嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

ダミ-更新

2013年12月09日 21時54分16秒 | Weblog
Nexus7とbluetoothキ~ボ~ド買いました。
結構どこからでも更新できるようになった。 かも。

死は、あるのか?

2013年08月25日 21時02分10秒 | 
すべてを心の問題に置き換える。 、すべてを。
 だから いつも死は 僕の身近にある。

どうにもならない鈍感性

2013年05月11日 20時34分31秒 | 考え事
この世界の痛みを感じる感性が、失われつつある。
世界の痛みを失えば、僕は自分を失うだろう

自殺するには自分が足りない。

2013年03月22日 23時01分00秒 | 駄文(詩とは呼べない)
自分を殺すことに慣れてしまった
我慢することに慣れてしまった
新しい刺激が無くても惰性で生きていけることを知ってしまった

それでも。

時々、イライラした感情が体から噴き出しそうになって
生きている実感が欲しくて
平坦な道を、平凡な日常を、
破壊したいような、どうしようもない気持ちでいっぱいになる事がある。

多分、もしあと少し、生まれついた環境や、
性格が違っていたのなら。
ほんの少し、過去の選択肢が間違っていたのなら。

僕は犯罪者になっていたんじゃないか?
そう思う時がある。
そう、思える心当たりがいくつもあるし、
そう、思ってしまう。

だけど僕が人でいられるのは。
人間でいられるのは。
人間でありたいと願う心が
少しだけフワフワとした灯りのようにちらつくのは。
影がなりを潜めてちらちらと出そうになるのは。

好きな人が、居るからなんだと思う。

だけど、嫌いになりそうで怖い。

好きな人を嫌いになりそうな時、
破滅的な気持ちになる。
どうしようもない自暴自棄のような、
八つ当たりと近いような、
すべての原因を、イライラした感情を、
まるで好きな人のせいにしたくてしたくてたまらないような、
そんな気持ちになる。

これが依存であるのなら、
僕はきっと自立せねばならない。
何者にも頼ること無く、
すべてを自分で決めねばならない。

だけど、そうするには、
あまりにも、未来の希望が薄すぎる。
生命力が、希薄すぎる。
動物的に、僕の野生の心が弱すぎる。

正直、生きてたってさほど良い事は無い。
それはわかってる。
だけど、このまま生きていて、
絶望的な気持ちになるほど、僕は未来にも、他者にも、
期待してないんじゃないか?

そう、自問自答する。

平らな道を歩いている。
平坦な日常を、ただひたすら、めくらのように歩いている。

このままではダメだ。
僕は、このままではダメになってしまう。

すべての感情が消え失せて真っ白な自分になるほど悟りの境地に達するか、
あるいは。
総合的に、全てが感情になってしまえばいい。

この世界の全てが、感情になってしまえばいい。

そうしたらきっと僕は。

ようやく自殺できるんだと思う。

死によって培われていくセカイの尊厳

2013年01月14日 23時23分10秒 | Weblog
我々は【死】を許されている。
僕に尊厳死の自由があるのではない。
「死」によって私達の尊厳が守られている。

私は死ぬことを許されている
僕が自由に死ねるということではない。

私が生きたことによって選びとった罪を
自らの意志だと錯覚する業の炎を
焼きつくすことが許されているということ。

道徳を選ぶことは出来ない。
それでも、罪を選ぶことが出来るのなら。

死は僕たちに許されている。

魂の迷路は、いつも迷うことを許されている。

大切なものは、モノでも心でも無いから。

2012年12月22日 11時27分05秒 | 政治
今日、食器洗い乾燥機(食洗機)を取り付けた。
ある種の恋愛における価値観のズレや、
他者とのコミュニケーションの失敗、
親しい女友達を幸せに出来なかったことの後悔、
様々な感情の入り組んだ迷路のような、
‥というよりは迷宮のようなセカイと心のはざまにある
カチカチした世界観を崩して、
あるいは崩れかかって(?)、
社会生活を営んでみようと試した結果

多くの時間を失った代わりに得た労働賃金で、
使うアテの無い初めてのボーナスで、
家族にプレゼントをしてみようと思ったのがきっかけの一つだ。
取付工事は滞り無く終わり、
(外部依頼)

さて、と我に返って久しぶりにブログを見た。
放置していた自分の場所。
頂上を目指しているかどうかもわからない登山のような場所で
ふと後ろだけを振り返るような、
そんな気分で放置ブログを見た。

珍しく読者らしい人が現れて、
痕跡を残していってくれたようだ。
過去に知っている人かもしれないと思ったのは
作りこまれた文章だったからなのか、
かしこまった文章だったからなのか、
疑り深い僕自身の性格によるものなのか、
意識は対象を「同じ」「同じ」と刷り込ませようとする
知らないモノを知っているモノだと誤解させる働きがあるためなのか、

あるいは、
僕自身が とあるブログに久しぶりに
うっかりコメントを残してしまったからなのか。

おそらくは、一番最後の理由が一番深く関係しているだろう。

言葉は他者を映し出さない。
言葉は鏡のように、いつも僕自身の不安を映し出す。
涙がでるような手紙も、
たった一人で読み耽るどうしようもないクズみたいな言葉の羅列も、
自分の残した排泄物のような記号の群れが愛しくて切なくて
たまらなく想いが込み上げてしまうのも、
きっと言葉の性質上、しかたないことなのだ。

そう、思おうとしても、
どこかで割り切れない。
メッセージが、どこかから、誰かに伝わるんじゃないかって
そう期待してしまう自分が居る。

それでも、一息でいっきに文章で書くエネルギーは薄くなった。
ただ想いだけを、溢れ出る思いのたけだけを一生懸命書き殴り、
どこにも届かない代わりに自分を痛めつけるような、
あの必死だった感覚はどこへいってしまったのだろう。

ほんの数年前、死ぬことのできなかった自分を思うだけで
どうしようもなく、自分が老化し続けているような気がしてならない。
自殺は若さを永遠に保存しようとする魂の抵抗だと、
どこかで誰かに教わったり、刷り込まれたりしたことがあっただろうか?

あるいは、
僕は僕自身の自殺という約束を、
ある意味 読者との約束を
破ってしまったという後悔の塊を背負ってるからなのだろうか?

僕は社会の中で考えることから逃げているような気がする
たんに自分の人生設計だけじゃなくて、
将来の夢とか希望とか、そんなありふれた歌にあるような
散財した奇跡じゃなくて、
もっと深刻に、命懸けで背負っていた使命感を放り投げてしまったような、
そんな気がする。

僕はなんのために生きているだろう。
子供だった頃の自分に脳内で会ったとき、
思春期の子供からの手紙をうっかり発見して魂の言葉と出会ったしまった時、
はたして僕の良心は耐えれるだろうか?

今は読者が居ない。
だけどもし、「読者」がこの先も僕の側に現れ、また消えることがあるのなら。

そのとき僕は、死 以外の、 なにをここに残すのだろう

決断は要らない。

2012年12月12日 22時00分59秒 | 政治
ただ黙々と、日々をこなしていけばいい。

サブカルセンカクシンクタンク

2012年10月06日 22時40分37秒 | 政治
だいぶ前から録画してあった「ニッポンのジレンマ」を見た。
正月くらいから時々突発的に特集されて放送される番組なので
きちんと全部見れているかどうかはわからないが、
結構若者の論点や思想、個別の思考と着眼点が面白い討論番組だ。
珍しいのは1975年以降生まれを集めてみたり、
1985年以降に生まれた人を集めて討論させたり、
意図的に偏りを作り出して、新しい未来を占おうとしているところ。

で、「僕らの国際関係論」というテーマで討論が行われてるのを聞いてるうちに
ふとしたことを思いついた。

過去にロシア(当時はソ連)と北方領土で揉めていた時に、
「日本は経済大国だから、お金で北方領土を買い取ったらいい」という意見や発想があった。

そしてアメリカは軍事大国だから、よその国と揉めた時には、
軍事力で決着をつけて奪い取ったりしている。

そこで僕が思ったのは、
日本はモノ作りによる経済大国から、
サブカルチャーの国に軸足をシフトしているのだとしたら、
竹島問題や尖閣諸島の問題、北朝鮮問題にしたって、
文化的な観点から、決着をつけたらいいんじゃないだろうか?
ということ。

つまり、考古学者や歴史学者、社会学者や憲法学者、新聞記者など、
様々な観点から「なんでも鑑定団」でやっているように
尖閣諸島が誰のモノか、文化的に落としどころを見つけ出して
それで問題に決着をつけたらいいんじゃないのか?
実際、池上彰は領土問題における番組解説の中で、
彼得意の新聞の切り抜きや、古い地図を持ち出して解説していた。

もし、日本がアメリカの51番目の州だということなら、
軍事力でドンパチやって核兵器でもなんでも持ってきて
力で決着をつけたらいい。
だけど、今の日本はそのような国のあり方はしていない。
だったら、21世紀の日本らしいやり方で問題に答えを出すべきだろう。

マスメディアが画一的に情報を支配して、
情報戦を繰り広げて国民の意識を乗っ取るような時代は終わった。
新しいメディアの中で、新しい意識で、自然発生的にやんわり答えが出ればいい。
「尖閣諸島は、ただの岩石でした。」
「海底資源は、じつはほとんどありませんでした。」
という結論が出たっていい。

だって本当は、最初から興味なんか、無かったのだから。

うわ。

2012年08月19日 05時46分10秒 | ちょいと言ってみる
更新せずに放置していたせいでデザインが変わってやがる!

世代交代のミッシングリンク

2012年05月26日 22時33分41秒 | 考え事
心を亡くしてしまったことを思い出して、
フイに悲しくなる。

失くしてしまったのは心ではなくて時間だと冷静に自分で思ったりはするのだけど
間違った時間が進んでいく現実を一人の個人が止められるはずもないし、
僕が無くした拘りを取り戻せるわけでもない。
破壊された感受性や、失った鈍感さを、
青臭さを大人にぶつけたって取り戻せはしないことぐらい、
もうわかりすぎてしまっている。

唯一心が救われるな、と思うのは
僕が童貞のまま、誰とも交わらずに死んでいけることぐらいか。

そうは言っても、もうとっくに様々な毒を取り込みすぎているし、
たくさんの食事を咀嚼し過ぎた。

この先ぼくは、強制的に大人の世界にひきづられていって、
社会の歯車の一つになって、
若者に世の中にはびこっているメディアの常識みたいなウイルスやミームの類いを
知ったかぶりの先輩づらで説教するのかと思うと、
正直反吐が出そうになる。

メンタルが壊れていくような作品と出会えるのは面白い。
自分が壊れていくような衝撃を受ける文化と出会えるのは愉しい。
ただ、そうした愉悦は、ほんの一瞬で終わってしまうし、
滅多に出会えるものではない。

だから僕らは、ただ日々を生きることに必死になるのではなくて、
生活だけを、地に足のついた生活基盤だけを支えるのではなくて、
もっと芸術を愛さなくてはならない。

たとえ人を愛せなくとも、
誰か他人を愛することが出来なくとも、
涙が出るほど感動する嘘の世界を、
僕らは愛し続けなくちゃならない。

立ち止まって考え続け、悩み続けることでしか、
現実を突き動かす大人の暴力には 立ち向かえないのだから。

「そういえば、会社でお金の話ばかりするおじいさんの先輩に遺産相続と節税に関するアドバイスをもらった。ぶん殴ってやりたいけど、今は耐えることにする。」

おじいさんを感動させるほどの言葉を、僕の人生は紡ぎ出していない。
「死ね、次の世代の若者よ。」

それだけが、彼らに現実を見せることが出来る。


非 日常的な 何かについて

2012年04月14日 18時44分12秒 | 考え事
僕が非日常を大切に思えば思うほど
その願いが人を傷つけ、
周りの人が困ってしまったから
僕は自分が死神なのかと思った。

黒い参列者の中で
同じ世界の同じ物を見て
ありふれた日常にしたくなかったから
僕は死に名前をつけて神のように思い上がった。

それはプライドではなくて
「拘り」だったんだと思う
でもその拘りがあまりにも強すぎて
あまりにも堅すぎて
もはや志のようなものになってしまっていたから
生者は僕を心配そうに覗きこんで
僕は死に神になったんだと思う。

過去に何度かそこここで
死神を「死に神」と書いていた理由が
今、ようやく少しだけわかったような気がした。

一瞬の気のせいだったとしても。

いつも何かに怯えながら。

2012年02月05日 23時34分34秒 | 再考
正しいことのために生きている人間と
面白いことのために生きている人間がいる。

正しいことをしている人と話していると
正しいことをしなくちゃいけないような気がしてくる

面白いことをしている人と話していると
面白いことをしなくちゃいけないような気がしてくる

損得勘定で生きている人間と話してると
自分の損得について計算しはじめてしまう

問われているのは主体性だったはずなのに
結局僕は流されて生きているだけなのか。

正しさの中にいて
正しい呼吸をしていると
グッと息が詰まる
そんな正しさのためだけに生きている人に
僕の正しさを話したところで
結局否定されて傷つくだけなのだ。

ただ、目先の面白さだけを追い求めて
快楽のために生きていると
夢中になれない自分を思う。
時間の辛さを自覚する。

僕は正しい時間の中にも
面白い時間の中にも居られない
一人で生きていくことは出来ないけれど
一人でいる時が一番落ち着く

水の中で
あるいは
水に包まれているときが 一番こころが落ち着く

熱を伝えるのが水だからなのか

僕は何のために生きているだろう
死ぬためだけに生きていた時間は終わった
生きることをただただ恐ろしく感じていた時間も終わった
生きることが辛さと痛みだけの時間も終わった
孤独からずっと目を逸らすことが出来なくて苦しい時間も終わった
僕の中でさまざまな命題が終わっていく

これが死に近づいていくことなのか。

今はきっと責任が怖いのだと思う。
生きることの責任は、自分でしかとれないと、
知ってしまったから。

自殺できなかった理由

2012年01月16日 05時34分47秒 | 
ひとつわかった。
生かされてるだけの人間は、
自殺する事が出来ない。

本物の意志と決断が
この世界とぶつかって、
自殺の殺意がはね返ってきた時、
初めて自殺は自殺足りうるからだ。

自分で生きようともしなかった人間に、
自殺なんか出来っこない。

たぶんそれを
確かめる必要があったんだと思う。

セカイのどこかに、
自分を見つけ出す為に。

超固体と超気体の世界

2011年12月11日 00時57分15秒 | 
引力がエネルギーを固めて物質化させているのではなく、
固さが引力を作り出しているのではないか?
ATフィールドが溶け合う超固体が
爆発と爆縮を繰り返す「状態」が
引力と斥力を作り出しているのではないか?

気体よりも宇由度の高い存在のドットマトリクスが
超気体状態によって
ソフトウェアよりも柔らかい「状態」
創造のイマジネーションを発生させているのが
観測すると爆発的な拡散に見えるだけなのではないか?

超固体と超気体を四次元球体に閉じ込める状態と
開かれる状態を周期的に鼓動するところを
創造(想像)してみる。

顕微鏡の発明によって見えてきた【世界】
宇宙望遠鏡によって見えてくる『生態系』が
必ずあるハズである。

シャボン玉の模様のような宇宙物質生物を、想像してしまう。
マクロへの憧れだろうか.

TPP問題に対して端的に意見する

2011年12月02日 16時39分50秒 | ちょいと言ってみる
国民の健康よりも企業の利益を重要視する政治家は、すべて信用できない。