各地散策と歴史

写真付き

埼玉・関東地区散策「NO1」

2019-10-21 13:21:51 | 散策
私は早期予約の格安商品を探し、周期的に中距離旅行・散策に出掛けており今回は、関東地区へ出掛けた。物心が付いたころから叔父(母の弟)から旧陸軍航空機に関する話を幾度となく聞いた事もあり自然と航空機に関心を持つようになった。父も十代の頃、満州で勤務していて終戦後は栄養失調になりながら何とか、引揚者として帰国した。人間の成長には環境(家庭、地域等)、背景(時代、場所等)が大きく影響する事は言うまでもない。明治生まれの祖父母は、平成時代を前に亡くなったが明治時代~戦前・戦中・戦後の過渡期における体験談、両親「私達にとっては曽祖父母・髙祖父母」からの伝承話をしてくれた。私が航空機、郷土史、近代歴史に興味を持つようになった要因の一つでもある。

〖銭形平次〗〖遠山の金さん〗〖鬼平犯科帳〗〖大岡越前〗を見ていた私達、小学校・中学校に入り社会科【原 公民か?】で世界史・日本史を習いドラマと史実の違いに感心を持つようになる。今でも〖大岡越前〗(東山紀之主演)を見ると最終シ-ンでは見事な裁きに涙する。さて旧藩時代の法令、刑罰道具、関連古文書を通じて紹介されている明治大学博物館を訪れた。

 各種十手「目明し・岡ッ引、手先等は公認の幕吏(武士)ではないので、十手は持てなかったようである。」〖同心・与力は武士身分だが、維新後は同心は一時期、与力より下の段に位置付けられた。これは旧藩・県も同様であり、結局その後は同格となっている。〗

 展示されている各種十手「武士である同心、与力が持参していた」



 中学で習った「武家諸法度」〖旧漢字・かな遣い・古文書にも興味が沸いて来た〗



 東京への修学旅行の定番で「浅草」が挙げられるが、お寺の歴史について先生、ガイドさんの説明・案内は記憶にない。



 代々の政権者、徳川家も浅草寺を擁護している。



 参拝には雷門門から仲見世通り宝蔵門を歩くが、その仲見世通りに似顔絵屋さんを見付け私は人生で初めて書いて頂いた。画家の方はお人柄も良く明るい方で好感を抱いた。



 現在の築地市場



 元築地市場近くにある「築地 波除け神社」(つきじ なみよけじんじゃ)周辺は、江戸時代初期の築地一帯は一面の海だった。地区の埋め立て工事で困難を極めて堤防を築いても築いても、激しい波で壊されてしまう。ある日海面に御神体が現れて、畏れて社殿を作りお祀りすると波風が治まった。
 災難を除き波を乗り切る「築地 波除け神社」



 JR御茶ノ水駅



JR東日本新橋駅








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