カロンセの歌
カンダラムジムジの うでにだかれて
アリッタキユカユは しんだ
チリンボランのはなを つんで
テレメンギに そなえよ
トリンクラの ふねは
ラダのみなとを ふなでする
すべてのヌイコネを つれて
いまこそ サナンドのしまへ むかおう
ああ われらのアリッタキユカユ
あなたのくろいかみは へびとなる
あなたのくちびるは いちごとなる
トリメラよ そらにかがやけ
谷川俊太郎
カンダラムジムジの うでにだかれて
アリッタキユカユは しんだ
チリンボランのはなを つんで
テレメンギに そなえよ
トリンクラの ふねは
ラダのみなとを ふなでする
すべてのヌイコネを つれて
いまこそ サナンドのしまへ むかおう
ああ われらのアリッタキユカユ
あなたのくろいかみは へびとなる
あなたのくちびるは いちごとなる
トリメラよ そらにかがやけ
息子が幼稚園のころ、図書館で借り読んであげたら、大笑いしていた詩。
なんだこりゃあ~って。なるだけ「きりりっ!」と読み上げるのがいい。
単語の意味は不明だけど古代ローマの詩みたいで、ファンタジー系冒険映画のナレーションみたい、ありそうでなさそうで、かっこいいのだ。
「エヴァンゲリオン」に関して言うなら、もともと興味があるわけでもなく(おばさん的には萌系のアニメの絵も苦手)、せいぜい「アリッタキユカユはしんだ」くらいのイメージしか持ち合わせていなくて、今どきのエンターテイメントなんだろうなとは思いつつ、曖昧な認識しかなかったのですね。
もちろん積極的に見ようとも、ぜんぜん思っていなかった。
ところがであります。
我が家の不思議人間が、以前テレビ放送された「エヴァンゲリオン」を見て、この映画の意識レベルがものすごく高い・・・っていうんですね。理由はわからないけれど、なぜか高いんだって。(キネシオロジーテストの答えは、人知の範疇を超えているので、頭で考えてもわからないことも、よくありますから。)
だから見ようって。意味不明だけど、正直、いやいや見た。
理不尽でわけがわからない「使徒」と呼ばれる生命体が、空から降りてくるっていうか、順次、街を襲ってくるのです。人間たちは、敵が襲ってくるたびに、地下に避難する。
使徒に対して、選ばれし少年少女が、人型のロボット「エヴァンゲリオン」に乗り込んで戦う。しかしこのこのエヴァンゲリオンは、乗った者の意志に同調して、有機的に変化するという魔化不思議なロボットだ。
乗組員は決して鍛えられたマッチョな戦士ではなく、それぞれのエヴァンゲリオンに適合した体や意識を持っているらしく、ほとんど強引に乗れと言われて乗り込まされているわけで。ワケありの親子関係も暗い。
戦闘シーンが長すぎて、前回は途中で見るのが耐えられなくなって最後まで見なかった。
(後でより詳しく調べたら、映像ではなくて、この映画の持つテーマがものすごく高い意識レベルであると、わかったのだが)
今年の夏も、シリーズを先々週から3週にわたってテレビ放送された時、不思議人間がやっぱり、これ意識レベルがものすごく高いんだよ、っていう。あまりにも高すぎて、多分私の理解の範疇を超えてるんだろうと思っていた。
ところが今回は、不思議人間がヒントをくれた。
地球をひとつの生命体と考えた時、人間も地球を構成する細胞の一つであると考える。
「使徒」は、使徒と言いながらも人の形とは程遠い、幾何学的な立体であり、攻撃されることによって逆に変幻自在に形を変え襲いかかってくる。それは、丁度、人間に襲いかかるウィルスと思えば、これは、まさに人体で起こっている戦いと同じだよ・・・と言うのである。
そう言われたら、突然腑に落ちた。くしくも、エボラにデング、まさにウィルスに脚光が当たる今年の夏だから、よけいにわかりやすかったし。
戦車やミサイルによる攻撃は、現代医療だ。薬や放射線で、直接、退治しようとしても、簡単にはゆかない。しかし体の中で起こる免疫機能は、非情に複雑怪奇で、時に人知を超える結果を導き出すことがある。そこには、免疫機能を活性化させるための人の意識・・・も深く関与している、と、経験的に理解している。私どもの周辺の狭い経験ではありますが・・・。
とすれば、綾波レイや碇シンジは、選ばれしNK細胞か。
しかし、3週目の放送では、さらにわかりにくい展開となった。突然、14年の時がたち、味方だったはずのものが、お互いに敵となって戦っている。本当にわけがわからない。でもやっぱり、3週目も同様の高い意識レベルだったから、見ました。
シンジくんの前に突然現れた、シンジくんの気持ちをすべて見透すカオルくんという存在。「死」は終わりではないというメッセージを暗に残して破滅を防ぐため自らを犠牲にして死んでしまった。
生命は「負けを経験することで進化する」というのは、分子生物学者・福岡伸一氏先生の言葉ですが。
振り返って、今の人類が今のまま変わらずに、金融資本主義のもと、自然強奪、搾取を続けていたら、地球は、もう一つなければ維持できない、というWWFの報告。
すれば、地球が維持できる状態に戻すために、人類が人類の手で、やり直せる方法はどうすればいいのか。人類補完計画とはそれは究極の選択だ。
そんなことをしない未来であって欲しいと願うばかりだが、現実はどうなのだろうか。
現実、目先10センチのことであくせくする日常。政治をみれば、さらに気分が悪くなる現実。
時に、もっと大きな目で、未来をどう創るのか、そんなことを考えさせてくれる、だからこの映画の意識レベルは高いのだろうと、不思議人間も言っていました。
・・・見た人それぞれに一家言、出てくるような映画かもしれません。まあ、こういう見方もある、というそういう感想でありまする。
教外別伝(きょうげべつでん)、不立文字(ふりゅうもんじ)、直指人心(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)。
達磨大師の四聖句。セロトニンが導く、悟りの世界です。意味はご自由に・・・調べるなり、感じてくださいませ。
これはタイトルだけ知ってるかな?
という、傍観者です。(^人^)
でも
タツノコプロが関わってるんですねぇ。
今頃知りました。
むかーし「AKIRA」は
映画館で観てます。
重苦しい感じを憶えているだけですが^^;
「プラネテス」はいいですよ~。
私も、つい最近までは完全傍観者でしたから(笑)
また、このアニメには、心底ファンの方たちもいらっしゃるようですし
初見で、このような解釈では、飛躍しすぎてファンの方には、無視されると思いますけれど(笑)
昔「ミクロの決死圏」という、人間の体内に入り込んで、病気治療をするという、SF映画がありましたが、
どこか似ているところがあるような気がします。
治そうとするのに、身体は、異物と判断して白血球たちが襲ってくるのですね。
>「プラネテス」はいいですよ~。
「AKIRA」も、聞いたことある程度ですが、それは全く知りませんでした。
東京新聞を勧めてくださったローズクォーツさんのおすすめなら、見てみたいです。
実際に、石巻などの人は、津波で流され、渦巻く破片で身体を切られ回り、もうダメだと思ったら、海上に漏れた油に火がついて、焼け死んでゆかれた。
御嶽山でも、小5の女の子が、突然噴火した無数の小石に打ちぬかれて、身体のあちこちを切られて、死んでゆかれた。
シリアの長引く内戦でもそうでしょう。エヴァの様に中学生の多感な子供であっても、非日常的な災難を体験しています。エヴァの暗さは、そうして亡くなった魂へのレクイエムの側面があると思います。
エボラ出血熱もそうでしょう。
しかしエヴァが福音になっているのか、まだよくわかりません。
地下水さんのコメントを読みながら、この世に生まれて生きることの虚しさ、悲しさをしみじみ思いました。
たしかに人生には理不尽がそこここにあって、今、元気で生きていた少女も、一瞬先は、何があるかわからないのだ、ということ。
記事では、人体の中の戦いに例えて書いてみましたが、地下水さんの言われたように、エヴァンゲリオンは、この世の理不尽の象徴の物語とも言えるのかもしれませんね。
ハッピーエンドがあっても、人生は続き、また次の試練がやってくる。いいことばかりの人生なんて、ないのだと思います。ただ、その時どう乗り越えてゆくのか、それが生きる醍醐味なのかなと。
ひとつ、エヴァが不思議なのは、乗務員の意志の力によって、違う姿を表わすこと。そこに、救いを見い出したい、と思うわけですが・・・。