虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

「新ぱっとしない時代」の代償

2014年10月14日 | 社会のニュースを考える
東京新聞の「時代を読む」のコラム、浜矩子氏の回は、軽妙な比喩とともに、共感してしまう事が多く、見逃せないわけです。

10月12日の「成長の損益分岐点」も、読みながら、そうなんだよねえ、とつくづく思った次第。

一部抜粋してご紹介しますね。国際通貨基金(IMF)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事が「世界はいまや、ニュー・メディオーカーに転落しつつある」と言ったことを受けて、「ニュー・メディオーカー」という言葉の浜氏流の翻訳が、「新ぱっとしない時代」です。

(前略)
「新ぱっとしない時代」への突入を回避すべく、国々は成長戦略を打ち出すべし。政府も民間ももっと投資すべし。生産性を上げるべし。構造改革を断行すべし。ラガルド氏はそういう。実にお決まりの提言だ。
 ラガルド氏は、あえて「新しい」ぱっとしない時代という言い方をしている。つまり、この状態は、従来型の経済低迷とは肌合いが違うと感じているわけである。それなら、この新事態に対して、従来型でお定まりな対処法で臨め、というのはおかしい。新しい酒には、たとえそれがどんなにぱっとしない酒でも、やっぱり新しい革袋を用意しなければならない。そういうものだろう。

 筆者には、どうも、実は国々の成長志向が新ぱっとしない時代入リの真犯人であるように思える。成長ばかりを追い求めるから、成長できない。そういうことなのではないか。その意味で、いまや、成長の損益分岐点を見極めるべき時が来ている。そのように思うのである。

 厳しいグローバリズム競争の下で、国々の企業と政府がひたすら成長を追い求めると、どうなるか。彼らは、即戦力化を期待できる人材を囲い込む。多少とも足手まといになりそうな人々は切り捨てる。ギリギリまで抑え込んだ賃金で、人々がこき使われる状況が現出する。できる人材は、過労死の危機にさらされる。できないと見なされる人々は、切り捨てか使い捨て、いずれかの憂き目に遭う。

 人々がこのような仕打ちを受けている状態の中で、経済活動がぱっとするわけがない。経済活動は人間の営みだ。多くの人々の生活が脅かされている中で、経済活動がいきいきと盛り上がるはずはない。
 育ち盛りの経済には、成長することが必要だ。だが、育ち上がった経済がなお成長を追求すると、それはもはや損益分岐点を割り込んでしまった世界への突入を意味する。「新たなぱっとしない時代」の影は、そのことを我々に警告しているのではないか。

-----------------------


アベノミクスの違和感も、ここにある。みんな本当はダメなことは、わかっているのに、見ない・気づかないふりして、今まで通りでなんとかなるだろう、とカンフル剤を打ち続けているけれど、世界中が成長の幻想を持ち続けて競争すれば、地球はもう1つ必要で、企業はグローバルに広がっているから、競争相手は世界中なわけで。働く人々は競争に疲れ果てて疲弊する。

女性の社会進出を応援してくれるなら、女性の家事労働も、フォローされなければならない。うっかり管理職にでもなって、クタクタに働いたあと、両手いっぱい買い物して、家に帰って休むまもなく、家族の夕飯を作る。健康に気をつけて、素材がわからないような出来合いのものは、食べたくないってやっていたら、体が持たない、矛盾。表向きは、輝いているよ、と言われながら、本当は、無理して無理して死ね、と言われているようだ。涙。
だったら結婚しないで子どもも作らないで、自分一人で働いていたほうがよほど気も楽。でもそれじゃダメだ、結婚しろ、子どもを産め、だものね。もう、そんなのそれぞれの人生だから。
 
経済って元々は「経世済民」、ひとを助け豊かな日常を営むものだったのでしょうに、勝った負けたの競争になって。
競争のストレス発散とばかり、負けたものは自分より弱いものをみつけては、パワハラ、セクハラ。弱いものは更に弱いものをいじめる負の連鎖。家族へのDV、動物虐待、幼児虐待。社会が荒んでゆくばかり。
アウトローになってみたところで、どこに行っても自分の居場所が見つからず、いっそ、イスラム国行って、何かに仕返ししたい、何かと戦って死んじまいたい・・・なんて自暴自棄を起こす若者たちが、世界のあちこちに出現したって、不思議はないような気がする。涙。イスラム国を決して肯定してはならないですが、イスラム国見ると、ワールドワイドなオウム真理教みたいな気がしてくるの。



   おまけですが・・


そういえば、こないだ届いた、民主党の枝野さんのメルマガ、ちらっと浜さんと同じようなことが書かれていました。こっそり、公開してしまいましょうか。って、HPにもでていた。
ほんと、枝野さんはじめ民主党には、もう一度頑張っていただきたいです。枝野さんのお顔を見ると、私は、なんだかほっとします。



Vol.219(2014年09月30日)

【幹事長就任】

去る9月16日、
盛岡市で開催された民主党全国会議員研修会と併せて、
両院議員総会が開かれ、
民主党の新しい幹事長に選任されました。

民主党は、
一昨年12月の総選挙に大敗して以来、
その反省と教訓を踏まえ、
党の改革創生に向けて努力を続けてきましたが、
今なお、厳しい状況にあります。
そのような中で幹事長の大役を担うことには、
率直に言って、ためらいがありました。

しかし、自民党一強体制、安倍総理の一強体制と言われる政治状況の中で、
伝統的な日本社会の良さが、
急激に失われています。
一つは、寛容で多様性を持った
日本社会のしなやかさの喪失です。
様々な考えや思いを激しい批判で封じ込め、
社会全体を一色で染めてしまう、
そんな息苦しさが、じわじわと広がっています。
もう一つは、「一億総中流」とも言われた
分厚い中間層の崩壊です。
輸入物価上昇という円安の副作用によって
多くの所帯は実質所得が減少し、
若い世代は格差と貧困の閉塞感に覆われ、
シニア世代の多くも医療や介護などに対する不安を高めています。


残念ながら今は、
こうした流れに対して厳しく対峙する監視役、ブレーキ役が存在せず、
アクセル役しかない政治になってしまっています。
野党第一党である民主党が、
この1年9ヶ月の間に内部で積み重ねた党の改革創生に向けた議論を、
国民の皆さんから見える形で実践し、
少しでもその信頼と期待を取り戻すとともに、
厳しく安倍自民党に対峙し、
日本社会の持ち味を守るブレーキ役を果たしていかなければなりません。
民主党が「何を考え、何を目指し、何を実践しているのか」ということを、
より分かりやすく伝えることこそ、
自分の持ち味だと思っています。


幹事長の役割といわれる選挙については
岡田代表代行や馬渕選挙対策委員長、
組織強化については同じ埼玉県選出の武正組織委員長などの方々と、
それぞれ協力しながら、
自分の持ち味を生かして、
自民党に対峙し得る存在として
民主党を再生させる先頭に立って参ります。

皆さんには、引き続き、
温かいご支援と厳しいご鞭撻をお願いいたします。
 


ほんとうに救われるのは、まず強いものがより利益を得るばかりのアベノミクスじゃなくて、まず弱いものに手を差し伸べるエダノミクスだと思います。


★関連記事
 枝野経産相の提言する日本の行方・廃炉と負の再分配


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今年のノーベル賞に思ったこと | トップ | 人工甘味料で糖尿病、肥満の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会のニュースを考える」カテゴリの最新記事