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石原慎太郎の言葉の暴力を考える

2022年04月12日 | 社会のニュースを考える

暴力は悪い。それは大前提。
しかし言葉の暴力も、同じように悪いと言うべき。
アカデミー賞授賞式におけるウィル・スミスの平手打ちは批判されても仕方ないが、きっかけとなった、彼の妻の病気を笑いのネタにしたコメディアンの言葉の暴力はおとがめなし。妻への謝罪もなかったのは、残念だった。
体の傷は治るけど、心の傷は、ふとしたときに思い出しては、痛みを繰り返す。

少し前の話ですが、東京新聞、ライターの竹田砂鉄氏の寄稿が、とても共感できる内容だったので。
さりげなく石原慎太郎氏のことも書いてくれていた。







今年2月になくなったあの方に対して、報道はどこか英雄視、賛美の言葉ばかりで、その持ち上げ方に、見ていて完全にしらけてしまった。
亡くなった直後の批判は避けるべきという一般論は理解するが、それはそれとして、あの人は政治家で都知事で、人の上に立つ立場であったことを考えれば、マスコミはもう少し批判すべきことはすべきだったと思う。
石原氏は、外国人、女性、障害者、LGBT、マイノリティーをことごとく馬鹿にしたり、差別、蔑視し続けた。
(それが一部の支持者には気持ちよかったのでしょうけどね)

尚、琉球新報と沖縄タイムスは、論評で矜持を見せてくれたが、どちらも有料記事で最後まで読めなかった。
 石原元都知事の差別発言 賛美のみは歴史改ざん<乗松聡子の眼>
 [大弦小弦]石原慎太郎氏の差別を批判する | 大弦小弦 | 沖縄タイムス+プラス


忖度ばかりの日本の大手マスコミに比べて、アメリカの有力紙は、まっとうな論評だったようだ。
 石原慎太郎氏の死去を米有力紙はどう報じたか 日本のメディアが報じない性差別、人種差別、南京事件否定(飯塚真紀子) - 個人 - Yahoo!ニュース


記憶に新しいのは、2016年の都知事選。
「大年増の厚化粧」現都知事の小池百合子さんのことそう言っていた。
自民党の決起集会で、そう述べた後に会場からは笑い声
その一言で、長年、男社会で、セクハラパワハラ罵詈雑言に耐えていた働く女性たちの票がどっと小池さんに流れたのは想像に難くありませんでしたけど。

竹田砂鉄氏も書いている。

「その人にとっては、言われた人が亡くなろうが棘がとれるわけではない。むしろ偉大な作家、政治家だったと大雑把に肯定されれば、棘はあらためて体に刺さる」


「なんだかんだ小うるさい時代になったもんだ」と思う人もいるかもしれないけど、竹田氏のいうように、昔だって言ってはいけない言葉は、言ってはいけなかったのだ。

「基本的人権の尊重」政治家であるならなおさら、人の尊厳を傷つけるような発言は、もともと言うべきではなかったのだから。
飲み屋でくだ巻いているおじさんならいざ知らず、政治家としては失格だったと私は思う。



スパルタ教育 | 石原慎太郎  
ぞっとするような暴力と体罰肯定の本が、もてはやされた時代があった。
怒声と体罰、スパルタ教師の授業に、理科の時間がトラウマになった私の中学時代・・。


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2 コメント

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ひろみさんへ (金木犀)
2022-04-14 15:49:44
マイナスに対しては、なんとかしようなんて思わずに、その場を離れる方がいいようです。
しかしきつい体験も、学びとして自分の中で消化できれば、それも、すごいことだと思います。
反面教師として学ぶという姿勢で、今生のノルマ乗り越えていけたら、大成功じゃないでしょうか。
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言葉の暴力 (ひろみ)
2022-04-13 21:18:30
言葉の暴力、つまり精神的な痛みは、目に見えるわけではありませんが、肉体的な痛みと同じ脳の部分で認知されるそうです。
つまり、目に見える痛みも目に見えない痛みも、認知部位が同じということは、同じように影響を受けているということになるのです。

わたしの個人的経験でも、長期的反復的な言葉の暴力で、うつ状態になってしまい、わたし自身を失ってしまうようなことがありました。、

関わりを持つべきではない人だったのでしょうけれど、大きな学びもありました。
他者に向けての言葉の選び方は、以前から気をつけていましたけれど、自分自身の体験を通して、発する側は意図しているわけではなくても、受ける側にとって暴力と感じてしまうこともあるのだと、わかりましたし、一層気をつけなければいけないことが心に刻まれました。

とはいえ、人それぞれ感受性が違うので、難しいところです。

今、意識レベルの二極化がはっきりしてきていることで、肉体的、精神的に暴力的な人たち、好戦的な人たちが目立ってきていますけれど、反面教師として、学ばせていただいているのだろうな・・・と思います。

話は、変わりますが、
スペインは、聖週間(セマーナ・サンタ)期間に入っています。
明日14日が、聖木曜日で、最後の晩餐の日。
明後日15日が、聖金曜日で、イエスが処刑される(た?)日。
16日(土)深夜、つまり、17日(日)に時刻が変わる夜中に
復活。
17日(日)は、復活の日曜日。

スペインでは、ここまでが、聖週間(セマーナ・サンタ)と呼ばれる祝日です。

地域によっては、18日(月)は、復活の月曜日で、祝日のところもあります。

アメリカなどでは、復活後のイースター休暇ですけれど、スペインは、復活前がセマーナサンタ休暇なんです。

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