前に書いた記事、「あまちゃん」のテーマでセロトニン出してたに、Lucaさんより頂いたコメントです。
実は、単純に面白かったから記事にしただけで、番組自体の意識レベルを測ったことはなかったのですが、この機に乗じて?(笑)、調べてみました。
すると、意識レベル「受容」350超のパワーの領域の番組でした。
「パワーかフォースか」の「受容」の部分を読んでみると、人生をあるがままに受け入れること、幸福や愛とは「向こうに」あるものではなく、自分の内側から創造されるもの、というような記述があり、なんだか妙に納得してしまいました。
それは、3.11のショックからやや落ち着きを取り戻した頃、まだ東京にいたアキちゃんが、北三陸の夏バッパにメールしたら、その返信が、一言「おがまいねぐ」たっだのに象徴されます。
「受容」とは、起こったことに対して、誰かを恨んだり何かのせいにするのではなく、現実を受け入れ立ち直っていく能力です。
特にドラマ後半では、人々が力を合わせて北三陸の再生に向かっていく姿に、勇気をもらった人も大勢いたのではないでしょうか。
誰もが平等で、存在を受け入れられる居場所がある・・・ドラマ「あまちゃん」をご覧になった方は、番組全体をイメージしながら、下記を読んでいただくと、わかりやすいと思います。
ところで、少し気になっていたのですが、このブログで取り上げられているドラマなんかもやはり、意識レベルとかで決まっているのでしょうか?だとしたら、「あまちゃん」の場合、観ててあれだけ気持ちがよくなるってことは…?
実は、単純に面白かったから記事にしただけで、番組自体の意識レベルを測ったことはなかったのですが、この機に乗じて?(笑)、調べてみました。
すると、意識レベル「受容」350超のパワーの領域の番組でした。
「パワーかフォースか」の「受容」の部分を読んでみると、人生をあるがままに受け入れること、幸福や愛とは「向こうに」あるものではなく、自分の内側から創造されるもの、というような記述があり、なんだか妙に納得してしまいました。
「来るもんは拒まず、去るもんは追わず」と、人生を受け入れてきた夏バッパ。
でも、長いスパンで見たら、「おらの人生、大逆転だ」
それは、3.11のショックからやや落ち着きを取り戻した頃、まだ東京にいたアキちゃんが、北三陸の夏バッパにメールしたら、その返信が、一言「おがまいねぐ」たっだのに象徴されます。
「受容」とは、起こったことに対して、誰かを恨んだり何かのせいにするのではなく、現実を受け入れ立ち直っていく能力です。
特にドラマ後半では、人々が力を合わせて北三陸の再生に向かっていく姿に、勇気をもらった人も大勢いたのではないでしょうか。
誰もが平等で、存在を受け入れられる居場所がある・・・ドラマ「あまちゃん」をご覧になった方は、番組全体をイメージしながら、下記を読んでいただくと、わかりやすいと思います。
エネルギーレベル 350:受容
意識のこのレベルでは、自らがソース(源)であり、自分自身が人生のクリエーターであるという意識とともに大きな変容が起きます。「自分がすべての根源である」という責任を持つのは、このレベルの進化に特有なものであり、生命のエネルギーと調和を持って生きることができる能力が特徴です。
200未満のレベルにおけるすべての人間は無力な傾向があり、自分を哀れな人生の犠牲者とみなします。これは、幸福の源や問題の原因が「向こうに」あるという信念から起きます。幸せの源は自分の内にあるという気づきから、自分自身のパワーを取り戻す大きなジャンプが、このレベルで完成します。
さらに進化した段階では、自分を幸福にする能力は「向こうに」は何もなく、そして「愛」は人から与えられたり、人から奪ったりするものではなく、自分の内より創造されるものであるということに気づきます。
このレベルを受け身と誤解してはいけません。受け身は無関心の徴候ですが、「受容」とは人生をあるがままに受け入れることです。そこには感情的な穏やかさがあり、そして否定を乗り越えると、物事の見方が広がってきます。
人はこの状態で、歪みも誤解もなく、ものごとを見ることができます。経験の内容は拡大されるので、「全体像を見る」ことができるのです。「受容」は本質的にバランス、割合、適切さに関係します。
「受容」のレベルにある個人は、正しいか間違いかを決めることに関心はなく、その問題の解決策を見つけ出すことに全力を尽くします。きつい仕事に対して、不快に感じたりうろたえたりしません。長期目標が、短期目標より優先します。自己鍛錬と物事に精通することが際立ってきます。
「受容」のレベルでは、争いや抗争によって二極化することはありません。他の人達も自分と同じように権利があるので、平等さを尊重します。
また、低いレベルは硬さが特徴ですが、このレベルにおいては社会的な二極化は、問題解決への一段階として生じていると見え始めます。したがって、区別や不寛容さはありません。平等とは、多様性を無視しないという理解があるので、「受容」はむしろ全体を含めます。
意識のこのレベルでは、自らがソース(源)であり、自分自身が人生のクリエーターであるという意識とともに大きな変容が起きます。「自分がすべての根源である」という責任を持つのは、このレベルの進化に特有なものであり、生命のエネルギーと調和を持って生きることができる能力が特徴です。
200未満のレベルにおけるすべての人間は無力な傾向があり、自分を哀れな人生の犠牲者とみなします。これは、幸福の源や問題の原因が「向こうに」あるという信念から起きます。幸せの源は自分の内にあるという気づきから、自分自身のパワーを取り戻す大きなジャンプが、このレベルで完成します。
さらに進化した段階では、自分を幸福にする能力は「向こうに」は何もなく、そして「愛」は人から与えられたり、人から奪ったりするものではなく、自分の内より創造されるものであるということに気づきます。
このレベルを受け身と誤解してはいけません。受け身は無関心の徴候ですが、「受容」とは人生をあるがままに受け入れることです。そこには感情的な穏やかさがあり、そして否定を乗り越えると、物事の見方が広がってきます。
人はこの状態で、歪みも誤解もなく、ものごとを見ることができます。経験の内容は拡大されるので、「全体像を見る」ことができるのです。「受容」は本質的にバランス、割合、適切さに関係します。
「受容」のレベルにある個人は、正しいか間違いかを決めることに関心はなく、その問題の解決策を見つけ出すことに全力を尽くします。きつい仕事に対して、不快に感じたりうろたえたりしません。長期目標が、短期目標より優先します。自己鍛錬と物事に精通することが際立ってきます。
「受容」のレベルでは、争いや抗争によって二極化することはありません。他の人達も自分と同じように権利があるので、平等さを尊重します。
また、低いレベルは硬さが特徴ですが、このレベルにおいては社会的な二極化は、問題解決への一段階として生じていると見え始めます。したがって、区別や不寛容さはありません。平等とは、多様性を無視しないという理解があるので、「受容」はむしろ全体を含めます。
そうですとも。起こることに意味のないことなんかないと思います。
でも・・くさい言い方になってしまうけど、人生には、「まさか」の坂が、1つ2つ、必ずあるんですね。
乗り越えると、きっと別の景色が見えてくるかもしれませんよね。
この曲、プレゼントね。
http://www.youtube.com/watch?v=9AlEF5Lxys8
ありがとうございました。
総集編あるんですね。
最初の頃は、春子さんがえらく怖かったですよ(汗)
夫婦が元の鞘に収まって、本当によかったなと思います。(笑)
そうでも思わないとやり切れない出来事が多かったからです。
今自分が置かれている状況にも何かしらの意味がある、メッセージがあると信じています。
私はこの夏「半沢直樹」にハマってました(^^;
言ってみたい「倍返しだ!」☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
実は、同じ時期の別のドラマを見ていて、それがあまり後味が良くなかったので、他にいいドラマはないかな~と思って「あまちゃん」を観たら、それが観てていい気分になったので、ここにコメントを寄せた訳なのですが。
あとそれから、私は途中から「あまちゃん」を観だしましたので、10月14日にやる総集編を観ようと思っています。
この季節ですね~。
思い出してくださってとても嬉しいです。
私も、瀬底の海のサンゴの白化がとまったというニュースを見た時、Sable de sesokoさんのこと、考えていました(笑)
「あまちゃん」は、脚本も出演者も、単純に面白いと思ったので、記事にしていたんですが、
改めて考察すると、じつは深かったんだなあと今になって気づきましたよ。
>なかなかそこまでの境地に辿りつけません。
人生は、苦しいから意味があるのかもしれませんね。
楽しいだけの人生じゃ、生まれてきた意味が無い?
その時はつらくてたまらないけど・・・苦しみが時間とともに癒えてきた時、以前とは少し違う自分になっているかもしれない。
そして、その時はじめて、人生って面白いなあって、気づくのかもしれません。
Sable de sesokoこと、瀬底の砂です。
お元気でしたか?
台風一過の今日、爽やかな風に運ばれ金木犀の香りが…。
ふと金木犀さまを思い出し、ブログにお邪魔しました。
「受容」、これは永遠のテーマですね。
あまちゃんは見ていませんでしたが、深い内容の番組だったんですね~。
自分が置かれている環境を他人のせいにせず、受け入れ、そして楽しむ位まで行きたいものですが、なかなかそこまでの境地に辿りつけません。
なるほど。美学。
鈴鹿さんが歌詞の「三途の川」の部分に、あれこれ悩んでいる時も
「おがまいねぐ」って、夏バッパが言ってましたよね。
人によっては誤解を招くかもしれない言葉ですが、そこには相手に心配させまいとする思いやりが潜んでいるんですね。
東北人気質、かっけー。
一人ひとりの性格がはっきりしていて面白かったですね。
それぞれ傷ついたりした過去もあるけど、全部まるごと受け入れてくれる懐の大きさがあって。
まさに、受容だ!
そうそう、今年も大河もいいですね~
先週の「八重の桜」
八重さんが薩摩出身の生徒へ謝罪する場面、二人の和解のシーン、もう涙、出まくりでした。
出演者もみんな、すごく自然体でよかったですよね。。。
どこかで、あまちゃんでは、昭和40年前後1年生まれの役者さんたちが大活躍!って感じで書いてました。
海女クラブのみなさんも素敵でしたし、みんなそれぞれ主人公・・・ってくらい個性的でドラマがあったなぁ~って。。。
不思議と、報道は、いまいちな放送局ですが、朝ドラと大河ドラマをはじめ、ドラマはいい作品が多いですよね。。。
気づけよ、目覚めろーっていう、メッセージをすごく感じます。