やは!
さっき晩飯食いながら祖母ちゃんの話聞いてたんですが
今まで何度も色々と知らない話を聞いて
ときおりふと、じつは祖母ちゃんの話は
他では聞けないような大事な話なんじゃないかと
耳を傾ける事もあるんですが、
さっぱり頭に入ってきませんw
で、熱心に自分の思い出話に酔いしれてる祖母ちゃんを見てると、
たぶん、長文を書いてる時(説明してる時)の僕は
周りから見て、こんな風に映ってるんだろうなぁ~
と思うと、おかしくて吹き出しそうになります。
まぁ、そういうわけで
話をしていてもなかなか耳に入ってこない事は色々ありますよね
ま、それはそれでいいんですが
僕が気になってるのは、グラデーションに関する色数の問題なんですよね。
虹の色が何色に見えるかってのを
過去にblogでも書いてるんですが
とりあえず僕が小学生の頃に習ったのは7色で
その頃も今も、あんまり見え方は変わってないような気がするんですよね
むしろこれ、天気によって色数が変わりますよね
幅が変わってるだけですけど。
目で見たときは、7つなんて区切れるんじゃなくて
もっとぼんやりなめらかに見えますよね。
古文などで使われている日本の色数の表現は
あさぎいろ、うすももいろ、などなど、かなり豊富にありますよね。
http://playmate.nobody.jp/color/japon.htm
でもそれに対して、現代の僕らが学校で習う色数の少なさは、
妙に少ない。下手すると、虹と一文字言えばまるで何かが通じたかのような
例えば三色で虹を見ている人に、7色を伝えたくても、
虹って言ってしまうと、三色しか伝わらないんですよね。
これがなんの比喩であるのかは、
前回までの僕のしつこいくらいの主張で、
なんとなくわかってもらえるのかな?
という気もしていますが、どうなんでしょうね。
まぁわかったらわかったでいいですし
わからなかったらわからなかったで
(ふーんそっか。)というくらいのものなんですが。(^○^)
さて、僕の方はというと、
今までよりも、振れ幅が大きくなってきているような気がします。
もしかすると、巻き込む人の数が、今後ますます増えていって
今まで以上に絶望的になったり、楽観視したりの
まるで躁鬱のような振幅が激しくなるのかもしれませんね。
でも僕、たぶんやめません。
少なくとも、ここしばらくの、ほんの短いうたたねのような
馬鹿馬鹿しい時を、とても楽しく、大切に見ている人も、
きっとどこかに、いるのでしょうから。
さっき晩飯食いながら祖母ちゃんの話聞いてたんですが
今まで何度も色々と知らない話を聞いて
ときおりふと、じつは祖母ちゃんの話は
他では聞けないような大事な話なんじゃないかと
耳を傾ける事もあるんですが、
さっぱり頭に入ってきませんw
で、熱心に自分の思い出話に酔いしれてる祖母ちゃんを見てると、
たぶん、長文を書いてる時(説明してる時)の僕は
周りから見て、こんな風に映ってるんだろうなぁ~
と思うと、おかしくて吹き出しそうになります。
まぁ、そういうわけで
話をしていてもなかなか耳に入ってこない事は色々ありますよね
ま、それはそれでいいんですが
僕が気になってるのは、グラデーションに関する色数の問題なんですよね。
虹の色が何色に見えるかってのを
過去にblogでも書いてるんですが
とりあえず僕が小学生の頃に習ったのは7色で
その頃も今も、あんまり見え方は変わってないような気がするんですよね
むしろこれ、天気によって色数が変わりますよね
幅が変わってるだけですけど。
目で見たときは、7つなんて区切れるんじゃなくて
もっとぼんやりなめらかに見えますよね。
古文などで使われている日本の色数の表現は
あさぎいろ、うすももいろ、などなど、かなり豊富にありますよね。
http://playmate.nobody.jp/color/japon.htm
でもそれに対して、現代の僕らが学校で習う色数の少なさは、
妙に少ない。下手すると、虹と一文字言えばまるで何かが通じたかのような
例えば三色で虹を見ている人に、7色を伝えたくても、
虹って言ってしまうと、三色しか伝わらないんですよね。
これがなんの比喩であるのかは、
前回までの僕のしつこいくらいの主張で、
なんとなくわかってもらえるのかな?
という気もしていますが、どうなんでしょうね。
まぁわかったらわかったでいいですし
わからなかったらわからなかったで
(ふーんそっか。)というくらいのものなんですが。(^○^)
さて、僕の方はというと、
今までよりも、振れ幅が大きくなってきているような気がします。
もしかすると、巻き込む人の数が、今後ますます増えていって
今まで以上に絶望的になったり、楽観視したりの
まるで躁鬱のような振幅が激しくなるのかもしれませんね。
でも僕、たぶんやめません。
少なくとも、ここしばらくの、ほんの短いうたたねのような
馬鹿馬鹿しい時を、とても楽しく、大切に見ている人も、
きっとどこかに、いるのでしょうから。