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成熟した社会とは、数字で表せないものを大事にする社会by内山節

2016年01月18日 | 心に残る言葉
東京新聞「時代を読む」哲学者・内山節氏の書かれた17日のコラム、今年も無事に読めました。

株価を中心とした経済は、数字によって一喜一憂し、暴落すれば世界が滅ぶような大きな騒ぎにもなります。
そんな経済が今の世界を牛耳っており、「安い」「儲かる」「お得」がキーワード。お金のためなら、すべてが優先されます。
持つものと持たざるものの格差が広がり、多くの人々は「お金」を目的とした労働の中で疲弊していく。
でも、もしかしたら、そんなのは虚構だ、生きることも幸せになることも、数字に振り回されることではない、と気づいた人たちがあちこちで増えてきているのだと思います。

成熟した社会とは、数字で表せないものを大事にする社会・・・ということに目からウロコ、というか、そのとおりだなと思います。




寒さの中に咲く花をみつけた幸せ、とか



数字で表せない幸せ感
内山 節     

 数字は具体的な一面と抽象的な性格とを併せ持っている。
 たとえば「ご家族は何人ですか」と聞かれた時に答える数字は具体的な数字だ。ところが日本の人口についての数字は抽象的である。何人いるのが好ましいのか誰にもわからない。スウェーデンやフィンランドのように広い自然を享受しながら暮らすのが理想なら、人口はもっともっと少なくてもいいような気がするし、増えていかないと市場が拡大しないと焦る人達もいるだろう。この場合でも何人まで増えたり減ったりするのが理想なのかは、よくわからない。
 お金もそうで、日々の生活の中で使われるのは、具体的な数字だ。ところが「いくらあったら人間は幸せになれるのか」などと聞かれたら、たちまち数字は具体性を失う

 私の新年は、毎年群馬県の上野村で迎えられる。山から朝日がさして正月がはじまり、年末についた餅が食卓に上がる。庭に冬の鳥たちが姿をみせ、葉を落とした山の木々が私の暮らす里を包んでいる。昼過ぎには私も近所に新年の挨拶にでかけ、逆に村人が訪ねてきたりする。自然も人間も、さらに昔からこの村に祀られている神々も、ともに新年を迎える。
 毎年繰り返される何ということもない時間なのに、共に新年を迎えることができたという安堵感があり、今年の村の無事を祈る気持ちが村の中には広がっている。

 そこにあるのは数字ではとらえられない世界だ。その代わり、どんな結び合いの中に村の暮らしがあるのかは、はっきりと見えている。自然との結びつき、村人や村の伝統文化との結びつき。そういうなかに、自分たちの暮らす世界のあることが。

 考えてみれば、人間の幸せや充実感といったものは、すべて数字では表せないものだ。数字は相対的なものだが、幸せや充実感は、それぞれの人々にとって絶対的なものだからである。だから高尚なものはすべて数字では表せない。美は数字ではないし、音楽や文学からえた感動も数字ではない。

 とすると成熟した社会とは、数字を追いかける社会から、数字では表せないものを大事にする社会への転換によって、生まれるのではないだろうか。幸せ感や生の充実感の高い社会が、成熟した社会のはずだからである。

 こんな視点からみていくと、今の政治の主張は情けない。数字ばかりなのである。GDP600兆円とか、2%のインフレとか、1億総活躍とか。それが幸せな社会をつくるのかも、幸せな社会とは何もかも考察されることなく、数字だけが花火のように打ち上げられていく。

 今年は、数字では表せないものを大事にする社会をつくりたいものだ。どんな結び合いが幸せをつくっていくのか。自然が支えてくれていると感じるような社会は、どうやったらつくれるのか。どんな働き方ができたら、充実感を手に入れることができるのか。


 それは広い意味でのコミュニティーの課題である。家族というコミュニティー、友人や仲間たちというコミュニティー、働く仲間のコミュニティー、自然を含めた地域のコミュニティー、そういうものが人々に幸せをもたらすとするなら、結び合いやコミュニティーを大事にする社会を、私たちは作っていかなければならないのだろう。



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2 コメント

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東京新聞はエリア外なのですが (tamariba)
2016-01-19 07:52:36
東京新聞はエリア外なのでここで記事を読ませていただきました。
成熟した社会…
そこにはお金がいくらあったら幸せとかが存在しない…
人間は生まれた時から何グラムで生まれたに始まり…学校ではテストで何点、偏差値は…働けば沢山稼げる人に…
という数字に翻弄されますよね。

音楽で例えるならモーツァルトはわずか35年の間に何十という交響曲を作ったがベートーベンは56年生きたのに交響曲はたったの9曲しかできなかった。
どちらが素晴らしい作曲家でしょう?なんて言いませんよね(笑)

数字ばかりにとらわれるから人々は疲弊する…
今回のスキーバスツアーも格安のために低コストにするために車検や健診を怠っていた…これも数字に囚われた疲弊のように感じます
返信する
tamaribaさんへ (金木犀)
2016-01-19 18:32:22
私も、東京新聞の内山氏のコラムは、毎回楽しみなのですよ。

>人間は生まれた時から何グラムで生まれたに始まり…学校ではテストで何点、偏差値は…働けば沢山稼げる人に…

そうですよね~
内山氏も書かれたように、相対的な数字とは、他者との関係において使われる場合です。
それは、「比較と競争」につながります。
生まれた時から、大きいとか小さいとか、人と比べられて生きていくなんて、ほんとうに疲れてしまいますよね。

>今回のスキーバスツアーも格安のために低コストにするために車検や健診を怠っていた

私も最初にこのコラムを読んだときに、あの事故を思いました。
命より、お金のために、安価競争を余儀なくされる。
ほとんどの富を一部の限られた人が持っているため、残された僅かな富を沢山の人々が奪い合う、ひずみが来るに決まってますね。
これからは、草の根で、お金だけに頼らない、助けあい、分かち合いのコミュニティーが生まれてくるのではないかでしょうか。
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