虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

支えて支えられて「人」になる

2008年12月27日 | ふと思ったこと
20代なりたての頃、私は東京に暮らしていました。
某私鉄沿線の最寄駅より徒歩10分のアパートから、毎日職場に通っていたのですが、帰りの電車に乗って駅に夜8時くらいに着くと、よく出会う印象に残る男の人がいました。
その人は、当時として、30代後半から40代くらいだったでしょうか。いつも帽子をかぶり、すっきりとしたシャツとシンプルで折のビシッと入った清潔なズボン姿、中肉中背、一見普通の方でしたが、白い杖を持ってらした所が普通の人と違いました。

私と同じ方向にいつも歩いておられましたが、一人の時もあるし、連れの方と一緒の時もありました。
ところが、ある時気づいたのですが、連れの方というのは、同じ人じゃなくて、たまたま駅にいた他の乗客だったのです。
改札を出たところで、一人の中年の女性がその男性に話しかけ、
「お手伝いしましょうか」
と、言っていたのです。
すると、男性は、
「お願いします」
と言って、女性の腕につかまって、いつもの道を歩いてゆきました。

私はその街に、2年ほどしか住んでいなかったので、状況はよくわかっていなかったかもしれませんが、長く同じ電車で通うと、人によって顔見知りになったりしますよね。
私が、その男性が気になったように、他の人たちも気になっていたのでしょう。

それで、私もなんだかお手伝いしたくなって、次の機会があった時、他に誰も名乗り出なかったのを認めて、その男性に
「お手伝いしましょうか」と声をかけてみました。
すると、その方は、全然遠慮なさらずに、
「ではお願いします」
と、そして、
「肘から上の左腕を貸してください。」
と、はきはきと慣れた口調で話されました。
その態度は、とても自然体で感じがよくて、複数の人たちがこの方と一緒に歩いていた理由も、わかるのでした。
最初、私は、なんだかいいことをしているようで、うれしくてならず、いい気分に浸っていたのですが、その方と話しているうち(どんな話をしたのか詳しくは覚えていないのだけど、その町のことなどだったと思います)、目の不自由な方を助けていると思っていたのは自分の思いあがりで、その方のほうが自分よりずっと大人で、自分のほうが教えられることが多いのだということに、すぐに気づかされました。

商店街の終りの信号のところで、
「今、赤になりました」
と言いますと、白い杖で、リズムを取って数を数えながら、地面を何回か叩きました。何回か叩いたところで、その方が
「はい、変わった!」
おっしゃったとおり、その瞬間に、信号が青に変わり、びっくりしました。
そうなんです、目の見えない方たちは、いつも人が助けてくれるわけじゃない、自分たちでちゃんと歩き方を考えているんだということに改めて気づかされました。そして助けてあげようなんて思った自分の思い上がりがちょっと恥ずかしくなりました。
でもそれ以上に、素敵な方と知り合ったうれしさで、心の中が温かい気持ちでいっぱいになってしまい、それから何日もその余韻で、幸せでいられたくらいです。

どうしてこんなことを突然書いたのかと言いますと、前に書いた記事で、大ちゃんが下さったコメントを読んでいるうちに、何十年も前のこの出来事を思い出してしまったからです。

ちょっと長いけど(笑)、とっても考えさせられるご意見だったので、一部抜粋して紹介させてもらいますね。


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中国の文豪・魯迅は、「狂人日記」で、人間の社会が「食人社会」であることを描き出し、鎌倉時代の僧・日蓮は、今の人間の本質を「知恵のある畜生」と喝破しています。

食人や畜生に共通するものは“弱肉強食”。
勝ち組、負け組なんて言葉が、現代ではそれを言い得ている言葉なのでしょうかね。

それにしても、いつも感服させられるのが“人”という字を発明した人のことです。
支える人と支えられる人、救う人と救われる人、励ます人と励まされる人……。
そんな感じで“人”という字はできていて、しかもひとりの人には必ず両方がある(でないと人でなくなりますもんね(笑))、また、支えることによって支えられるのが“人”、救うことで救われるのも“人”、ともくみ取れますしね。

ほんと、この字発明した人はえらい!(笑)



で、遠回りしてしまいましたが、今世紀を平和の世紀にする方途は、マザーテレサの「一人、そしてまた一人」という言葉のように「一人のために」運動の拡大以外にないと私には思えてなりません。
これは気の遠くなるような、時間も途方もなくかかるような行動かもしれませんが、反面、唯一確実な平和実現の道だと私は思います。

マザーテレサのみならず、古今東西の聖人や菩薩といわれた人々は、みな、目の前のひとり、ただそれのみの救いや励ましに集中し、それを生涯繰り返し続けた人たちなのではないかと私には思えてなりません。

(中略)

人を救うとか励ますとかいっても、そんなに大層なことではなく、それぞれにできる形、持続可能な形でやればよいのだと私は思います。

ちなみに、私は週一でデイサービスにいってるんですが、そこに脳性小児麻痺で言葉も不自由で、意思の疎通も難しい女の子がいるんですが、私がその子に声をかけたときにその子が私に見せてくれる快心の、二コッの笑顔や、帰りのバスで私が降りるときに、不自由な言葉で声を振り絞って彼女が言ってくれる「さようなら!」に、私は毎回どれほど心が和み、救われることか……。
彼女は、私のかわいい、かわいい“菩薩ちゃん”なのです。
そしてその彼女は、「おじさん、人を励ますとか救うとかいったって、自分らしくでいいんだよ、自分らしくがいいんだよ」と、教えてくれているかのようなのです。


平和の世紀創造といっても、魯迅や日蓮に「残念ながら、現代人の境涯の基底部は、いまだ“畜生”」と、手厳しく指摘されたわれわれが、「一人のために」の実践を通して、“人”になっていく以外に道はないと私は思います。

ま、なにはともあれ、私の目の前のひとりや身近なひとりは、自分を“人”にしてくれるために、また、“人”でありつづけさせてくれるために存在するんだと、そんなことに思いを致す今日この頃なのであります、はい。(笑)

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実は、白杖の紳士の話は、残念ながら、このあと私が引っ越ししてしまったため、続きもなくて、これ一度きりの交流でした。それでも、あの時のあの男性は、私のとっての菩薩さんだったのかもしれません。
そういえば、うちの近所にも菩薩ちゃんがいらっしゃいましたよ。(気高い人の魂

以前読んだ本の中で、印象に残っている言葉があります。
タイトルもどの本だったのかも失念してしまったのだけれど、どこかの国の先住民族が文明社会からきた人に言うんです。
生きる意味が分からないなんておかしいねって。すぐそばにいる人の役に立つこと、それが生きる意味だって。自分の隣にいるたった一人の人を喜ばせることができるなら、それで十分、生きる意味があるのだと。
シンプルにして、真理ではありませんか。
だって、世界中の人がお互いに自分の隣にいるたった一人を喜ばせることができるなら、世界はあっという間に、喜びに包まれてしまうんですから。



さて、今年もあと数日。この記事をもちまして、年内はブログ納めとさせていただきます。
今年もお付き合いくださいましてありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎えくださいね。


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Unknown (大ちゃん)
2008-12-27 17:09:36
つたない私の文を引用いただけてとても感激です。
ありがとうございます。

白杖の紳士と、金木犀さんや多くの人たちとの交流のエピソード、まるで一幅の名画ですね。
心洗われるすばらしいお話だと思いました。


>自分の隣にいるたった一人の人を喜ばせることができるなら、それで十分、生きる意味があるのだ。

マザーテレサの言葉「私は今、目の前で苦しんでいる人を救うだけで充分」と、みごとに響きあいますね。
すばらしい!


なにはともあれ、どうぞよい新年をお迎えください。
返信する
大ちゃんへ (金木犀)
2008-12-28 09:33:14
あのコメントをいただいてから、ずっと昔の思い出がよみがえって、どうにも書かずにはいられませんでした。
今からしてみると、まだのんきな時代だったのかなあ。ケータイやアイポッドどころか、ソニーのウォークマンが出ていたかどうか・・・くらいの時代でしたし。

>今世紀を平和の世紀にする方途は、マザーテレサの「一人、そしてまた一人」という言葉のように「一人のために」運動の拡大以外にないと私には思えてなりません。
これは気の遠くなるような、時間も途方もなくかかるような行動かもしれませんが、反面、唯一確実な平和実現の道だと私は思います

以前、ゆりあさんからも、同じようなコメントをいただきました。
平和は、対立からは生まれないということに、私自身、改めて皆さんから気づかされたような今年です。

ありがとうございました。
返信する
来年も宜しくお願い致します (ゆりあ)
2008-12-28 18:48:59
金木犀さん

今年は、私にとって素晴らしい1年でした。
中でも金木犀さんと親しく交流させて頂けたこと。
本当にかけがえのない素敵な出会いです♪(#^.^#)

今年最後の記事も、胸にじーんとくる内容で
何度も繰り替えし、読ませていただきました。

大ちゃんさんのコメント、ステキです!!!
そしていつも私が楽しみにしているのは
コメンテイターの皆さんに寄せられる
金木犀さんのレス・コメント。
お一人お一人にあてて、本当に丁寧にお返事を
書かれていて、レスだけで一つの記事が出来上がりそうな・・・
いつも「見習いたいナ!」って思ってます。

奇しくも、私も今日しみじみと「人」という字の
成り立ちについて考えながら、実家への道を歩きました。
今年は特に、大勢の人に助けられ、支えられた1年でしたから。

来年もたくさんの素晴らしい出会いと出来事が待っていてくれそうです☆
良いお年を!そして来年も良い年にしましょう!!
返信する
ゆりあさんへ (金木犀)
2008-12-29 21:20:19
このブログを始めてから、自分で書いているのに、他の力が働いているという感覚を、何度か持ちました。
不思議なことですが、たぶん読んでくださっている方、コメントをくださる方たちからのエネルギーも、たくさん受けていたんじゃないでしょうか。(笑)
本当に感謝です。

それから、私のレス・コメント、あんまり褒めないでね。
緊張して、お返事、書きにくくなるから・・
どうぞ、気楽に読んでくださいませ。

>奇しくも、私も今日しみじみと「人」という字の
成り立ちについて考えながら、実家への道を歩きました。

また、ゆりあさんとシンクロしてしまいましたね。
このところの景気悪化で、人々の気持ちが、お金から心を見直す風潮になっているような気がします。
「道は違っても空はつながっている」って、先ほど家人が見ていた「あんみつ姫」(笑)のセリフで、言ってましたが、この気持ちが、日本を上空を流れているなら、なんでも経済優先だったこないだまでの日本より、こっちのほうが本当なんですよね。

今年は、ゆりあさんにとっては、一大転機の年でしたね。ゆりあさんとご縁があったこと、私もありがたくうれしい年でした。
来年もどうぞよろしくお願いします。
返信する

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