嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

就職活動の前提

2017年03月29日 01時22分11秒 | 仕事
子供の頃
「人はなぜ生きてるの?」
「人間の生きる目的って何?」
という漠然とした問いに、真っすぐ答えてくれる大人は
僕の周りには1人も居なかった。

高校生の頃になって
偶然見たニュース番組で
「僕が何故生まれてきたのか知ってる?」
「僕はママに会うために産まれてきたんだよ」という赤ん坊の何気無い一言が
哲学的な命題の答えになっている事を知った。

思春期の頃、僕は胸の奥の方で
誰も答えてくれる大人が居ないのなら、
せめて自分くらいは
「人間の生きる目的は○○なんだよ。」
と自分の子供に教えられる大人になりたいと思った。

同時にそれは、答えを出せない大人に生きる価値が無いという
極端な解釈や思想にも繋がっている。

今日、ぼくは自分の生きる意味がなんなのか
何も応える事が出来ないいい加減な人間になってしまっている
大人らしくもなく、子供らしくもない、
ただの無価値な人になってしまっている

今はそれが少しだけ恥ずかしい。
そう思いながら、僕は就職活動の入り口に立とうとしている。
はたして僕は就職すべきなんだろうか?

背中で語るカッコいい大人を目指してるわけじゃない
ただ、子供の頃の自分に会わせても、恥ずかしくない人でありたい
周りの人なんかどうでもいいと思っているくせに
自分の形と影を見つめて気にしている

本当の自分を知りたくても今は見つめる勇気が無いのかもしれない。

ローランダーに憧れて

2016年12月29日 16時05分01秒 | 考え事
今日突然交通事故やなんかで死んでしまったとしても、後悔しない生き方ってなんだろう?

明日死んでしまうとしたら、
今日を精一杯生きる事が正解なのかもしれないけど
残り時間の少ない人生を生きている人がコノセカイにわんさかいるからといって
結局それがなんだっていうのか。

高齢者や重病患者や刹那の運命と戦う善人が居たとしても
悪人が居たとしても、
そんなの僕の命題の答になんか、なんの足しにもならないじゃないか。

大人の説教が届かない部屋を探した。
誰も居ない防音ルームで、
僕は僕の空耳だけを聞いた。
ありえない幻聴を聴いても心乱されることのない様に、
僕は世間から遠く離れた真っ暗な処で、
ただ耳鳴りのビートが刻む音楽だけを聞いた。

新しい音楽も古い音楽も要らない。
僕は僕のハートビートだけで充分なんだ。

迷う事から遠ざかる為に
僕は考える事よりも楽しい事を選んだ

辛い事から遠ざかる為に
僕は他人の痛みには耳を貸さない事にした

痛い場所から遠ざかる為に
僕はぬるま湯の選択肢ばかりを選んだ

そうして得た小さなモラトリアムだけが
僕を僕の隣に置いてもいいよ、って語りかけてるような気がした。


【気のせいだったんだろうか?】

『気のせいだったんだろうか!』

僕は結局、誰からも許されず、
何からも束縛されず、
ただ無心の木偶の坊として
此処にあるだけの土人形なんだろうか?

答えはまだ出ない。
僕の茫漠とした恐怖の悩みなんて、
コノセカイの子供達と同じくらい、
等しく価値の無いものなのだから。

僕はローランダーに憧れて今日を眠った。



栗栖先輩に怒られた

2016年07月19日 06時55分05秒 | 仕事
今日から僕は新しいサークル(会社?)に体験入部した。
ハサミを持っていなかったのでサークルの小物入れ(複数棚に分かれた透明なプラスチック製引出し式小物入れ)の左下から
持ち主不明の黄色いハサミを借りた。

ハサミを使用後、僕は何故か返却時にハサミをどこにしまうか考え、
元あった場所ではなく、右上の方にある場所にしまおうとした。
その様子を見ていた栗栖先輩が「それ●●先輩の○○ハサミだから右上二段目。」
僕はよく聞き取れず戸惑いながら右上一段目にしまおうとした。
「違う、その右上から●●●。」
僕はまた声をよく聞き取れず、とりあえず上から二番目にしまった。

それを見ていた先輩は突然こう切り出した。
「手帳って使ってる?」
「以前少しだけ使ってましたが、今は使ってないです。」

「どうして使うのやめたの?」
「きちんと整理して書くことが出来なくて、全体が真っ白の余白ページに左上から書き留めるばかりで、
うまく使いこなせなかったから、次第に使うのをやめてしまったんです。」

「--------って、--------------だから、手帳を使いこなせない人が多いんだよね」
これもまたよく聞き取れなかったが、
やんわりと僕が整理下手で手帳を使いこなせない人である事を注意したようだった。

僕はちょっと精神的にショックを受けて先輩にすごく怒られたと感じた。
動揺しながら僕はいつもと違うルートで木製の昇降口を降りて下履きに履き替えて帰ろうとした。
そして先輩に挨拶し忘れた事を思い出し、元居た場所に戻ろうとしたが、
そこからは元の物語に戻ることは出来ず、別の親しい後輩との新しいストーリーに分岐した。
僕が車をうまく運転出来ない話に変わり、後輩が女の子とキスをしたところで僕は夢から醒めた。

思い返してみれば亡くなった栗栖先輩は半笑いで声高にツッコミを入れるような先輩で
僕に真顔で厳しい口調で注意をするような事は一度も無かったと思う。
先輩のおちゃらけた明るさや面白さに敬意を払っていたし、僕は苦手な人でも無かった。
そして肝心な要素としては、先輩はとても整理下手で、ひたすらオタク系のマニアックな雑学知識を吸収し続ける人で
膨大な知識量を誇り、ゴミ屋敷のような散らかった広い部屋で大量のオタクグッズと資料に埋もれて暮らす変人だった。

僕は整理よりもひたすら貪欲にオタ知識を吸収するその先輩の生き方が好きだったのかもしれない。

僕は今でも整理下手のままだし、
車の運転も下手だし、
女の子とのキスもした事は無い。

夢の中に現れた複数のコンプレックスの中で
最も表層にあるものから順に書き出せば

①整理下手
②運動音痴
③性的体験不足
という事になるが、逆説的に考えてみると
現実世界での重要度は

①性的体験
②運動不足解消と身体を鍛える事
③部屋の掃除と整理整頓

ということになるのだが、①に関しては恐ろしい事に
男性との初体験と女性との初体験という選択肢が存在することになる。
それともこれは雑念だろうか?

綺麗に着飾り整理された車の中で女性とカーセックスを楽しむ事で運動不足を解消するような
[銀の弾丸]を僕は望んでいない。
判断のつかない問題と悩ましい選択肢に埋もれて、
哲学的命題を抱え 問題と一つ一つゆっくりと丹念に時間をかけて
自分を問い質していくような誇りを持った生き方がむしろ僕らしい。

そう思いながら、僕は未解決の世界で頭の迷宮と心で向き合う。
やがてこの道が、君と繋がっているのなら、それはとても幸福なことなのかもしれない。

追記した僕の日本語的弱点が誤読される日々をぼくはここでゆっくりと思い出している。

自分を失うのが怖い

2016年07月10日 07時30分20秒 | 仕事
最近、一人で閉じ籠もって考える
ここ最近関わってきた人や
ここ数年浴びせられた言葉や
自分に影響を与えた人たちの言葉を反芻して考える

もう何年も社会に出て働いたような気がするが
まるっきり成長していないような気がする
なのにそれでいて
自分が毎日汚され続けていると感じている

昔と比べて、特別自分が金に汚くなったとは思わない
僕は小さい頃から人を信用せず、
お金を大事にする人間だった

冷めた感情で世の中を斜めに見る人間だった
穿った見方をする事も
人の意見を一切受け入れない事も
肩に置かれた親切で邪魔な手を振り払うことも
何も恥ずかしいと思わなかった

もうずいぶんと大人になるにふさわしいだけの時が経ったはずなのに
未だに僕は大人になれていない
僕は時々その事を思って 嬉しいとすら感じる
恥ずかしいとはまだ思わない

だけどそれでも。
僕は毎日汚され続けていると感じる
頭の中に余計な声が響く事が多くなった
僕と関わった人の声が頭から離れなくて
考え事を追い払うのに苦労する事も増えた

誰の考えも聞き入れたくない
何の考えも聞きたくない
頷きたくない
ただ僕はNOだけをここに提示したい。

誰にも指図されたくない
誰からも意見されたくない
どんな意見も僕に影響を与え、僕の身体を勝手に動かす。
人に従うのが嫌だ
人に触られるのが嫌だ
人の話を聞くのが嫌だ
誰かの命令で社会を悪くするのが嫌だ
会社の利益の為に人を犠牲にするのが嫌だ
目の前の小さい出来事を一案件として処理する冷たい自分が嫌だ
助けを求められても救えないルールを受け入れるのが嫌だ
大人のルールに無理矢理金で首を縦に振らされるのが嫌だ
もう嫌だ
思い出すのも嫌だ
僕を好きになられるのが嫌だ

ただ1つ、良かったことは、僕は一ミリも会社から必要とされなかった事だと思う。
そのことは、僕にとってとても良かった。
僕は安心して会社を去ることが出来る。

「やまなくんに必要なのは 受け入れる という姿勢です」
ものすごく嫌なことを言われた
まるで人権侵害のようにさえ感じる
ガムを噛み続けて、丸ごと呑み込むような日々だった
僕が何を食べて、何を咀嚼して、何を飲み込むかくらい
俺に決めさせてくれ。
俺の思想を汚さないでくれ。
頼むから、俺にルールを説明しないでくれ
俺の脳の血流は、あんたらの言葉で、勝手に流れが変わってしまうほど
もろくて弱いシステムで動いているんだ

だから俺は、アンタたちを殺してでも
俺の尊厳を守りたいと思うよ。
それくらい、俺はアンタらに汚されて生きていると思うよ。

だめなんだろうか?
俺が、俺の言葉だけで、俺にだけわかることばで、
ひとりごとのようにもんもんと悩みながら生きる日々は、
そんなにも、社会から認められないことなんだろうか?
俺は、自閉症になることさえ、認められないほど
[ふつう」の檻の中に閉じ込められて【社会】という牢獄で生きていかないといけないのか?
どうして俺の意識は
あんたらの中に閉じ込められようとするんだ?
俺は、せめて想像の世界くらいは、
あんたたちの手が届かないほど、心の奥で、
誰も望まないほど心の奥で、俺の存在を望んでおきたいと思うよ。
たぶん、汚されないほど奥にある、あんたたちに理解できない俺の中心が
俺にも理解できない俺の心が
いずれ、あんたたちの存在を噛み砕くと思うよ。
だから俺はエゴを守るよ。
まるで心の隣にあるような、
俺の心を氷で包むような、
優しくて厳しいエゴで
俺の心を透明に洗うよ。

読んでくれてありがとう。
でも、俺の言葉を、君は決して
日本語で考えないでくれ。
俺は本当は、こんな当たり前の言葉で
自分を表現したくなかったんだ。

ひとり、夢の中で、誰にも話せないような
妄想だけを
アルツハイマーのように願うよ。

俺の存在を 俺だけが認めるような
こんこんと湧く涙のような泉で
社会で生まれたことを呪いながら
宇宙の果てを見つめる中心が
新しい未来を創るよ

人と関わり過ぎた事を後悔している
それでもいつか、生まれてきて良かったと思えるような日が
俺にも来るのかもしれない
外側にあるすべての虚像が内側に欲しい
真実なんて生ぬるい嘘はもうたくさんだよ。
一点だけが広がり続けるような宇宙は
やがて僕の中で嘘になるよ

新しい光が欲しい
暗闇を切り裂くような光じゃなくて
すべてを灰色に塗りつぶすような光が欲しいよ

誰にも理解されなくて良かった
ただ、僕だけが僕を願えばそれで良かった。

もう一度、俺の孤独を取り戻すために
俺は生きているような気がする
それとも、他者の存在の痛みを感じる一瞬の現実だけが、反転した人生なのだろうか?

寒いところでしか育たない暖かさもあります。

2015年12月21日 13時26分03秒 | 考え事
僕は昔、自分で自分の事を頭がいいと思っていました。
頭の回転が速かった、
記憶力が良かった、
感覚が鋭かった、
知能指数が高かった、
学校の勉強が出来た、

などなどの理由がありますが、思い込んでいた理由の一つには
周り中の色んな人から「頭いいね!」と褒められた事が多かった事や
親から期待されていた事などが影響していると思います。

そしてまた、小さい頃は周り中の人がバカに見えていました。
僕は頭が良い自分が好きでした。
そして身体が弱い自分が嫌いでした。

小さい頃は大人になる前に死んでしまうと
周り中がら心配されるほど病弱でした。
それでも僕は何の偶然か、成人式を迎えました。
クラスメートの一人は、成人式を迎える少し前に病気で死にました。

第二次性徴期まで生き残った僕は身長や体重が増加し
二十代の前半は身体が健康的で毎日が楽しくて
友達も多く、根拠の無い自信に溢れていました。
それでもまだ、僕は精神的に大人にはなれませんでした。
30に近づくにつれ、僕は焦りを感じていました。
天才だと思い込んでいた自分が
社会の中で活躍するような見通しが全く立っていなかったからです。
むしろ僕は社会不適合であるコミュ障な自分と
自分の活躍できない社会という舞台装置を恨んでいました。
そしてまた、過剰な自意識を持て余し、
自殺を決意していました。

社会と噛み合わない自分の事を
周りの人達は心配し様々なアドバイスをくれましたが、
そのアドバイスの一つ一つが僕の心を傷つけ、
かえってそうした意見は全て邪魔な障害にさえ思えました。
普通の人になるための道を説かれる度に
僕にはその道は通れない通行止めの道であると教わったのと同じ効果しか
得る事が出来なかったからです。
他者の意見を受け入れる事の出来ない意固地な性格は
どうやらあまり変わっていません。
少しだけ変わったのは、悪かった部分、選択肢を間違えた時に
それを認識できるようになった事くらいでしょうか。

30代になる少し前だったでしょうか。
似たような文学的悩みを抱えた親しい先輩が自殺しました。
ある種の略奪愛やエゴや自意識過剰さ
職場の環境変化などあり、明確な理由はよくわかりません。
本人が書いたmixiの遺書には奥さんが死んだ事のショックと
奥さんが居ない世界の絶望感について書かれていました。
マンガやアニメの悲劇のキャラの絶望感についても書かれていました。
他に関係ありそうな事として
飼っていたハムスターが死に、愛娘が死んだようにショックを受けている、と
死ぬ少し前に電話で聞きました。
奥さんの事にしろ、二次元キャラの事にしろ、ペットの事にしろ、
この世は自分が生きて行くにはあまりにも哀しい不条理が多過ぎる!
という事を言いたかったのかもしれません。

その当時の僕は自分が死ぬチャンスを失ったと感じていました。
誰かが選んだ道を、同じ経路を僕が辿っても
つまらない結果にしかならないんだと眼前に広がる現実が
漠然と教えてくれたからかもしれません。

相変わらず僕は、主観的にしか生きる事は出来ていません。
セカイの謎は解けないまま
社会とは上手に付き合えないまま
女性に心を許せないまま
他者に近付けないまま
君にも出会えないまま
たいして僕は成長してないのかもしれません。

自殺は大して悪い事ではないように思います。
ただ、自分に負けるのはあまり良い事ではありません。
本質的な自殺は自分のオリジナルの欲求に基づくものであり
辛いから死ぬ、弱いから死ぬ、つまらないから死ぬ、
めんどくさいから死ぬ、という事であれば
それは退廃的な未来しか描く事のできない
意識の貧困さを露呈してしまうからです。

過剰な程の自意識を持つのであれば、
なんらかの形でそれを世に問おうとする
欲求が潜んでいるはずだからです。

僕はあなたの自殺が短絡的なものでなく
長期間熟成された価値ある完成系に近づくのを願っています。
余計な御世話かもしれませんが
あなたの文章からは、自意識を意思と現象に区別できない
幼稚な高貴さを感じます。
純粋無垢である事を大切に想う気持ちは僕にもあります。
ですが、セカイの言葉を他者のせいにしていたら
きっかけやチャンスを失ってしまいます。

あなたのおかげで僕の言葉が今日も少しだけ進みました。
その事を、嬉しく思います。
グレムリンに餌をあげるような時間が、
雪のように日常に細かく降ってくるといいな、と思います。

意味がわからない。

2015年11月12日 04時49分27秒 | 駄文(詩とは呼べない)
相手の話を聞こうとすれば、するほど、世界に僕一人しか存在していないような気がしてくる。

「意味がわからない」

とはそういう事だ。
理解出来ない。
イメージが湧かない。
ぼくのセカイに同じものが無い。
見つからない。
イメージ出来ない。
生成されない。

絶望の壁。

なにを言ってるかわからない。
なにも理解出来ない。

多分、暗いところにいる。
絶望を受け入れず、
希望を受け入れず、
僕はただ、暗いところに居る。

居心地がいいんだろうか?
なにもしたくない。
誰にも会いたくない。
否定されたくない。
疑問を投げかけられたくない。

人と話すことに疲れを感じる。
気を遣っても相手を理解する事は出来ない。
自分の思い込みの外にあるナニカを信じられない。

人の役に立ちたくて始めた事のはずなのに
気が付けば一人きりの世界でもがいてる。
誰も居ない。
此処には誰も居ない。
話せば話すほど自分が失われていく。
自分のカタチを変えられない。
別人にはなれない。
僕に無いものを求められている。
新しい自分を生成出来ない。

たすけて。

そうひとこと言いたい。
その気持ちさえ、嘘になりそうなほど
僕には助けを求める先が無い。

真っ暗闇に居る
僕は何処にいる?
真っ暗闇もわからない。

君をうまく信じられない。
君はどこにいる?
俺はここで何をしてるのか。。

苦しいけど、絶望を手に入れる為に
もう少し頑張ってみるよ。

仕事の反省点や雑感など2日目

2015年10月28日 14時01分08秒 | 仕事
最近、風邪をひいて初めての突発休を使ってしまった。
有給休暇とは違うので、使ってしまった、と表現するのは変かもしれないけど。

人と会うために一か月前から申請していた計画休暇で休んだ事は過去に二日あったけれど
自分の体調管理が至らなくて突然休んでしまったのは今回が初めてだ。

それでも、休みを使ったのは一日だけで済んだし
飲み会の時に風邪でゴホゴホやっていた人は今も長引いているので
風邪の引き始めに風邪薬(漢方薬)を飲んで
一日中家で静かに寝ていた判断は正解だった。

相変わらず仕事では失敗を繰り返している。
以前に注意された事を何度も指摘され、
そのたびに、俺は忘れっぽくなってしまったなぁ、と思う。
老化には勝てないが
もう少し記憶力を保持する事は努力次第で出来るだろう。

だいたいからして
僕は印象深い事以外を忘れすぎる。
あまり反省していないと思われているようだが
そもそも、自分で気付いた事以外は
ほとんどすり抜けていってしまっているような気がする。
「自分で直そうとしないと直らないよ」
とよく言われるが僕は仕事の改善を望んでいるのであって
別に若返りたいわけでもなければ別人になりたいわけでもない。
ただとにかく上司から指摘される様々な問題点がありすぎて多すぎて
正直覚えきれない。

それでも。
一つずつ、少しずつ直していくしかないんだろう。
「お客様の方を向いていない」
「無責任だ」
「一辺倒に考えすぎだ」
「難しく考え過ぎなんだ」
というのはよく言われる
僕は僕自身で自分の欠点に気付けていないようだ。
根本的になんの話をしているのか、
一時間ほど説教くらっても、
時には数時間とくとくと教育的指導を受けても
結局要点はなんだったのか、さっぱりわからないことが度々ある。
相手と同じ感覚を持つことが出来ない事はたびたびある。
その違いは、経験によってしか埋まらない気がするときもある。
異なる経験を、僕自身の想像力によって補う事が出来ていない。
相手への思い遣りがない事が原因だと言われるけれど
別にお客さんのことを考えていないわけではない。
「お客さんの言う事を真に受けて信じ過ぎ」という怒られ方をすることもある。
結局のところ、判断力のマズさを後になって振り返って説教受けているので
理由はあっちだったりこっちだったり、一つの原則に安定したりはしない。

要するに、正しさの無いところで、判断力や匙加減のマズさを怒られているのだから
そんなものに正論で向き合ったって仕方ないんじゃないか?
という感じがしてくる。
大事なことは1と0の間にある、というのがBUMPの歌詞に出てきた気がするが
(>知らなきゃいけない事は どうやら1と0の間)
僕は白黒思想がヒドイらしいので
その指摘があっているかどうかはわからないが
もっとグレーの部分での相手の感情に沿った適切な判断力を養わなければならないんだろう。

それにしても人から言われたことを素直に受け入れられないという欠点の指摘は
一朝一夕で直らないからやっかいだ。
「そもそも直す気があるのか?」
というのを何度も怒られるが
僕が別人のように変身することを望んでいるわけではない。
どちらかといえば仕事上では+αの足し算を続ける事で改善していきたいと思っている。

もっとも、そのプラスαのやり方でさえも、
きっちりと失敗を記憶して次回の改善に繋げられていないのだけれど。
付箋紙をモニタ画面の隅に何枚も貼っているが
そもそも視界に入って気付くのは最初のうちだけで
毎日の慣れた視界になってくると、付箋紙の効力も薄れてしまうという酷さだ。
仕事上で大きな嘘を吐くことは要求されていないが、
たまに小さな嘘を吐くことが要求されるので
そういった会社のやり方がこのまま悪化していかないか
少しだけ心配になることもある。
本音と建前の二枚舌を使うように激しく上司から要求されるようになってしまったら、
きっと僕にはこの仕事は続けられないだろうと思う。

今のところ、僕に大きな課題としてのしかかっているのは
「お客様相手に対しての思い遣り、
 周りのみんながハッピーになるように、
 出来るだけ周りの負担を減らすように、
 もっと自分で考えて他人の気持ちに気付ける人間に成長して下さい!」
ということなので、すぐに反論してしまう癖や
「でも○○… 「だって●●…
という感じに出来ない事の言い訳をして自己保身に走ってしまう癖をやめるようにというのが
当面の目標である。

正直言って難しい。
頭でっかちな空論で生きてきた人間に
感情的な気持ちの汲み取りや思い遣りの話を何度もされるのは
正直キツイ。
はっきり言えば説教の最中でさえも
ぐるぐる頭のなかを言葉が巡って
無意識に反論を開始してしまうためだ。
「考えるな、感じろ!」みたいな話は
そもそも僕にあまり適合しないので
結局上司がわかりやすく噛み砕いて
僕にわかるように欠点を具体的に要点を抑えて説明することになるわけだけれど
その説明が、何回聞いてもほとんど意味がわからない事がある。
一人前のオペレータになる道はまだまだ遠い。
特に諦めてるわけではないが
たまにこっぴどく叱られると仕事場に向かう気持ちが沈んで後ろ向きになることもある。
それでも多分、この地域では僕はずいぶんと恵まれた職場にいるので
当面は課題の克服に向けて頑張らないといけない。

サボってきた人生の宿題を一気に片付けないといけないようなものだろう。
そんな予感は、以前からずっとしていたのだから、まぁ仕方ない。
割り切れるような性格ではないけれど
割り切って頑張るしかないんだ。
そう言いながらも、ずっと余りを計算し続けるような僕がいる(笑)

通りすがりの君へ。

2015年10月28日 13時01分01秒 | 考え事
混然一体となっている悩みの最中にこうしたアドバイスが適切なのかどうか
あまり定かではありませんが
伝わるかどうかを別にしても、僕自身の為にもなるかもしれないので
一応問題と向き合ってみます。

・努力を怠っている為に幸福感を感じられない
・心を満たすにはどうすればいいか

朝起きて居られるかどうかについては、
ちょっと問題の大きさが違うような気がしています。
人との約束が午前中にあれば早起きしますし
始発の電車で旅行に行きたい時は眠くても早起き出来ますが
遅番の仕事の翌日は昼近くまで寝ていても
(ありゃしまった今日を無駄に過ごしてしまった)
という程度にしか受け止めていません。

充実した一日を送ることと
真剣な今を生きる事は等しく等価な問題では無いからです。
もちろん、今の自分の形が変わることで
早寝早起き腹八分
という健康の原則をキッチリ守る自分にすることは可能です。

僕はもしかするとあなたと同じ問題を抱えたままで
それを乗り越えていないのかもしれませんが
努力を怠っている自分と
努力家の自分を両方知っています。
真剣に高い目標に向けて毎日努力していた時は
目標に到達した時、腹の奥底から胸の奥を通って自然に言葉が出るように
学校のクラス担任の教師に「ありがとうございます。」という言葉がこぼれたこともありました。
その時の達成感はとても充実した幸福感と近い感覚のものでしたが
一人の努力によって達成される達成感と
他者との繋がりによって得られる幸福感は
仮に脳で分泌される興奮物質が同じ組成のものであったとしても
私は別の問題として考えるべきではないかと思います。感じています。考えられます。

簡単に言えば憧れのハードルを自分で設定して越えるという事です。
少しズルい比喩を使いますが
自分で設定した目標のハードルは、理想や幻想は、色の着いた空間です。
どのような時系列を辿ろうとも時空を超えようが
長距離移動しようがどうだっていいのです。
やり方はなんだっていいのです。自分の決めたルールの中で
自分がそこの枠に到達してその理想的な瞬間を通り抜ければいいのです。

それに対して、他者との繋がりによって得られる感覚は
もっと真っ白な世界と向き合うことです。
もっとも弱い自分を覗き見ることでもあります。
色はありません。
真っ白な、と書いておきながら透明でも白でもありません。
自分では色がわからないし、測れないのです。
今までの自分が今まで見たこともない色を初めて見るという事でもあります。
この世界を、物理現実を、これまで全く異なる方法で生き残ってきた他者と
初めて出会うことです。
それは超越した外を見ながら、同時に自分の内側を開くように見ることでもあるので
単純に「向き合う」と表現する方が適切かもしれません。

僕が今求めている幸福感は、おそらく後者の方では無いかと思うので、
「達成感」と「幸福感」は分けて考えた方がいいのかなぁ、
と今は二つを提示しておきます。

絶望は、未来が真っ黒な状態です。
明日なんか来なければいいのに、
もう生きていてもしょうがない、
誰も信じられない、
そうした思い込みによって死ねるほど、
人間は生物として結構バカなくらいに脳が発達していますので
自分の作り出した思い込みに支配されないように
「未来は自分ではない」「未来は他者の方角にある」という変化の原則を悟ることが
肝要かもしれません。

心という表現も
此処路という書き方も僕は好きです。
今、此処に全方位の道がある。
それを選ぶことの出来る自分に気づきながら、まだ選んでいない自分
すべてを選ぶことが出来る贅沢さの中で
何もかもを得るほどには強欲でない自分を感じている
だからきっと一つを選ぼうとして
一つを選んだことで手に入らない、進むことの出来ない方向についても考える
可能性を選ぶことで可能性を捨てることに、
自分で自分の人生に責任を負えない

他人の言う事に惑わされすぎでしょう。
彼らはどれだけ真剣に生きたとしても、
あなたの代わりの人生を生きることは出来ない。
自分で考えて、自分で気付くしかない。

もっとも、僕らがセカイ全体の中の一部分、
個が全で全が個なら、
そうした様々なアドバイスさえも、
自分自身が考え出した誤認識の一過性に過ぎないのかもしれませんが。

僕は迷っているあなたを羨ましく思います。
あなたには自分で自分を決める選択肢があり、
可能性があります。

僕は今、自分で決めた事の中で
悪戦苦闘したり試行錯誤したりして
自分の欲求を探し出そうとしています。
正しさが、幼少期に環境からセットされた常識の罠、
単なる枷に過ぎないのなら、
僕はもっと心の奥にある本当の自分を思い出さなくてはならない。
ハードウェア的に重なって此処に存在している人間は居ない。
この位置で、この世界を観測出来る人間は僕だけなんだ。
新しい僕は僕が決める。
それでも、心は君の方に開いておくよ。

仕事の反省点や雑感など1日目

2015年10月21日 23時01分56秒 | 仕事
今日から再び日記を書くことにした
動機についてうまく書き表す事が出来ないのだけれど
仕事場の上司から日々の仕事についての失敗や至らない点を
改善するための具体的な行動や工夫を求められたのがきっかけだ。

潜在的な理由を探せば
日々流されていくだけの自分の生活の中で
何も生産的な事を生み出していない自分
消えていくような錯覚を
少しでも紛らわしたかったのかもしれない。

一つ目の目的は文章を書き起こすことで
もう一人の客観的な自分を呼び起こす事が出来るかもしれないと考えたから。

二つ目の目的は
以前からこのblogを読み続けてくれている読者が
一人くらいはまだ残っているかもしれないから
その読者に向けての、生存証明や
近況報告がしたかったのかもしれない。

最近の僕を知らない人のために書いておくと
今の私は某エヌ社のオペレーターとして
接客の仕事をしています。

数年前の僕しか知らない人が働いている僕の姿を見たら
何か少しくらいは、驚いてくれるかもしれない。

僕は自分を見失っていると同時に
新しい自分を構築している
家に引き篭もって何もしないで悶々と悩んだ日々も
人とぶつかってばかりで自分の気持ちの持って行き場も
感情のコントロールも出来ない自分を
亡くしてしまった事を思い出すと
なんだか泣きそうな気持ちになるけれど
それほどまでに、僕は自分の事が好きで好きでたまらなかったのだろうかと思うと
なんだか嘆きと悲しみと後悔と不甲斐なさと哀悼のような
とても形容しがたい複雑な感情が湧き出てくる

それは多分、僕が僕自身を殺してしまったこと
僕が人生を諦めてしまったこと
僕が何もかもをどうでもいいと思いながらも
ただ生きている方の世界の方にしがみついてしまったことの
大人になりそうな自分を見ている後悔の先取りなんだと思う。

大人になったとは到底思えない
でももう、子供でも居られない
一人で生きることに慣れ始めている
誰もいない孤独の中に孤独を感じる時間さえも減ってきた
誰かと話さなくても平気な自分がいる
友達が一人も居なくても苦しくない
恋をしていなくても何も辛くない
家族がいなくても寂しくもない
ただ僕はもう、僕自身を大切にすることも、世界と戦うことも、心の本質と向き合うことも
何もかも、もう忘れてしまった。
半分くらいは、自分の人生や時間がどうでもいいと思っている。
それでも自暴自棄にはならない。
誰も恨んだりはしない。
一人暮らしはそれなりに楽しい。

僕は今、北海道の隅っこで
寒さを楽しみながら、平穏無事な生活が続くことを願っている
少しずつ貯金しながら、
無為な毎日を過ごしている。

それでも。
人から何かを批判されると
防衛本能みたいな何かが働いて
自分を守ってしまう
自分の殻を捨てられないでいる
相変わらず、僕は脱皮しないままのセミの幼虫だ。
ただもう、あの暑い夏の中で盲目の土の世界に眠っているわけにもいかないんだろう
人を殺すような決意も覚悟も無いし
出来れば誰とも関わらずに貯金だけで生きていたいような気分だ。

それでも僕は日々、仕事をしている自分を通して
いつもいつも毎日知らない人を十人くらい相手にしている。
引きこもりだった自分を思い出せば、
ありえないようなすごい事を毎日している。

上司からは毎日一時間くらい怒られる
説教もされるし、色々とショックな事も言われる
その事に動揺することも減ってきた。
メンタルが強くなったとは思わないけれど
少しだけ、否定される事にも慣れてきた。
謝るばかりの接客の仕事の中で、一割くらいは感謝してくれるお客さんが居るのも嬉しい。
本物のありがとうなのか、形式的なありがとうなのかはわからないけれど、
何十人かに一人くらいは、すごく大喜びしてくれるし。
それを思うとおそらく俺は、きっと恵まれているんだと思う。
毎日仕事の愚痴を飲んだくれて発散するようなサラリーマンとは違う。
そもそも今の仕事は、僕が自分で選んだのだから。
ここで生活することも、今の仕事も、僕が自分で選んだ。
その選択が、今の僕を支えている。

責任感とは違う。
僕は僕の選択を信じたいんだと思う。
今日は一日目なので、あまり具体的な事を書くのはよそう。
それにあんまり具体的な事を書きすぎても、
誰の参考にもならない変な文になるだろうし。

僕は多分、新しい自分を欲しがっている
それが、君と出会えるような
何か新しい未来への架け橋に繋がっていたら、
それはとても幸せなことだと思う。

またここで会おう。
次に僕が文章を書いた時に。

偽造通貨…?

2015年08月22日 09時22分09秒 | 考え事
世の中に流布されている
当たり前の通貨としての
正しい言葉遣いをするように
強要される事がある。

まるで私の言葉は
偽造通貨だと言わんばかりに。
はたして言葉とはそのような正しい生き物であっただろうか?
そもそものなりたちが、
そんな形だったか…?

元の形がわからないのに
今の形がわかるというのは
原因と結果
過去と現在
の繋がりが絶たれるということでもある

現在のみを肯定すること
今だけを見つめること
過去と未来を否定すること

それが僕の絶望の源泉なら、
僕の心は恐ろしく膠着した
カチカチに凍った永遠の中でさまよっている

だから僕は前提を疑おう。
何かを受けた時に
その圧力に逆らって
自分の位置を確かめるように。

ひとつ
またひとつと
世界を壊していけばいい。

凍りついた世界の中で
他者を罰するような時代は終わった。
新しさは変化を感じ取る
余裕の中から生まれる

懐かしい眠りの中に
僕は結び目と綻びを、探そう。
そして多分、僕は僕の言葉を見つける。

心をブロックしている先生へ

2015年06月12日 15時12分23秒 | 再考
強い意志を感じたので
こうしてメールする事自体、
ほとんど意味のない行為かもしれませんが

あなたらしく過ごして下さい
とあったので自分の在り方に正直に向き合っています。

ここ1年弱に起こった事を思い返して
考えてみましたが、
僕がそもそも先生に興味を持ったのは
通行区分帯違反?か何かで
朝のバスレーンを走ってしまい
警察に罰金取られて授業料のバイト代が貰えなくなった事に
ショックを受けながら
自分の過去の悩みを突然生徒全員の前で
赤裸々に語り出したり
脱線に次ぐ脱線で一体何を話してるのか
支離滅裂で
それでも心の問題に向き合い
コミュニケーションについて何かを語ろうとする姿が
妙に独特で周り中から滑稽に映る程一生懸命だったから
そのことがとても印象に残ったからです。

先生が帰った後
クラスメートの人達からは
「さっきの授業なんだったん?」
「これってテスト出なくね?」
みたいな授業が授業らしくない事への不満などが
色々と囁かれていましたが、
僕は逆にそこが異質で面白いと感じていたから
先生の事をもっと知りたいと思いました。
初対面の時には、私服だったことも関係してか、
それとも泣きそうな弱々しい姿を見たせいか、
僕は先生から女らしさを感じていましたが
居酒屋で着物姿の先生を見た時は
逆に堂々として頼もしい感じに見えました。

その他気になった点としては
友人が言っていた悪質な冗談に対して
「全然そんな関係じゃないですよ。」
と僕が全否定したのを
先生は「まだ会ったの3回目ですよ」
というような説明をしていたのが思い出されます。

他にも色々と考え直して
メッセージを読み返したり
思い返してみたのですが
僕の言動が僕の中で独り善がりの好き勝手自由我が儘
であることに反して、
先生の言動はいつも何かしらの戒律のような
不自由な檻に束縛されていて、
僕が指摘した正義感というのも
そこに繋がっているように思うのです。

そして今回急速に心の門が閉じられていったように感じていた
僕の受け止め方がじつは間違っていて、
じつはもっと長い時間をかけて君の中で
ゆっくりと心の門が閉じられていて
>ひとつ、昨日も少し伝えましたが、
>いままで思っていたことを伝えさせてください。
という言葉を書いた時、
すでに君の中でひとつの結論に閉じこもってしまったのだと
思い至りました。

結局のところ、僕の中で先生の気持ちを察する為の推論は
【僕から恋愛感情を持たれる事が無いように
一方的にコミュニケーションを断絶した】
という風にしか組み立てられませんでした。

相手の気持ちを無視して
僕らしく今ままでの心の有り様を
単なる感情的な印象として書いてみると
先生を女性として魅力的に思ったのは初めて会った日だけで
その他の日は、
いつも自分のフィールドに構えていて
必死に何かを守っている家族想いの孤独な人

という感じです。
好きかか嫌いかの二択で言うと
もちろん先生の事は好きですが
今はもう、特別な尊敬の念を抱いていません。
それに、僕の心には
いつも25歳の頃に知り合った本当に特別な女の子からもらった
感情の発露があって、
その女の子の声が内なる響きを持って
「私と心で向き合って!」
と時々波寄せるので
僕はその記憶の牢獄から出る気が全然無いのです。
その女の子は僕の人生で最も深くまで
僕の心を傷つけ、
僕はその女の子の事が忘れられないのです。
何度も喧嘩して何度も仲直りしたけど
結局僕の想いは通じないという結論に落ち着いています。

5年ほど前に付き合った彼女からは
「鋭志の心にはいつもその子が永住権を持っていて私の入り込む余地が無い!」
と言われました。

だから多分先生は、
僕の心を傷つけてもいないし、
僕の人生を左右するほどには
僕を混乱させていません。

だからもう先生は、
僕に謝ったりしないで下さい。
申し訳ないことも無いし、
恥ずかしい事も何もありません。
先生の方こそ、自分らしく生きて
あなたらしく家族を大切にして過ごしていって欲しいと思います。


今日、生きるか死ぬかを君は宇由に選んでいい。

2015年02月24日 05時40分55秒 | 駄文(詩とは呼べない)
今日、生きるか死ぬかを君は宇由に選んでいい。


今日、自分が生きるべきか死ぬべきかを、君が選んでいい。
今、自分を殺すべきか活かすべきかを 君が決めていい。
君は今、自決の場所に居るのだから。

明日すべきことがわからない君は、
今日という人生を迷っていい。
無限の可能性を秘めた場所から、
手繰り寄せた少ない可能性から、
君は後ろ向きの人生を選択してもいい。
前向きな人生を歩まなければならないと、先に正しく決まっているわけではないのだから。

投げ出すことは悲劇かもしれないけれど
自決が悲劇を演出するかもしれないけど、
本当の悲劇は、諦めの境地からやってくるのだから。

生きることを決めてしまった人生と
死ぬことを決めてしまった人生は、
等しく無価値な絶望の中にあるのだから。

だから君は、今日を迷っていい
今日を悩んでいい
今日を君が決めていい。

君はいつも、宇宙に浮かんで宇由な魂に電気の灯を灯すのだから。
魂の沈む場所に、罠のように佇む夕日を、
人は時間と呼ぶのだから。

限りある場所を選ぶために限りない未来は広がっているのだから、
そこから絶望の唄を拾ってくることに なんの支障も無いよ。

もっと迷っていい
もっと悩んでいい
魂を真っ黒に染めて、嘆き悲しんでもいい。

君は今日、そこで自由を掬い取るスプーンになる。

マルチポスト(mixi日記より)

2015年01月16日 23時51分58秒 | Weblog
久しぶりにmixiにログインして
みんな何してるんかなー?
とマイミク巡りなどしてみたら
ほとんどの人が最終ログインは3日以上となっていた。
もうmixiって全然流行ってないよね?
今は様々なソーシャルソフトがあるけど
みんな一体どこで活動してるんでしょうかね?

自分もアカウントだけは色々あるけど
あんまりメインで使っているものもないし
昔のようにICQやmessengerやskypeで
友達のオンライン状態を確認するようなことも無くなった。
そもそも、よほどの作業がない限りパソコンの前に座ることすらも無くなった。

毎晩パソコンの前に向かって
キーボードをガチャガチャ打って
色んな友達とチャットしまくっていた頃が懐かしい。

タッチパネル操作に世の中がシフトしてから、
僕は自分の気持ちをコンピューターに打ち込む時間が無くなってしまった。
キーボードが世の中から無くなる時、
僕の創作文も無くなっていく。

不思議な感じがする。
世の中が便利になっていくに従って、
ぼくは僕であることを忘れていく
あの日、真っ白なメモ帳に向かってセカイと対決していた僕はもう居ない。
友人が自殺した時の遺書をmixiで読んでショックを受けた僕もいない。
ぼくは文章を書かなくなってから、僕と出会う時間がない。

テキストの中でしか会えなかったもう一人の僕は、
今はいったいどこにいるんだろうか。

土ボタル

2014年10月08日 22時58分56秒 | 駄文(詩とは呼べない)
土ボタルの成虫には口がない
ただ産むために生まれ、瞬くような数日の淡い光の中で死んでいく
ただ交尾をするために生まれ、静かな光の中で洞窟と共に死んでいく。

土ボタルの幼虫には攻撃力がない
ただ、静かな時の中で 淡い光を放って大人になる
満月に勝てない光 蛍にもなれない光
だけど君たちは大人になれる ただ、大人になる為だけのことわりの中で光る。

土ボタルの名前には清潔さがない
ヒカリキノコバエ
光茸蝿
光るのは排泄物
粘液を長く垂らして捕食する
生きるための光
洞窟の中で暗闇に生きるための光
ただ、罠を張るためだけに美しく光る
天満の影絵で 宇宙を作って死んでゆく。


土ボタルの命には時間がない。
地球が数回廻っただけで 命の光で死んでゆく
性行為と捕食のうんこまみれで死んでいく。

人間には時間がある
人間には時間があり過ぎる
SEXをしてもまだ生きている
子供を産んでもまだ生きている
大人になってるのにまだ生きている
老人になってもまだ生きていこうとする。

そんな生き様に、尊厳なんてあるのか
ほんとうに 尊厳なんてものが あるのか?

土ボタルは白い洞窟の暗闇で
静かに不潔な時を過ごし
地下の宇宙を作って消えていく
食べない未来
遊ばない未来
生きない未来
ただ、暗闇に宇宙を残して、
何万年もの白いつららの中で生きた化石になる。

だから彼らは、ときを刻んでいる
いきることと死ぬことが同義であるように
短いときと 長いときは同義である。
短い命と長い命は同義である

ひとりになってわかったこと。

2014年07月10日 03時11分06秒 | 考え事
僕がずっと迷っていたのは
「ぼくがうまれるべきかどうか」
だったんだとわかった

なぜなんだろう
答えがわからない