8月31日の夜。猫の爪みたいに、くるんと細長く、とがった三日月が見えた。
セミの声から、夕暮れには秋に鳴く虫の声がして、ああ、いつもと同じ夏休みの終わりの気分・・・とも言えなかったのは、
虫の声をかき消すように、またもやサイレンをならしながら救急車が走っていったから。
病院へ行く1本道が近所にある、という理由もあるけど、とにかくセミの声より救急車の音の方が耳に残ったこの8月でした。
9月1か月予報では、全体として降水量は平年並みか多く、晴れる日は平年並みか少ないけど、気温は平年並みか高い、ということです。
暑くて不安定な天気の夏は、まだ続くようですね。
8月30日ゴルビーが亡くなった。私にとっては、大好きな政治家の一人だった。
ソ連の最後の書記長で、最初で最後の大統領。この後ソ連が崩壊してロシアになったから。
現役時代のゴルバチョフの言葉の明晰さと明るさ。鉄のカーテンのソ連のイメージとかけ離れたようなゴルビーは、当時、本当に格好良かった。
この後、小さな蝶の羽ばたきがめぐり巡って、大きな風を起こしたのを見た。
キューバ危機を乗り越えてもなお、米ソの緊張が続いたから、東西冷戦を終わらせたその功績は、何物にも代えがたかった。
あの頃は、「風が吹くとき」「ターミネーター」「猿の惑星」など核戦争を内在した映画も何本も作られていた。
それらは、ファンタジーやSFに見せかけて、リアルな現実として、あり得るかもしれない話だったのです。
ロシア国内では評判が悪くても、もしゴルバチョフでなかったら、常に何があるかわからない緊張状態は、今も続いていたかもしれないし、最悪、運が悪ければ、ターミネーターのような未来になっていたかもしれない。
ロシア人はおもしろくないかもしれないけど、彼は、平和を守ったキーパーソンだったと思っています。
平和構築の功労者か、社会主義の破壊者か ゴルバチョフ元ソ連大統領(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
上のヤフーニュースのオーサーコメンテーター佐々木正明氏の意見になるほどなと思った。
(抜粋)
ゴルバチョフ氏のロシア人の評価を示す有名なCMがある。1990年代後半に放映されたピザハット(★軍事侵攻受けてこの春撤退した)のCMだ。
赤の広場を歩くゴルビーと少女。2人は広場近くの店に入る。すると居合わせた家族連れがざわざわし始め、やがて父と息子が口論を始める。
父「彼のせいで経済が混乱した」
息子「彼のおかげでチャンスを得た」
父「彼のせいで政治の混乱が起きた」
息子「彼のおかげで僕たちは自由を得た」
「希望だ!」「カオスだ!」
議論はエスカレートしていき見かねた祖母が
「彼のおかげで私たちにはたくさんのものがあるじゃない。ピザハットのように」
と言って2人を諫める。
CMは乾杯グラスのようにゴルビーに向かってピザの一切れをあげて終わる。
露での相反する評価はまさにこれにつきる。
ゴルバチョフ氏のロシア人の評価を示す有名なCMがある。1990年代後半に放映されたピザハット(★軍事侵攻受けてこの春撤退した)のCMだ。
赤の広場を歩くゴルビーと少女。2人は広場近くの店に入る。すると居合わせた家族連れがざわざわし始め、やがて父と息子が口論を始める。
父「彼のせいで経済が混乱した」
息子「彼のおかげでチャンスを得た」
父「彼のせいで政治の混乱が起きた」
息子「彼のおかげで僕たちは自由を得た」
「希望だ!」「カオスだ!」
議論はエスカレートしていき見かねた祖母が
「彼のおかげで私たちにはたくさんのものがあるじゃない。ピザハットのように」
と言って2人を諫める。
CMは乾杯グラスのようにゴルビーに向かってピザの一切れをあげて終わる。
露での相反する評価はまさにこれにつきる。
確かに、共産主義国ソ連は、突然の変化に混乱したことだろう。
私も、大国と信じて疑わなかったソ連がいともたやすく崩壊してしまうという歴史の局面や、ベルリンの壁の崩壊を、テレビ桟敷とは言え、この目で見られたのは、今となっては感慨深い。
今また、プーチンのような人物が暴挙を起こして殺戮を止めないのは、運命の皮肉なのか。
だからこそ。今。
ゴルバチョフ氏がやったこと、やろうとしていたこと、伝えてくれたこと。
人権と自由の意味、人の命の大切さ、言論による民主主義、核兵器の批判と世界の平和。
もう一度、思い起こすときだと思う。
ゴルビー、ありがとう。723P悟り。
亡くなった今もパワーのエネルギーを失っていない。
最愛の奥様ライサさんと会えたでしょうか。