各地散策と歴史

写真付き

写真散歩「お寺・住居・電車」

2018-10-05 11:15:36 | 散策
B級グルメと魚介類の好きな私は市内を友と、また一人で各地を歩き回っているが今回、西区の草津へ向けて足を伸ばした。説明は市地域起こし課制作の案内版に目を通して下さい。

さあ~写真散策へ

まず、広島駅でカ-プ優勝の大きなオブジェに目が留まった。



元気キャラも祝福していた。



草津地区町並散歩マップ



教専寺<浄土真宗>



寺門



浄教寺南門



寺南門



海蔵寺<曹洞宗>(禅宗)





封建国家から近代国家へと変わった明治時代、今年は維新150年でテレビ番組もNHKを初めBS民放で旧藩時代から明治時代に関わる変遷を紹介されているが、起点が武士目線からの構成が多く、私は武士瓦解への視点が強過ぎると感じている。庶民目線で時代を振り返ると、明治に入っても90%以上を占めている我々、農・魚・商・職人等など····の庶民生活においては封建制度・慣例は根強く残っており、戦後のマックア-サ-の旧来の統治体制を改革を成されたことにより、やっと今日の民主生活の基礎が出来上がった。

明治~昭和(特に30年代まで)の行政文書、歴史書、村史・町史等を読んでみると江戸時代の延長のような気がすることがある。社会科(公民)で習って皆さんも知られている方が多いと思うが、農家では自作農家と小作農家、町家では家持と借家等は顕著で、その中でも村・町役人<旧町庄屋、庄屋、給領庄屋、畔頭等>【現在の市長(村長)・助役・収入役】も旧時代から継承された旧家が殆どである。商家においても、藩時代の大店は維新を迎えても旧藩時代から続く商家【戦中までの財閥など】が多く、やっと民主国家になったのは70年前の戦後ではないだろうか。 ⇨ 維新は限られた藩(山口県・鹿児島県、高知県····が中心となり、そして戦後の改革は米国が中心となりあらゆる改革が進められた。「学科学力を教えている学校、また私達の少年のころは明治生まれの祖父母、高祖父母が生存されて生証言を聴いている。そしてマスコミ等の実写映像、書掲載の記録写真等で実感出来る。」    (蛇足)➡著名な女性作家が自伝小説を書かれているが、共感した。

当地の草津は旧西国街道の沿線で呉市の吉浦地区と同様、県民の我々は漁師町との念があり、現在でも草津漁港があり漁師さんもおられる。旧藩当時の魚業においては網元と網子、船主と船子と言う従属関係があった。農家で言う自作農家と小作農家の関係は我々の祖父母、両親の時代まで存続していた。「戦後の農地解放令」

初めて草津における親方と漁民住宅案内板を見て興味が沸いた。明治初頭の地方の農家住居は、昭和の戦中までの古写真を見ると農家の多くは茅葺屋根で全面瓦ぶき屋根は珍しい。明治維新の改革~戦後の米国統治改革~現在~少子高齢化➡日本人の減・被雇用者不足・諸外国から雇用確保・政治形態の変革➡······30年後の日本·➡

【私達の孫、曾孫の時代の日本は、現在の日本形態の変革は必至であることの自覚を感じる】現在が後の公民(日本史)の授業となる。50代以上の我々は亡くなっている。

  親方の住居案内



  住 居



  広島電鉄電車「鉄道趣味の方へ」

  商工センタ-付近







  「JR」山陽本線









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