
「サーカーの予言」の続きです。
著者は世界的な経済学者ラビ・バトラ。前の記事をまだ読まれてない方は、こちらから先に読んでくださいね。
昨年、私は意図的に「スピリチュアル」という言葉を、ブログでなるべく使わないようにしようとしていました。
一つには、私自身が感じるスピリチュアルと、世間一般が思うスピリチュアルの認識が、違っていることに気づいたからです。
世の中を見回せば、霊感商法などがいまだに存在し、それがスピリチュアル番組のせいだと思う人も多いという事実。誤解を解けるほど、私には能力はなく。
私自身も、スピリチュアルを取り上げるマスコミが、霊視や前世などを第一義として、それらをエンターテイメントに構成して一つの番組を作ってしまうことは、準備の出来ていない無防備な視聴者に対して、霊感商法につけ込まれるような誤解を生じさせる可能性もあるのではないかと、時に思うこともありました。
また、超常的な事柄をことさら強調することで、むしろスピリチュアルに対して拒否反応が強く出てしまう人々もいるということも、あります。
ですから、スピリチュアルを不特定多数の人が見る、マスメディアに乗せることはとても難しい問題なのかもしれない、と思うようになったのです。
そして、このブログを書き出した当初は、思いもよらなかった、人工の電磁波問題や、薬害、環境問題など、いわゆる科学的エビデンス(証拠)を、求められるような問題も書き進んできたところで、スピリチュアルは、いったん棚の上にあげておこうかと思うようになったのです。
しかし、スピリチュアルを棚に上げるのなら、わざわざ「虹色オリハルコン」を立ち上げた理由もなくなってしまう…それで、ちょっと迷ったり悩んだりした時期があったのです。
しかしながら、ラビ・バトラはスピリチュアルについて、サーカー師の言葉を引用して、以下のように書いています。この本を手にして、資本主義が崩壊するという予言の部分より、私にとっては、以下の部分、むしろここを読んでどれだけ心が救われたかしれません。
p112~
師サーカーが明らかにしていることがある。
”人間は3つの要素で構成されている。
一つ目は物理的な肉体としての要素。
二つ目が、人間の心理的な心。
これは知性を生み出す。
そして三つ目は、
スピリチュアルな魂としての要素である”
師サーカーは語っている。
”知的な面、物理的な面における
いかなる「進歩」も
スピリチュアルな「進歩」を伴なければ
本当の「進歩」とはいえない”
人間は、スピリチュアルな進歩を怠ってきた。
その結果、行き詰ってしまったのである。
さらに…p118~
スピリチュアルは、何かと問われるかもしれない。
現在、物理学において「核」の存在が明らかにされている。
物質元素には原子核が存在し、
その周りを電子が回っている。
太陽系においても、月などの衛星は
地球などの惑星を「核」にして回っている。
さらに、地球などの惑星は、太陽を「核」として回っている。
すべての存在は
「核」となる存在があるからこそ
存在できるのである。
ならば、
この宇宙全体も
中心となる「核」なしには
存在しえないことになる。
つまり、この宇宙にはそのすべてを
支配する「核」が存在している。
私が自然の中でずっと感じてきたスピリチュアルと、バトラが示したスピリチュアル、この部分はぴったり一致して、心から共感できました。
なぜって…それが存在しなければ、どうしてカマキリの翅はあんなに葉っぱの形そっくりに、葉脈模様を持って生まれてくるのか。よくよく見れば、虫食いの模様までもった個体もいるのだ。
それが存在しなければ、なぜ茶色のカマキリは落ち葉の上に、緑のカマキリは緑の葉の上に、自ら居場所を選択できるのか。
私たちを照らす太陽が、あともう少し地球に近ければ灼熱地獄、遠ければ凍りついてしまう、という奇跡の距離に地球はあって、自然のあらゆる秩序は、偶然と言い切るには、あまりにもよくできすぎていて、私を畏れさせます。
私は、この地球、そして宇宙をデザインする、何かの大きな「意図」や「意識」を思わずにいられないのです。
古今東西、多くの人々が「神」を信じ、祈りをささげてきたのも、もともとは自然の脅威あるいは驚異に畏怖したからだろうと思います。
でも、「神」という言葉は、歴史の中で権力をもったものによって都合よく置き換えられ、その意味合いも変化してしまっているから、これも誤解を招く言葉でしょう。ですから、「神」というより「核」という表現は、私には、しっくりきたのです。
(…もっとも、ラビ・バトラも、この後、「核」をサンスクリット語のパラマプルーシャ=宇宙意識と置き換え、「宇宙意識」の中核となるものが「神」である、と書いてますけどね。)
今回は、「サーカーの予言」によって、私がどれだけ心が楽になったかを書きましたが、実は本題としてまだ書くべきことがあるのです。
が、またまた、私の根気が尽きてしまいましたので、…なにしろ、体力が体の好転反応に使われているようで、すぐ、くたびれる…へなちょこ(笑)。
そんなわけで、この本の真髄は、次の機会に。
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またまた深いお話、というかすごいお話、大変勉強になります。
で、またまた仏教の立場から少し。
あ、偉そうな言い回しになってすみません。(笑)
私は、仏教なかんづく法華経を信仰しているもので、どうしても今後コメントを書かせていただく際、(仏教では…… 法華経には)なーんていう言い方になってしまうかと思うんですが、
そんなのはいかーん!
との金木犀さんの仰せであれば、差し控えますので、その旨遠慮なくお申し付けくださいませ。
で、ここではお許しが得られたものと仮定して。(笑)
>”人間は3つの要素で構成されている。
一つ目は物理的な肉体としての要素。
二つ目が、人間の心理的な心。
これは知性を生み出す。
そして三つ目は、
スピリチュアルな魂としての要素である”
仏教では(笑)
一つ目は物理的な肉体としての要素。……これを色法(しきほう)と言い、
二つ目が、人間の心理的な心。……これを心法(しんぽう)と言い、
三つ目は、スピリチュアルな魂としての要素……これは、おそらく法華経で言う「妙法」あるいは「妙法蓮華経」(いわゆる“法”や“法則”ですね)に配されるのではないかと思います。
これはまた、金木犀さんの >「神」というより「核」という表現は、私には、しっくりきたのです。……に則して言えば、「神」というより「法」「法則」という表現……といった感じになるような気が私はします。
ちなみに、仏教では、一つ目の色法と、二つ目の心法については「色心不二(しきしんふに)」といって、心と体は一体不二であり、不可分の関係にある、ととらえます。
だから、ふたつはまったく密接に関連しあう、ということでしょうかね。
あ、また長文になってしまいました。(笑)
いかんいかん(^_^;)
やめます。
ともあれ、サーカー氏しかり、ラビ・バトラ氏しかり、とても興味深い人物で、ご紹介いただいた金木犀さんに感謝、感謝です。
私は、宮沢賢治の作品というより、生き方に共鳴してしまうんですが、その賢治が帰依していたのが法華経だったそうです。
詳しいことは知りませんので、法華経について説明していただけるのは、ありがたいことです。
>「神」というより「法」「法則」という表現
なるほど。そういうことですね。
老子で言うなら、道(タオ)。
「パワーかフォースか」で言うなら、高いアトラクターフィールドとつながること。
なるほど、なるほど、なるほど。
>心と体は一体不二であり、不可分の関係にある、ととらえます。
だから、ふたつはまったく密接に関連しあう、ということでしょうかね。
これはとっても良くわかります。
この件は、他の記事にも書いていますが、
http://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/d/20061112
心理的ストレスで体がゆがみ、体がゆがむと心が不安定になりますね。
仏教でもそういう風に言っているのですね。
昔の人々も、体験的にわかっていたのですね。
現代医学は進歩したというけれど、退化した部分もあるんだなあ…と、感じます。
しかし、意識レベルが上がっていくと、キネシオロジーテストをしても、以前は弱い反応を示したものが、弱い反応を示さなくなるというか無害になる…そんな経験もあります。
それが、スピリチュアルな領域からのエネルギーと言いますか、パワーであって、法華経のいうところの妙法なのでしょうね。