花々楽しい日

布合わせを楽しみながら キュートで物語のある布小物を作っています

『仁川の雨女』 エピソード1

2008-01-13 | エッセイ

2月3月は雨の降る日が多いような気がします
冷たい雨が降るたびに 卒業シーズンが来るたびに
懐かしく思い出し 口ずさむ歌があります

「仁川の雨女」

この曲は私が22歳の時に作詞作曲した『ド演歌』です
茶色の小瓶♪ をノリノリで弾くことを夢見て習い始めたポピュラーピアノ
そこで コード演奏と理論を習い
その集大成として作ったのが なぜか ポピュラーでも JAZZ でもなく
『ド演歌』だったのです

 

エピソード 1

大学4年生の冬
私とTちゃんとMちゃんの3人で「卒業旅行をしたいね」と言う話になりました
Tちゃんは仁川(にがわ・兵庫県宝塚市)で下宿をしていました
そして 私やMちゃんの家にはよく遊びに来ていました
そういうこともあって、四国に住むTちゃんのご両親から
すばらしい申し出を受けました
「いつも娘がお世話になっているのに 私たちは仕事をしているので
呼んであげることはできない。申し訳ない。」そう言って
道後温泉の由緒ある旅館1泊と松山の全日空ホテル1泊を招待してくれました

夜、神戸から船に乗って海を渡り
そこから予讃本線で松山へ
朝の松山 小雨が降る中 市内を散策
それはそれは楽しい旅の始まりでした


仲良し3人娘(左からM・T・K)

由緒ある旅館に着くと 挨拶に来られた仲居さんに聞きました
「この中でカラオケができるところはありますか?」

当時私たちはカラオケにはまっていたので
「夜はカラオケ!」と道中から盛り上がっていたのです

「2階のラウンジでやっています」と仲居さんが教えてくれました

館内の案内図を見ていた私が
「この5階の ショー と言うのは何ですか?」と聞くと
「アクロバットです」と仲居さん

私が「トランポリンとかするんですか?」と聞くと
(↑8時だよ全員集合の仲本工事が浮かんでいる)

「いやだぁ~ヌードですよ!」って
仲居さんからストレートの剛速球が返って来たもんだから
3人揃って ひぇ~っ と仰け反ってしまいました

温泉天国の後は 舟盛り料理などをたらふく食べ
浴衣にどてら姿で いざ2階のラウンジへ!

TちゃんとMちゃんはカクテルを注文してバンバン飲み始めました
「なんでkanaちゃんはこんなところでホットコーヒーなんて飲むの?
信じられへんわ~」
って、言われたって…食後はコーヒーに決まってるでしょうに

最初は貸切状態だったラウンジもだんだん人が増えてきました
隣りのテーブルの優しそうなおじさんが私たちの方を見てニコニコ笑っていました
とても幼い3人だったので22歳の色気のカケラもなかったのです


色気のカケラもない二人(左がK 右がM)

そのおじさんは淡路島から来られていた社長さんでした
社長さんはタイプの違う3人の掛け合い漫才のような会話を聞いて
とても楽しんでいたようです

社長さんはTちゃんに向かって言いました
「あんたは…」

つづく

 

※ 話がちょっと長くなるのでいったんここでCM…ではないけれど
切らせていただきます つづきは明日ってことでよろしく♪

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ブラックな話

2007-12-05 | エッセイ

今日はちょっと長めにつぶやかせていただきますね
(写真と本文は関係ありません。これ↑は100均のエンジェルオーナメントです)

 

週末義父(殿のお父さん)の13回忌があるのですが
私が喪服を買ったのは14年前
結婚当初は仕事における緊張とプレッシャーの名残で
今よりかなりやせていたため、7号サイズの物を買いました
その喪服を1番最近着たのは7~8年前
その時でも「あれれ?手が上がりにくいぞ…これではつり革が持てないかも」
と思ったのですが
さすがに2人の子どもを生んで育てたこの体
「どこまで(体が)入るか?」と、着てみるのさえ恐ろしい

そこで、今回思い切って新しい喪服を購入することにしました
黒であれば喪服にこだわることもないだろうと思う気持ちが先行し
フォーマルウェアのコーナーにたどり着く前に
喪服ではない黒い服を買ってしまいました

黒いジャンバースカート、その上に羽織る上着、
ジャンバースカートの下に着る白っぽいセーター、黒のパンプス
更に、全く関係ないけどほしくなった黒の半コート

私の頭上を 何人もの諭吉さんが
伊勢丹に向かって駆けて行きました

でも、この黒い服と靴
法事弔事だけでなく これからやってくる卒業式や入学式にも着れそうなので
よい買い物をしたと満足しています(昨日のオフ会にも着て行きましたが…)

なのですが!
ここからが本題です

最初に9号のジャンスカを試着した時に
脇の辺りに若干「これって窮屈?」みたいな悲しいお知らせがよぎったのです
店員さんに「これって本当に9号ですか?」と聞くと
「はい。でも、うちは小さめにお作りしておりますから」とにこやかに答えられました
それってどうよ!と思いながら顔では微笑んで
「私はいつも9号なんですけど、これはちょっときついかも…」と言うと
「では11号をお持ちしますね!」と笑顔で立ち去る店員

お持ちされた11号がピッタリなのと デザインが気に入ったこととの挟み撃ちで
とっても複雑な心境
「小さめに作らないでほしいなぁ…」と冗談20%くらいで言うと
「マジックで大きく9と書いておきましょうか?」と
本気20%くらいで答える店員さん

まぁ、気に入ったのでいいんですけどねぇ…
諭吉さんも 喜んでいらっしゃることでしょうし
でも この身長(154cm)で11号という響きが悲しかったのよ
あっ!
でも丈もちょうどよかったから やっぱり小さめなんだわ!
るん

新しい服を買うってすごく気持ちがいいし
これまでタンスの中で仮死状態だった古い服が
組み合わせで再起するというパターンも多いんですよね

今回もそうでした

OL時代に着ていた(当時はフリフリのミニスカートに合わせて着ていましたが←さすがに今はもうない)
メルローズのカットソーをGパンの上に着て
その上に黒い半コートを羽織ってみると
これが、なかなかよろしかったんです
カットソーはオフタートルで
そのタートル部分がくちゅくちゅってなる感じも結構いいし…

で、ヨシヨシと思いながら鏡の前に立って 自分の姿を見て…

愕然としました

「なんじゃ?この肩パットは!?」

何が悲しくてこんな逆三角形フォルムを演出しなければならないのか
ワケがわからない

セーターに肩パ
コートに肩パ
眉は太く 髪はソバージュ?

当時はそんな恰好をしていたのよね。。。

恐ろしや 恐ろしや

当然 肩パは即効でハサミで切り落としました
時代が変わると 美意識も変わるのですね
きっと。

以上、長いつぶやきでした

ちなみに マジックで9は書いていませんからね

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中国茶館へようこそ!

2007-06-12 | エッセイ

中国語では 喫茶店を「茶館」と書きます
発音は「チャーグアン」
北京では 語尾に アールの音(儿化音)が入るので
「チャーグァル」 と発音します

TOP↑の写真の湯のみは私が北京で使っていた物です
久しぶりに食器棚の奥から出してみました
写真に撮ってみると なかなか良い雰囲気に写っていたので
これを使うために
今日は中国の思い出話を少し書きたいと思います

 

20代前半の私は
大阪の御堂筋に居を構える某商社のOLでした
激務に疲れ果て2年半で退社
寿の道からは大きく外れて 中国・北京へ語学留学しました

天安門事件が起きた 1989年6月4日は
北京郊外の某大学の留学生宿舎に住んでいました

天安門事件の前日
私は友達と一緒に見知らぬ中国人の軽トラの荷台に乗せてもらい
沿道を埋め尽くす人民に手を振りながら
中華人民共和国の国歌を高らかに歌い 天安門に向かいました
別に私たちが異常な行動をしていたわけではありません
事件の前には そんな風にして天安門へ行く大学生がたくさんいたのです

事件前日の天安門広場の記憶はあまりありませんが
装甲車によってなぎ倒された「美大生達が作った自由の女神像」が
カメラスポットになっていたのは印象的でした

翌朝 激しいノックの音

中国人の友達がこわばった様相で立っていました
「天安門で大変なことが起きた 今日は外に出てはいけない」
それだけを言い 去って行きました

団らん室のテレビの前に 留学生達が集まり
ニュースに釘付けになりました
夜7時のニュースを覚えています
いつものテーマ音楽が流れた後のTOPニュースは…

「農業改革」でした

全員沈黙。。。

数日後 帰国勧告が出て 日章旗を付けた日本大使館の車が迎えに来て
航空チケットもないまま北京首都国際空港へ
キャンセル待ちで空港泊を覚悟していた私ですが
奇跡の様に空いていた席を得 大阪行きのJALに乗ることが出来ました
しかも ファーストクラス(エコノミー料金で)
飛行機の中は日本でした

空港に着くと フラッシュを浴び多くの報道陣に囲まれました
その日の夜のニュースに大映しになるわ 翌朝の新聞に名前入りのコメントが出るわ…

まぁ、色々ありましたが

あの北京での1年は私の人生にとって
深く 濃く 熱い 1年だったのです

ブログを始めた頃
何回かに渡り 北京のことを書いていますので
お時間のある方は覗いてみて下さいには私の描いた絵がいっぱい!)
(1) (2) (3)


TOPの写真の湯のみ以外にも
帰国勧告が出て 死に物狂いで帰って来たにもかかわらず
大切にお持ち帰りした品物があります


小さなバッチ
毛沢東物は古道具などを売っている露店で買いました
内蒙古大学のバッチは 旅行で内蒙古(フフホト)へ行った時に
この大学の日本語科で臨時講師?みたいなことをしたのですが
(日本語で色々喋っただけですけど…)
その生徒さんと自分の大学のバッチとを交換したものです
自分の大学(北京で在籍していた大学←日本でいう東大・京大レベルの大学!
でも、私は語学留学なので頭の良さは全く関係ありません)
は右下の物です


別に毛沢東さんが好きなわけではないのですが
中国と言えば これでしょう?
北京で一番好きな場所は 天安門広場の毛沢東さんの大きな写真の前でした
いえ、別に毛沢東さんが好きなわけではないのですが…←しつこい


東北のチチハル(かなりロシアに近い)に行った時に
そこの市長さんから頂いたもの
中国の携帯常備薬
緑の「風油精」の強烈な臭いが懐かしい
右端の錠剤は お腹がエクスプレスになった時に威力を発揮する「黄連素」
(中国でなったお腹のエクスプレスは正露丸や日本の下痢止めでは全く効果がありません)
これらは間違いなく使用期限が切れています
かれこれ20年近く前の物ですので…


北京市内にある「牛街」というところは イスラム教徒の方々が住む地域です
これは その方たちが「この家はイスラム教徒の者が住んでいます」
という表示に使うプレートです
「あなたたちには必要ない!」と言われたにも関わらず 購入してきました
でも、やっぱり必要ないので 押入れの奥で眠っています



他にも色々ありますが…
1番のお気に入りは やっぱり TOPの写真の湯飲みです
これを見るたびに
毛沢東さんや小平さんも これと同じ湯のみでお茶を飲んだのかなぁ?
と思いを馳せてしまうのです

中国語の通訳の仕事をしていた時代もあった私ですが
長年使っていないので
今は ほとんど喋れません 聞き取れません
「北京オリンピックで通訳」の夢は見事に立ち消えてしまっています

来年は北京オリンピック

 中国の庶民の方々のマナーはどこまで向上しているでしょうか?
私が北京の街で 怒りながらよく口にした言葉は
応該 排隊!(インガイ パイトエ)でした
(応該=~しなければならない 排隊=整列する)

4千年の歴史を誇る中国での初のオリンピック
成功することを 切に願っています

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8652円の女

2007-05-30 | エッセイ

美容院に行ってきました
本日 私の前に置かれた雑誌がコレ↑です

40代、「ココロとカラダ」は絶頂かも?

ちょっと当たっているだけに 微妙に悔しい…
  いえ そういう意味ではなくって…
(5ヶ月前はこんな雑誌だったなぁ)

私の行きつけの美容院はココです


ホームルームでも ホームランでもありません
何かの略です 何かはご想像にお任せします

2割引券があったので カット&カラーで
8652円でした

だから 私は…8652円の女です

某ナースMさんは 先日美容院で20000円かけて美しくなられたとのこと

ということは

私は彼女よりも
11348円も安く かつ お得な(?)女だと言うことです

8652円は 「ソチャ(粗茶)」ならぬ ソ女?
この件については、昨日のRikaさんの記事のコメント欄をご覧下さい(ぽちっ

まぁ、そんなことはどうでもいいのですが…


私の担当のKRさんと「小倉さんのヅラネタ」等で軽く盛り上がり
(参考記事はコチラ
そのまま 私のトークの世界に引きずり込んでしまいました
KRさんに やたらウケた話があります
予想外にウケたので 調子に乗ってその話をここに書きます


殿の母(私の姑)の話です

私が殿と結婚を決め 初めて殿の実家にご挨拶に行った時のことです
殿は両親にとって遅く生まれた子なので その時すでにご両親はかなりの高齢でした
当時 おじいちゃん(舅)が80歳後半
おばぁちゃん(姑)も75歳くらいで 腰が90度近く曲がっていました

お姉様たちの作られた料理をご馳走になった後
こたつのある部屋に案内され
私と舅さんと二人で向かい合って 座っていましたが
そのうち お疲れになったのでしょう 舅さんがゴロンと横になり
ウトウトとし始めました
頭の近くに ガスストーブがあったので「ちょっと危ないなぁ」と思っていたら
90度に腰を曲げた姑さんが廊下を歩いて こたつの部屋にやってきました
ウトウトと気持ち良さそうに寝ている夫(舅さん)を見て
ちょっと腰を伸ばし(伸ばすとフォルムがS字になる)
「あぁあ~」とため息を一つ
そして 夫の脇の下に手を差し込みヨイショと持ち上げると(かなりの怪力?)

「おじいちゃん 北枕ですよ~」

と体の向き(頭の向き?)を変えました

「おいおい!そっちかよ!」と
若い私は心の中で思いっきり突っ込んでいました

このスーパーおばぁちゃんのビックリネタは結構あるんです
面白いって言ってくれる人がいれば
また書きたいと思っています

そう言えば こんな話もありました→ぽちっ


今日の写真は携帯で撮ったので 画像が悪いです
お口(お目々)直しに…
美容院の後 お買い物に行った時(こっちのほうがお金を消費したわ
ブティックにちょっと変ったガーベラさんが飾ってあったので
写真を撮らせてもらいました

(これはコンデジで撮影)
花びらがクルクルしていて可愛いかった!
こんなプリティーな髪型もいいなぁ~…なんてね 

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スノーボーダーズ襲来

2007-01-07 | エッセイ

子どもの頃の悪夢より(←この辺りのエピソードは省略します)
『スキーは苦手』と自ら封印していた私ですが
OL時代に1度だけ
会社の労働組合主催のスキーツアーに参加したことがあります
若いモンがいっぱい集まって旅行するので
楽しいことは 楽しいのですが やはり…

スキーは苦痛でした


ボーゲンが出来ないために(←足が踏ん張れない)
直滑降で滑るしかスベがなく
物凄いスピードで坂を下るのはいいが
止まりたい時はお尻の摩擦で止める方法しか選べなかった


友達が「さっきまで一緒にいたのに…何処へ?」と(私を)探すと
「山の中腹あたりをリフトで通過していった」と爆笑された
↑直滑降だから下に着くのが速いのさ!


コースを外れ 深みに嵌ってもがいていると
「助けてやりてーけど おらぁ あんなとこ 行けねーしなぁ…」
と 上の方から地元民の声がした
↑結局 誰にも助けてもらえなかった


リフト待ちの時に 自分の意思に反してズルズルと滑り落ち
カップルの間に割り込んでしまった
↑とても気まずい思いをした


こけた時に自分の足の下敷になった もう片方の足を
どうやって脱出させるかわからずパニックになった
こけた状態で足を高く上げて板を立てたまま動けなくなる姿は
悲しいくらいに「シンクロナイズドスイミング」


 

あぁ スキーなんて大嫌い


寒い 重い 痛い 
の三重苦

スキーの板は長すぎる! とても私には扱えない!

私にとってスキーは
何一つ楽しい思い出がない

 

そんな私でも あの頃のスキー場を思い浮かべてみると
『秩序』というものがあった様に思う
みんなルールを守り 責任を持って行動していたように思う

それに比べて 今のスキー場はなんだ!

 

あの恐ろしいスノボー軍団はなんだ!


なぜ止まる時に
あそこまで雪を削り あんなに雪を吹き飛ばさなければならないのか?


止まった時にもう少し踏ん張れば立っていられるはずなのに
どうしてわざと転ぶんだ!


転んだ時に なぜニヤニヤしているんだ!
「次は転ばないように気をつけよう」と
反省すべきではないのか?


小さな子どものスノーボーダーまで
人が立っているギリギリのところを滑り
寸前で弧を描きながら私を避け 雪しぶきを上げて止まりやがる
人をおちょくっているのか?
「危ない!」と叫んだ私がバカみたいじゃないか!


あんなことをしていたら…
あれで世の中を渡っていけると思ったら…
大きくなって痛い目にあうぞ!

あの調子で車の運転をしたら絶対に事故るぞ!

私を襲来したスノーボーダー達よ!
安全運転を心がけましょう
無謀な滑りは あなた達だけでなく
私のように 地道に生きている人間の寿命も縮めます!

スキー場での飲酒も止めた方がいいですよ!


アルコールが入るとハイになって
更に無謀な滑り方をしたくなるに決まっている!


飲んだら滑るな! 滑るなら飲むな!

喉が渇いたなら…


期間限定 冬ボトルのカルピスウォーターを飲みましょう!
トロとその仲間なんかがいてとっても可愛いよ


とにかく!とにかくですよ!
スキー場の秩序と平和を守るためにも
スーノーボーダーさん達の骨を守るためにも

くれぐれも安全滑降でお願いします!

と声を大にして言わせてもらいましたっ

以 上

 

ふぅ~

オチも思いつかないくらい一気に書いてしまったわ

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大阪で生まれた女やさかい~♪

2006-12-19 | エッセイ

大阪弁と言えば 吉本の芸人が喋る
「そうでんねん」「ちがいまんねん」みたいな言葉!
って 思っている人が多いのではないでしょうか?
でも
それは 大きな間違いです
地域によって 様々です
神戸方面の言葉や 京都方面の言葉がミックスされて
微妙に違う言葉が交錯しています

だから 大阪の男性が 女性をお茶に誘う時
誰もが「ねぇちゃん 茶しばきに 行けへんけ?」
とは言いません(念のため)

私が住んでいたのは大阪寄りの兵庫県でした
私が喋っていた大阪弁の特徴は…
「・・・やねん。」「・・・やのん?」「・・・やんか!」といったように
語尾の中に「ん」がつくことかな

例えば…

遊ばない? → 遊ばへん?(遊べへん?)
楽しかったの! → 楽しかってん!
だめだって言ったじゃないの! → あかんって言ったやんか!
そうじゃないの? → そうなんちゃうの?

こんな感じです

私は関西を離れて18年になります
両親もこちらに来ているので 関西に帰省することはありません
子どもが生まれてからは
ハワイへは行っていても 大阪には行っていません
ふだんは 標準語で話しています
夢の中でも標準語で話しています

「関西出身です!」と言うと
「やっぱり~!でも言葉では全然わからないね」と言われます
私の思考や行動やツッコミが
「生粋の関東人ではない」
と思わせる何かを持っているからなのでしょうか
どの方からも「やっぱり~」という言葉が返ってきます

大阪で生まれた女のくせに
ガンバ大阪ではなく 浦和レッズを応援するような
そんな 無情の女ですが
最近 ブログを通してお近づき(?)になれた
misaさんmayukwさんのブログ(特にコメント欄)を読んでいると
沸々と昔の私がよみがえってきました

彼女達の話す(書く)大阪弁は(misaさんは「神戸っ子です」との申告がありました)
私の住んでいた所と近いこともあり
とても 似ています
と言うか ほとんど同じです

そして コメントを読んだり書いたりしている時は
私の頭の中も
すっかり『大阪の女』に戻っています

「のだめカンタービレ」に出てくる

ハリセン(江藤耕造先生)の大阪弁まで心地よい♪


特に この数日間 misaさんと メールのやり取りをすることが多々あり
その自由奔放な神戸弁(?)の文体にすっかりはまってしまいました
(最初は「misaさん」「kana2さん」と呼び合っていたのですが
 同級生ということが判明してからは
「misaちゃん」「kanakanaちゃん」になりました)
misaちゃんからのメールを読んだ後は
どっぷり大阪弁(でなくて神戸弁!←あぁややこしい)モードです
まるで
新大阪の駅に降り立った時
頭の中の言語モードが一気に「大阪」に切り替わった時のようです
でも なんとも言えない「しっくり感」があるのは
私が大阪で生まれた女やからなんやろうなぁ…

と前置きが長くなりましたが…
(実は前置きだったんです!)

ちょっと前に ぽんずこちゃんから「方言バトン」が回ってきていたので
この 大阪弁モードのまま やってみたいと思います

質問には素直に答えるのではなく
自分の方言に訳せばいいそうです
(もっとたくさん質問があったのですが勝手に端折りました


【1.あなたは何をしているのですか?】

あんた 何してんのん?
 

【2.私はあなたが好きです】

あたし あんたのこと 好きやわぁ


【3.やめてください】

やめてんかぁ~!
 

【4.本当にやめてください】

マジでやめてって言ってるやんか!
 

【5.怒りますよ】

怒るでぇ~
 

【6.アムロ・レイ 行きます!】

アムロ・レイ 行くでっ!
 

【7.ドラえも~ん なにか出してよ!】

ドラえも~ん なんか出してぇ~な~!
 

【8.これは本当にどうしようもありません】

こんなん ホンマに どないせいっちゅうねん!
 

【9.私は油濃い料理が嫌いです】

あたしは 油っこい食べもんは嫌いやねん
 

【10.本当に面倒臭いです】

むっちゃ めんどくさいわぁ
あぁ~かったるいなぁ
もうこんなん ほんまに やめたいわぁ
 

【11.本当ですか?】

ほんまやのん?嘘ちゃうのん?
嘘ついたら 口(が)曲がんねんでぇ~

 

あぁ…だんだん頭と言葉が変になってきたのでこの辺で終りにします
バトン…誰かに回さんといかんねんけど
誰かやってくれる人いるかなぁ?
フィフティーさん
お暇な時に 佐賀弁でやってみいひん?(やってみない?)
別にいそがへんから そのうちでええよぉ~

…と 大阪弁で字を打っていて気が付きました

漢字の変換がメチャクチャになる!


だって…

うそちゃうのん?→ 嘘茶宇ノン
いそがへんから → イソが編から

なんじゃこりゃ?


 あぁ…
私にしては長文の記事になってしまいました
最後まで読んでくれてありがとう
ちゃんと読んでくれへんかった人は…
ふりだしへ戻るっ

 



あと6日だよん

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運の悪い女

2006-10-17 | エッセイ

私って「運の悪い女だなぁ」って
つくづく 思う時がある

それは

スーパーのレジ待ちをしている時だ

厳選してレジを選んだにもかかわらず
「この列にしてよかった!」と思う時などほとんどない

 

すいていると思って並んだ列なのに やけに進みが遅いので
首を伸ばしてレジの人をよ~く見てみると
「実習生」
というワッペンを付けていた とか…



カゴの中の商品が少ない人の列に並んだつもりでいたのに
前の人のカートの下に もう一つの買い物カゴがあって
つまり
 
「カゴが二つの大量購入者!」ってことで
目の前で延々とピッピッ…!が続いたり…


順調に進んでいたのに
「ちょっと値段を見てきますね~」
と言って
レジの人が売り場に走り去ってしまったり…

「私が見に行ってあげましょうか?」って思っちゃう


若干列が長いように思えたから その列を避けたのに
あとからその列を覗き見ると
あっちはバーコード担当と会計担当の
二人体

私の並んだレジより 断然進みが速かったり



あまりにも進まないから違うレジの列に並び替えると
さっきのレジの方に助っ人が入り(二人体制になり)ガンガン進み始め
「動かなければよかったって後悔したり…


進みが遅いけれど「我慢 我慢」と思い
列を変えずに耐えていたら
となりのレジに助っ人が入りガンガン進み始め
私よりずっと後に並んでいた人なのに先に順番が来るのを見てしまい
「やっぱりあの時動けばよかった
って後悔したり…


次だ!と思って構えていると
前のおばぁちゃんが 財布の隅から小銭を探し
1枚ずつトレイに置いていたかと思ったら
「あらぁ~1円足りないわぁ 1万円からでいい?」
なんて小銭を1枚ずつ戻し始めたり…


あぁ…

なんだか いつも いつも
悔しい思いをしているような気がする


むやみに長い「レジ待ち」と「信号待ち」は
人生のロスタイムのように思う

でもね
私もひとつだけ「ついているな!」って思うことがあるの

それは

一発逆転
「レジのオープンダッシュ!」

開けてくれそうなレジを察知する嗅覚には自信がある!
「レジのオープン1番乗り」の勝率はけっこう高いかもしれないなぁ

 

 

 

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さぶ~い彼

2006-09-15 | エッセイ

私の昔語り(?)の第2弾です

ロマンチストな元宮くん(仮名)

中学時代の同級生元宮くんは 背が高くて 痩せていて 耳が大きかった
頭は悪くないし サッカー部だったし
もてそうな気もするが
全然もてなかった

その元宮くんが「告白した!」という噂を耳にした
しかも「付き合い始めた!」というじゃないか!

誰?誰?相手は誰だ!

興味津々
「元宮の彼女を捜せ~!」

ということで聞き込みをしたところ 労せずに相手がわかった

ふみちゃん(仮名)だった

ふみちゃんは 背が低く どちらかというとちょっと太り気味で
テニス部だったせいか色が黒い
そんなに美人でもないけれど かといってブスでもない
頭が良いわけでもないが 悪いわけでもない
ちょっとやさしくて ちょっと涙もろい…
きっと本宮くんにとって「守ってあげたくなるタイプ」だったんだと思う

ヒョロヒョロっと背が高い元宮くんと コロコロっとしたふみちゃん
なんとなくお似合いのような気がしないでもない

ある日の午後 情報が入ってきた
「今日いよいよ元宮がふみちゃんと一緒に帰るらしいよ!」
見たい!見たい!
あの二人が並んで歩く姿をこの目で見てみたい!

ふみちゃんと元宮くんは家の方向が90度くらい違うのだが
「どこまで送るのだろう?」「何を話すのかな?」
私と友達は靴箱の陰に隠れて二人が来るのを待った
二人が現れた!
靴を履き替えている間に
私たち3人は校門を出て坂の上のフェンスの陰に隠れた

校門を出て坂道を登る2人
息を殺してフェンスの陰から2人を見守る3人(私たちのこと)
その時3人が 目にしたもの耳にした言葉は…

元宮くんがふみちゃんに聞いた

「寒いかい?」

そして 本宮くんは自分の上着(学ラン)を脱いでふみちゃんに着せ掛けた
寒くもない日に!

元宮くんがふみちゃんをどこまで送ろうが 二人がどんな話をしようが
そんなことは もう どうでもよかった
二人が私たちの前を通り過ぎると ダッシュで教室に戻り
残っている女子に
「元宮の寒いかい事件」を伝えた

その後も二人の交際は続いていた
ある日の昼休み
「急いで!早く!渡り廊下の手前に来て!」と
友だちが私を呼びに来た
「何?何?どうしたの?」と駆けつけてみると
廊下の壁にもたれたふみちゃんと向き合うように元宮くんが立ち
ふみちゃんの両頬の横の壁に(突っ張るように)両手をついていた!
よく少女漫画なんかで男の子が彼女にする『あのポーズ』だ!
私達は声を殺すように笑いながら教室に戻り
「元宮・廊下でくどきのポーズ事件」を女子に伝えた

その後あの二人はどうなったか…

「廊下でくどきのポーズ事件」から少し経った頃
「他の人を好きになったの」とふみちゃんに言われ
本宮くんは振られた
振ったふみちゃんは すぐに新しい彼と付き合い始めた
再びロンリーになった元宮くん
ちょっと可哀想だったかな?(笑)←なぜか笑っている


まだまだ書きたい「彼」はいますが
とりあえずこの辺で!
また 気が向いたら書くかもしれないけど…

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ダンディ~な彼

2006-09-14 | エッセイ

私が「中学・高校時代」の話をすると
コドモたちが目を輝かせて聞いてくれる
恋愛物でもない 友情物でもない ましてや人情物でもない
ごく普通の中高生の話なのに…

イケメンな追川くん(仮名)

小学校の頃 追川くんのお母さんが開いている書道塾に通っていた
そんなこともあって 追川くんのことは幼ない頃からよく知っている
なのに ちょっと近付きにくいところがあった
私は小学校の6年間 ほとんど「前にならえ!」をしたことがないチビだったのだが
(背の順が1番前なので その時はいつも腰に手を当てていた)
追川くんは小さい頃から ず~っと背が高かった
しかも男前だった
で なんとなく気軽に声はかけられなかった
中学校では同じ塾(少人数の数学塾)に通っていたにもかかわらず
やっぱり 気軽には声をかけられなかった

中学の頃 追川くんは女子からモテモテだった
同じ塾に通う私は そんな女子から羨望の眼で見られていた
数学塾は「女の子のクラス」と「男の子のクラス」に分かれていたのだが
母が「数学は男の子の方が強いから 男の子の中で学びなさい!」と言い
先生に頼んで男の子のクラスに紅一点で入れてもらっていた
塾内では 私は無口だった
当てられた時を除いては 男の子の話を聞きながら
くすっと笑うくらいしか声を発しなかった
正負の計算の答えを一人ずつ言っていく時など
男の子達は阪神タイガースの選手の背番号で答えたりしていた
「真弓!」「マイナス掛布!」とかいった具合に…
私は巨人ファンだったけど 阪神の選手の背番号くらいならわかるので
クスっと笑いながら何不自由なく「○付け」をしていた

修学旅行の後
塾で追川くんのことが話題になった
「修学旅行で追川がなぁ~夜中にバサッと起きて

ニワトリはセクシー

って言ってんでぇ~」
(塾内大爆笑)

無口な私も思わず吹いてしまった
吹いた後にゆっくり考えてみた

ニワトリのどの辺がセクシーなんだろう?肩の辺りかな?
セクシーということはメンドリ限定なのかな?

話はまだ続く
修学旅行2日目の夜
またもや追川くんは夜中にバサッと起きて

はらたいらさん に 3000点!

と言ったそうだ
もちろん どちらも寝言なので 言った後には又バサッと寝たらしい


当の追川くんは「そんなこと言ってへんって!」と普通に笑っていたが
私には笑撃的で 忘れることができない

追川くんは背が高く イケメンで 頭も良い
スポーツ万能でバスケ部のキャプテンもしていた
その反面
とってもお茶目な一面もあったのだ
追川くんファンの女子達がどこまで知っていたかは定かではないけれど…

「ねぇ!追川くんて 塾ではどんな感じなの?」と聞かれたことがある
私は正直者だから 正直に答えてあげた

「この前ね アロハシャツを着てきたの!みんなが おおおっ!って見たら
片手を挙げて アロ~ハ~♪って言ったよ」


高校も追川くんと同じ高校だった
芸術の選択は同じ「美術」だった

『建築設計予想図』を描く授業があった
私は提出前には家へ持ち帰り 毎日毎日かなりの時間を費やして描いていた
レンガ1枚1枚を丁寧に描いた力作 『ブティック CHOPIN(ショパン)』だ!
達成感に浸りながら
美術室で自分の机の上に作品を置き 先生が来られるのを待っていた

そこへ追川くんがやって来た
「お~い!見てくれ!俺めっちゃ頑張ってんでぇ~
スゴイやろ~!
ブティック・ダンディーや!」

パネル張りをした作品をみんなに見せびらかしていた
ダンディーがカタカナだったか英語だったか記憶にないが
なんだか うねうね~っとダンディ~~って描かれていたのを覚えている

追川くんは私の横を通って自分の席へ向かった

その時

私の作品が視界に入った追川くんが振り返るなり叫んだ

うわぁっ!スゲッ!うまっ!何コレ?

すっげぇ~~

あれだけ自信満々に教室に入ってきた追川くんだったが
数分後にその自信が崩れ落ちたようだった
「ブティック・ダンディ~」を抱え ガックリと肩を落とす追川くん
そこまで落ち込むこともなかろうに…
とは思ったが
ちょっとうれしかった

風の噂によると
追川くんは体育大学を卒業後 九州で高校の体育の先生になったそうだ
そして 中学時代から付き合っていた女の子と結婚したらしい


 



明日は さぶ~い彼 を紹介しま~す!

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そう言えば…

2006-08-07 | エッセイ

殿の母は総入れ歯である

うちに泊まりに来た時は
夕食の後 洗面所へ行き 入れ歯を外し
水を入れた自分の湯飲みに 入れ歯を沈める
入れ歯を外すと口がクチャクチャになって
喋るとふがふがになる

若が5歳の時
「おばぁちゃん 何してるのかな?」と洗面所を見に行くと
入れ歯を外したおばぁちゃんが若に気付き振り返り
「若くんも ちゃんとハミガキしないと おばぁちゃんみたいになるよ」
と ふがふが言った

(;゜ ロ゜ ); ロ゜)゜ ; ロ)゜ ゜ガクガク…

若はビビりまくって 廊下で固まっていた


またある時のこと

いつもの様に入れ歯を外したおばぁちゃんが
布団に入った その時
洗面所へ行った殿が大声で叫んだ

「おっふくろ~!やめてくれよ~~~!」

壁にヒビが入りそうなくらいデカイ叫びだった

おばぁちゃんは
自分の湯飲みが見つからなかったので
キッチンにあった殿の湯飲みを洗面所へ持って行き
水を入れ 自分の入れ歯を沈めたのだ

「あの湯飲みを見ると お袋の入れ歯が沈んでいる映像が浮かぶ!
もう一生使えない!捨ててくれ

 

それからは 私も
「そう言えば…」という言葉を聞くたびに
おばぁちゃんの「総入れ歯事件」を思い出してしまう

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