以前太陽系の意識レベルを調べた時、実はどの惑星も皆同じ強大な数値になったことを思い出しました。人間の持ちうる最高数値1000Pなど、極小に思えるほど高い数値だった。
また、太陽系なんだから、太陽が一番パワーなのだろう、と思いがちですがそうじゃなかった。
地球の周囲を巡る月は小さいから、地球のほうがパワーなんじゃなかろうかと思いがちですが、そうじゃなかった。
みんな同じ強大な数値、どれ一つとってもかけがえのないもので、どれ一つとってもいらないものなんかじゃないことがその数値から理解できた。
太陽系の意識エネルギーを知った時、「みんな平等である」ということが存在することの基本じゃないかと思った。
→太陽系の意識レベル
→宇宙は平等に共鳴する
コード令のコメント欄で頂いたコメントの返事を書いているうちに、元号に関して自分で書いた文章が、キネシオロジーテストでは否定されてしまうということが何度か続き、気づいたことがあった。
以下はコメント欄の抜粋ですが・・私達は人種や性別や出自、病気や障害のあるなしなどにかかわらず、みんな平等である、ということが大前提にあります。平等とはみんなと同じという意味ではなく、「みんな違ってみんないい」という意味です。
お返事に変えて (金木犀)
2019-04-08 22:27:06
私が自分で記事やコメントを書いたものに限っては、一応文章の意識レベルをチェックして、低いものになってしまったら、いくら頑張って書いても、削除というルールを自分に課しています。
そしてこのところ、元号についての記事やコメントを何度か書いては、テストでNGが出てしまって、なぜかわからないけど50Fになっちゃうので、我ながら情けなく軽くショックを受けているのです。
で、気づいたんですが、どの文章でも、共通するワードがあったんです。
「個人的には西暦を使うけど、元号自体は、文化として、時代を表す記号としてなら、否定するものではない」っていうような事を書いてました。
それは、自分で本当にそういうふうに思っていたからですが、それがいけなかったみたいです。
それで元号の意識エネルギーを調べたんです。
明治20F 大正20F 昭和20F 平成50F
つまり、元号のシステム自体がフォースだったから、それをどんな形であれ肯定してしまえば、どんなに高くても50Fがせいぜいになっちゃうんです。
ひろみさんがいろいろ調べてくださいましたが、「令」という漢字以前に、元号というシステムが、神とつながっている天子、つまりお上が、民草に上から、くだすものであり、元号を肯定することはその元々の意味を肯定するのと同じだということです。
そんなことはないと、多くの人々は思っているでしょうし、わたし自身も今回の新元号発表があるまでは、元号は文化的な意味でなら肯定して良いと思っていました。
平成は50Fと、その前の元号より高いですが、それでもまだフォースです。
今回のことで気づいたのは、私達が生まれたときから存在していた元号のシステムの中で生きてきて、あるのは当たり前だと洗脳状態にあって疑問を持っていなかったせいだと思います。
戦前の天皇制は50F(無気力・絶望)
戦後の象徴天皇制は523P(愛)
象徴天皇制は高いパワーですが、元号を天皇の変わる時に変えるということ自体が、過去の天皇制を引きずっているものだと気づきました。
それはDVの被害にあっている人たちにも通じるところがあって、嫌なことをずっと我慢しても、時々楽しいことが訪れるので、いいときはいいからと諦めてしまう、こんなものだと自分でもそう思い込んでしまうこと。
親による性的暴行を無罪にしてしまうのも、それはおかしい、と真っ直ぐに思うのはパワーの思考ですが、色んな理由をつけて、これは無罪だと結論付けることは、フォースの思考です。
フォースには理由が必要だということはこういうところからもあります。
元号なんか本当はなくたって困らないのに、同調圧力で日本の伝統だから、文化だから、と過去の間違った柵から抜けられないのと同じく、DVの被害者も同調圧力で、相手ではなく自分を責めるようになってしまうのも共通するものがあると、このコメントを書くに当たり、ようやく気づきました。
聖書に「狭き門より入れ」という言葉があるように、天に入る門は広くて入りやすい門ではなくて、やはり狭くて入りにくい門なのかもしれませんね。
世界には70億人もの人間がいるのに、その門に入れるのは数は少ないのだろうと、わたし自身も改めて思いました。
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2019-04-08 22:27:06
私が自分で記事やコメントを書いたものに限っては、一応文章の意識レベルをチェックして、低いものになってしまったら、いくら頑張って書いても、削除というルールを自分に課しています。
そしてこのところ、元号についての記事やコメントを何度か書いては、テストでNGが出てしまって、なぜかわからないけど50Fになっちゃうので、我ながら情けなく軽くショックを受けているのです。
で、気づいたんですが、どの文章でも、共通するワードがあったんです。
「個人的には西暦を使うけど、元号自体は、文化として、時代を表す記号としてなら、否定するものではない」っていうような事を書いてました。
それは、自分で本当にそういうふうに思っていたからですが、それがいけなかったみたいです。
それで元号の意識エネルギーを調べたんです。
明治20F 大正20F 昭和20F 平成50F
つまり、元号のシステム自体がフォースだったから、それをどんな形であれ肯定してしまえば、どんなに高くても50Fがせいぜいになっちゃうんです。
ひろみさんがいろいろ調べてくださいましたが、「令」という漢字以前に、元号というシステムが、神とつながっている天子、つまりお上が、民草に上から、くだすものであり、元号を肯定することはその元々の意味を肯定するのと同じだということです。
そんなことはないと、多くの人々は思っているでしょうし、わたし自身も今回の新元号発表があるまでは、元号は文化的な意味でなら肯定して良いと思っていました。
平成は50Fと、その前の元号より高いですが、それでもまだフォースです。
今回のことで気づいたのは、私達が生まれたときから存在していた元号のシステムの中で生きてきて、あるのは当たり前だと洗脳状態にあって疑問を持っていなかったせいだと思います。
戦前の天皇制は50F(無気力・絶望)
戦後の象徴天皇制は523P(愛)
象徴天皇制は高いパワーですが、元号を天皇の変わる時に変えるということ自体が、過去の天皇制を引きずっているものだと気づきました。
それはDVの被害にあっている人たちにも通じるところがあって、嫌なことをずっと我慢しても、時々楽しいことが訪れるので、いいときはいいからと諦めてしまう、こんなものだと自分でもそう思い込んでしまうこと。
親による性的暴行を無罪にしてしまうのも、それはおかしい、と真っ直ぐに思うのはパワーの思考ですが、色んな理由をつけて、これは無罪だと結論付けることは、フォースの思考です。
フォースには理由が必要だということはこういうところからもあります。
元号なんか本当はなくたって困らないのに、同調圧力で日本の伝統だから、文化だから、と過去の間違った柵から抜けられないのと同じく、DVの被害者も同調圧力で、相手ではなく自分を責めるようになってしまうのも共通するものがあると、このコメントを書くに当たり、ようやく気づきました。
聖書に「狭き門より入れ」という言葉があるように、天に入る門は広くて入りやすい門ではなくて、やはり狭くて入りにくい門なのかもしれませんね。
世界には70億人もの人間がいるのに、その門に入れるのは数は少ないのだろうと、わたし自身も改めて思いました。
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このあと、「ひろみ」さんや「私は少数派」さんが、いろいろなご意見を出してくださっているので、そちらもご覧いただけたらと思います。
コメント(新しい順)
自分は何者にも支配されたくない、個人としてありたいといつも思っているのだけれど、「文化や伝統」という言葉に勘違いして「元号」を肯定することで、期せずにして戦前の間違った天皇制を肯定してしまっていたことに気づきました。多くの日本人も同じだと思います。でも、数値は正直でした。
「神である天皇の危機にあっては国民は命を捧げよ」ということがすべての大前提にあるのに「教育勅語には道徳的なことが書いてあるから、いいものなんだ」と言っている人たちと同じ間違いだったのです。
また同調圧力という言葉が、コメント欄でもさかんに書かれていましたが、少数派であることは同調圧力との戦いです。
私なんかも、どこかいつも疎外感を持っており、世間との葛藤も感じ続けた。
この疎外感や葛藤は、社会的マイノリティである人たちが感じる孤独でもあるけど、それと正直に向き合っているからこその強さも生まれてくると思う。
多数派であるはずの人たちは、本当は少数派になることが怖いから、人と同じだと安心するのではないだろうか。
ある時期から、フォースの数値が50F(無気力、絶望感)に固まってきていることに気づいた。
そしてそこからさらに、完全に自分中心の偽りの世界観しか作れなくなってくる意識のディセンションとも言うべき意識エネルギーのマイナスへの下降が起こってくる。これは今現在も進行形で起こっていることだ。
日本では、安倍政権がまっさきにそこに下がってしまったけれど、経済界などの有名人の中にも下がっていく人たちがいて、またスピリチュアルや宗教に関わっている方でさえ下がってしまう方がいて、そして今、ついに一般の人々の中にも広がってきたように感じます。
経済は好景気なのだと政府はいうが、全く実感が無いのも事実。
皆、本能的に、今はいいけど明日はわからないという不安を抱えているのではないだろうか。
だからこそ、目先の新しさや変化を楽しむのに夢中になることで、漠然とした不安から逃げているのかもしれない。なにかお祭りのような楽しいことを探し作っては、盛り上がっているのだけなのだとも思います。
しかし、いつも見ている視野の外(=現実)にも目を向けないと、意識エネルギーはどんどん下がっていくように感じます。
それは、本人が自覚しない限り止めようがありません。
★4月11日追記
太陽系の惑星であるすべての球体の惑星が皆同じとても高い数値が計測されましたが、本日、改めて調べたところ、小惑星や、球体ではない火星の衛星であるフォボスとダイモスに関しては、とても弱い数値になり、その限りではありませんでした。
破壊されてできた小惑星と、一度溶けてから球体として成立した惑星、衛星との違いなのかもしれませんが、もうしばらく研究する余地があります。
その通りだと思いました。
そしてすべての宇宙とすべての命が皆それぞれの個性を持ち、平等に「みんな違って、みんないい」んですね。
今までぼんやりと感じていた違和感が何だったのか、はっきり浮かび上がって来たと思います。
フォースの広がりはやはり気のせいではなかったんですね。
もう随分前から「誰も差別や迫害を受けない、平和で思いやりに満ちた社会・全ての命がかけがえのないものであることを皆が理解している社会」が訪れる日を心待ちにしているのですが、そんな社会はどこまで行っても「絵に描いた餅」なんだと思う日々が続いています。
それでもきっといつかは実現すると信じて願い続けます。
つまりフォースが増えたというよりは、エネルギーが下がってきたので、フォースがわかりやすくなってきた、目に見える形になってきた、ということだと思います。
特に学者や評論家の方たちに多かったプライド、サービス業や営業職に多かった欲望、など、それぞれ、表向きは立派なこと、相手を喜ばすような言葉をいっぱい紡ぐので、一見フォースとはわかりにくい。
でも、その言葉の裏にあるのは、自分のため、自分を賢く見せたり強く見せたりして高い評価を得るため、たとえ本心では笑っていなくても営業用スマイルで、相手を喜ばせて利益を得るため・・・ということだったと思います。
ところが、この数年で、そういう方たちのエネルギーが下がってきたので、思うような結果が出せなくなってきた。
しかし、彼らを反面教師として、パワーが上がってきている方たちも多くいらっしゃるので、意識のアセンションも続行中です。
おっしゃるように「すべての命に思いやりを!」・・
私自身も、子供の頃は生き物に対する社会の風潮に疑問を思っていたのですが、ここに来て命への敬愛の念が昔に比べればずいぶんとマシになったと思っています。まだとても完全とは言えませんが、動物愛護の精神は、少しずつ根付いてきたと思います。
まさに二極化現象です。
具体的に一つの例を話すと・・・。
一昨日、隣村でこの地域の産業振興協会主催の、ナチュラルツーリズムのワークショップがあり、急遽参加してきました。
自然や環境への配慮をして本物のナチュラルツーリズムを目指し実践している人たちが話をしてくれ、その後ディスカッションがあり、とても刺激されました。
そして、その場で、オブザーバーとして参加していたその村の村長さんが昨日の夕方、地域の飲食店ホテルなど観光に従事する経営者の協会を立ち上げるためのミーティングがあるという話があり、こちらも、急遽参加してきました。
こちらは、まず、地域全体での同業者同士の協力体制作り、就業者養成やプロモーションに重点をおくような感じで、今までのお互いにライバル意識で競争したり、好き嫌い、政治的な対立ではない、企業団体として地域全体を見据えて発展していくために協会を作ろうという話でした。
この地域に住んで8年が経ち、当初なかったものが生まれつつあり、私的には感慨深いものがありましたが、個人主義がすぎて、団体運営が長続きしない地域なので、今後どうなるかは分かないので、見守りたいと思っています。
どちらが良いとか悪いとか、優れているとか劣っているとかではなくて、違うんだなーということ、いろいろな段階があるのだなーということを、まざまざと目の前で見せられたという感じです。
誰も悪くしようとかは、思っていなくて、良くしよう、発展しようという思いで動いているということは分かるのですが、やはり、過去の伝統文化、村同士の対立、家同士の確執、政治がらみの関係などに縛られすぎていた部分を脱却しようとしているのだなー、少なくともそういう意図の下、動き出しているのを感じました。
個人的にもいろいろあって、話が長くなるので、このくらいにしておきます(笑)
1880
ひろみさんの周囲も大きな変動がありそうですね。
>どちらが良いとか悪いとか、優れているとか劣っているとかではなくて、違うんだなーということ、いろいろな段階があるのだなーということを、まざまざと目の前で見せられたという感じです。
我以外、皆我が師、という言葉がありますが、いろいろなひとが教師としてまた反面教師として、いろんなことを教えてくれているような気がします。
すごく納得しました。
地球の波動上昇の効果で目に見える形になってきんでしょうね。
いろいろなことが隠せなくなってきて、「見える化」が進んでいるのを感じます。
そのため、パッと目には世の中画ますます酷くなって来ているように見えてしまっていたのかもしれません。でも本当は今まで表立って見えてこなかったものが見えるようになった、あらゆる人や物事の正体があからさまになって来ている証なんですね。
そういう意味でははっきりと時代は進んでいる。
これからもっともっとそういう時代になることを願っています。
本当にそう思います。露骨すぎるというか、エグいというか・・彼らは今までどおり、いつものようにやって、ばれていないつもりなのでしょうが、バレてしまいます。馬脚がミエミエですよね。
今、この時期にブラックホールの画像が公開になって、すごく象徴的な感じがします。
ブラックホールの存在が観察できたのは、ブラックホールの周囲を際だたせることができたからです。
今、光らせて際立たせたブラックホールの周囲も、いずれブラックホールに吸い込まれて消えてしまうのでしょう。
ー10000Fは、以前調べた時「消滅」という言葉がヒットしていましたが、いずれ消えてしまうという意味であるのか・・よくわかりませんが、今現在も、観察しているところです。
「愛の法則」から、両極端な二つの未来のビジョン
https://blogs.yahoo.co.jp/shihihaida/14502765.html
この数年特に、実を言うと、もうかれこれ、20年以上でしょうか、人々そして現象の多次元をずっと感じています。
最初の頃は、かすかで、なんとなく・・・という感じでしたが、この数年は、本当に、はっきりと目に見えるようになってきました。
危機的状況のアメーバは、全体として決死の覚悟で、最後の力を振り絞って、次の世代に命をつなげるための、行動を起こします。
人間の世界でも、そのような現象が起こっているのではないかなーと感じています。
こちらも何度もシェアしていますけれど、再度。
9278
危機状況のアメーバ
https://blogs.yahoo.co.jp/shihihaida/16330757.html
○今起こっている人の意識の数値がいくつかの塊にまとまってきた
この2つは、似ていると言えば似ていますね。
アメーバ粘菌のように目視はできないものの、意識の数値は計測すると、すごいうねりのような変化が起こっているのですから。
かたまりの1つ目は、マイナスフォースの-10000Fに固まっていく数値。
2つ目は、普通のフォースが20Fと50Fに固まっていっていること。
しかし、20Fだった場合、もう少しでマイナスに入る可能性が高くなります。
以前20Fだった人が、今日はマイナスに入っているというように。
50Fだと、何かのきっかけで再び数値が上がることもあり、そのときは、150や175のフォースではなく、200以上のパワーになっています。
そして、3つめは、パワーの方の数値が上がってきていること。
しかし数値は変わらずに、パワーのままでいらっしゃる方もいます。
でも、ふとしたことから急にパワーアップする人もいらっしゃいます。
不思議ですけどね。
今起こっている意識の変化とうねりは、アメーバ粘菌の変化が思いもよらないほど不思議であるように、不思議としか言いようがありません。
<増殖する「差別おじさん」にどう立ち向かうのか>
https://blogos.com/article/372407/
差別するのはおじさんとは限らない。若者や女性でも差別する人間は居ます。だから「おじさん」と限定した書き方も差別的と言えなくはないのですが、
ここで問題にしているのは差別意識のもとにヘイトや暴言、暴力に及ぶ人間が増殖している今の日本の現状を訴えているものです。
やはり日本は昔から多く存在していた隠れフォースが公になってきただけでなく、フォースの数自体が増殖中なのかもしれません。
悪玉菌が増えているのに伴って、
日和見菌がどんどん悪玉菌に変身しているに違いないと思えてなりません。
繰り返しになりますが、隠れフォースが意識エネルギーが下がってきたので目立ってきて、際立っているのです。
いい人に見えて実はフォースという隠れフォースはそれだけたくさんいた、っていうことですから、いいのか悪いのかわかりませんが・・