニマス。田沢湖の深い所は酸性が強く

まだクニマスが住める環境でない。 それで「クニマス館」の水槽で展示されて泳いでいます。

 

上の画像の浅瀬は、酸性が薄れているのでしょう。クニマスは深い所で生活しているそうですから。

長年、中和しているが 深い所までは中和出来ないようで、田沢湖で泳げる日はくるのか・・・

地元民は 大きな期待を寄せて西湖から来た クニマスを熱い視線で見守っている。

さかなくんッて、ホントにすごいなぁ。

 


業病

2020-08-03 12:52:55 | 日記・雑記

恥ずかしながら 業病を知らなかった。石原氏の話題で初めて知った(/ω\)

業病とは前世の悪業の報いでかかるとされた、治りにくい病気。難病の意味だそうだ。

調べてわかった。 石原氏はツイッターで釈明したそうですが、

ツイッターも SNSもやらない 、今だにガラケーの超時代遅れ(^^; 世の流れについていけない。

ALSに侵され 自死のための身動きも出来ない女性が 尊厳死を選んだというニュース・・・

もし、私がこの病にかかったら 意思表示できる間に 彼女と同じく・・・

 

50歳前後の頃から10年間 ロシアの歌をロシア語で歌う 合唱団に属していた。

団の中では、あまり個人的なお付き合いをしなかったが 東京生まれのTさんとは

気が合って仲良くしていた。私よりだいぶお姉さんでした。

彼女が合唱を休み、病名がわからないま 私の働いていた病院に検査入院した。

後にALSという難病だとわかった。半年ほど入院していたので 勤務を終えると 

必ず病室に顔を出してから帰るのが 日課になっていた。

 

入院中のまだ動けるうちに ホタルを見たいというので 外出許可をいただき

夜お迎えに行き 車椅子を積んで、わが家の前にある水路を飛び交う ホタルを見せてあげた。

何十年かぶりにホタルと見たといい、とても喜んでくれた。その数日後に病室に寄ったら 

喉に穴をあけ カニューレを付けて 呼吸器の装置をつけていたので驚いた。そんなに進んでいたとは。

もう、お話も出来なくなり ボードに50音字を書いたものを指す練習をしていたが

手、指の力もなくなって来ていた。そのあと、由利本荘市にある国立機構の 

ALS専門病棟のある病院に転院した。たまにしか、お見舞いに行けなかったが 

もう彼女は眼も開けることも出来ず 自分の意識で身体を動かせる箇所はなかった。

耳は聞こえていたようなので、行くときは練習風景の録音テープを持参してきかせた。涙がぽろり・・・

彼女の好きな「百万本のバラ」を 練習中だった。

転院先の病院に1年位もいただろうか。私も当時は勤めもあり、合唱練習は毎週土曜日だったので

なかなか由利本荘市まで行けなかった。ある夜 とても彼女の事が気になって

翌日病院を訪ねたら、お部屋に名札がないのでザワッとした。聞いたら「Tさんなら亡くなりました」

「えっ?」Σ(゚д゚lll)ガーン 言葉を飲んだ・・・ 私が行ったのは、亡くなった数ヶ月後だったから…

もっと早く お見舞いに来ていればと後悔した。

後日 自宅に電話してご主人に 菩提寺をお聞きしお墓参りに行ってきた。

 

ALSとは、とてもたいへんな病です。体中の筋肉が硬くなり動かない、呼吸も出来なくなる。

もちろん食べることもできず胃瘻に。耳は聞こえる様でも意思表示を まったく出来ない。

彼女を見ていたので、もし、自分がかかってしまったら、意思表示出来るあいだに 

お願いできるものなら 尊厳死をお願いしたい・・・

(まったくの私見で、今回の尊厳死をどうこう言っているのではありません)

オニユリが 敷地のあちこちに花盛りです。

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