嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

あさぎいろって何色ですか?

2008年03月11日 19時09分49秒 | 駄文(詩とは呼べない)
やは!

さっき晩飯食いながら祖母ちゃんの話聞いてたんですが
今まで何度も色々と知らない話を聞いて
ときおりふと、じつは祖母ちゃんの話は
他では聞けないような大事な話なんじゃないかと
耳を傾ける事もあるんですが、
さっぱり頭に入ってきませんw
で、熱心に自分の思い出話に酔いしれてる祖母ちゃんを見てると、
たぶん、長文を書いてる時(説明してる時)の僕は
周りから見て、こんな風に映ってるんだろうなぁ~
と思うと、おかしくて吹き出しそうになります。
まぁ、そういうわけで
話をしていてもなかなか耳に入ってこない事は色々ありますよね
ま、それはそれでいいんですが
僕が気になってるのは、グラデーションに関する色数の問題なんですよね。
虹の色が何色に見えるかってのを
過去にblogでも書いてるんですが
とりあえず僕が小学生の頃に習ったのは7色で
その頃も今も、あんまり見え方は変わってないような気がするんですよね
むしろこれ、天気によって色数が変わりますよね
幅が変わってるだけですけど。
目で見たときは、7つなんて区切れるんじゃなくて
もっとぼんやりなめらかに見えますよね。
古文などで使われている日本の色数の表現は
あさぎいろ、うすももいろ、などなど、かなり豊富にありますよね。
http://playmate.nobody.jp/color/japon.htm
でもそれに対して、現代の僕らが学校で習う色数の少なさは、
妙に少ない。下手すると、虹と一文字言えばまるで何かが通じたかのような
例えば三色で虹を見ている人に、7色を伝えたくても、
虹って言ってしまうと、三色しか伝わらないんですよね。

これがなんの比喩であるのかは、
前回までの僕のしつこいくらいの主張で、
なんとなくわかってもらえるのかな?
という気もしていますが、どうなんでしょうね。

まぁわかったらわかったでいいですし
わからなかったらわからなかったで
(ふーんそっか。)というくらいのものなんですが。(^○^)

さて、僕の方はというと、
今までよりも、振れ幅が大きくなってきているような気がします。
もしかすると、巻き込む人の数が、今後ますます増えていって
今まで以上に絶望的になったり、楽観視したりの
まるで躁鬱のような振幅が激しくなるのかもしれませんね。

でも僕、たぶんやめません。
少なくとも、ここしばらくの、ほんの短いうたたねのような
馬鹿馬鹿しい時を、とても楽しく、大切に見ている人も、
きっとどこかに、いるのでしょうから。

スタートラインから始まるバックヤード

2008年03月11日 13時00分35秒 | 駄文(詩とは呼べない)
超主観 主観 客観についての
0’01
について考えてたんだけど。

あれだな、僕が今の主観をもっと超えて、
さらなる中心を知ろうと内面に深く潜ろうとするのに対して
君はあんまり、そうした事に興味がないんだな。
たぶん、僕が勝手にはにゃとしてやっていく作業で
後からその反応を見て、自分に必要と思う部分を取り込んでいけばいいや、
くらいに思ってるのかな?

これに関する構え方の違いは、
今後、ますます言語観の違いとして、
言葉の齟齬として、混迷を極めていくと思うよ。

俺さ、こないだskypeで君と話して
>抽象性、比喩は、有害になるケースが多いと思ってる。
(有害は、語弊があるかもしれんが)
(遠回りになる。)

という話をわだかまりのまま聞いていたけど
これが、すこしだけわかったような気がして
ますます絶望的な気分になってきたわ。

つまり君は、僕が具体性を増やしているのを感じながらも、
自分は抽象性を避けて通ればそれで済むと思ってるのか?
だったらもう、俺は…

もさ、君は、
何故僕が、抽象性がわかりづらい事を知りながら、
それでも抽象的な言葉を使うのか、
それを、具体性で考えてしまっているのか?
それとも、この長文自体が、僕の主観の極みでしか無いのか?

君にもう一度、根本的な問いを立てるよ。
君は中心を知る事と、自分を知る事と、世界を知る事を、
どの程度、観察できているんだ?
僕は決して、バランスのいい生き方をしてきた人間じゃない。
たぶん、君が言ったような
>経験重視でなく理論先行型であることだ。
というような部分も存在し、そのような見方もできるだろう。

君は、自分の手が自分の思い通りに動いていると思ってしまっているのか?
指を動かせば、いつでもその指は自分の思い通りに動く人間なのか?
数行前に書いた、「もさ」という宛先は、
僕から見ても、単に具体性でもって、個人しか、示さないのか?
そんなことは無いだろう。
この手紙は、見ず知らずの何者かによって、百万回、
読まれる可能性だって、あるんだろ?
そして同じように、僕がもう、送らずに、ディスクから消してしまう可能性だって、
そういう可能性だって、書き終わるまで、わからないだろ?
それでも君は、過去の3通を、だいたいわかる。
予想通り、として取り扱うのか?

で、あれば。
もし、その程度の読み方しかできないのであれば、
君は、僕が文章中に一文字だけ誤字を書いたとしても、
それを誤字として見過ごして終わりか。
だったら俺は、誤字を減らす努力すらも、間違いを極力減らそうとする努力すらも、
どうせ相手が察してくれるから、別にいいや、って甘えてお終いだな。
プランク定数なんて関係無いよな。
不確定性原理なんておおざっぱに「一方を立てば、他方が立たず」って短く書いて
それでお終いだな。理解する必要もねえよな。

そんな自分と相手と社会だけを想定する、三元定理で測っておしまいなら、
世の中ずっと平和だな。
僕はもさとはにゃと社会だけを考えてれば、
ずっと安心して飯が食っていけるよな。
サラリーマンって最高だよな。

まぁ、こんな事書きながらも、
俺は君が手紙を読むだろうと思ってる。
もし、君が今まで全く僕の手紙を受け取れずにここまで来ていたとしても、
君はきっと手紙を読むだろうと思う。
その宛先が、自分ではなくて、個人ではなくて、
僕一人のざわめきに向けて書かれたものだとしても、
きっと君は読むだろうと思う。
期待なのかもしれない。もしくは、甘えなのかもしれない。
でもおれは、たぶんそれが未来って言葉と繋がってると思う。
だから僕は、何度でも自殺の原点に立ち戻るのだと思う。
迷うたびに、僕はスタート地点に迷い戻って、また迷いながら進んでいく。

何度でも考え直して、何度でも死のうとする。
それが間違いに過ぎない、つまんない逆説的な背理法だとしても、
僕はそうやって突き進んでいく、バックヤードなのだと思う。

アポトーシス、綺麗な言葉なのか、汚い言葉なのか…

もっとね、運動すればいいって考えもあるんだよ。
速度なんかに怯えずに、アクセルを踏み続ければいいって考えも。
腹筋や背筋や腕立て伏せを毎日してる頃もあった。
そういえば、タクシードライバーって映画もあったね。
俺が生まれる前の映画なんだけどな…

誠道会拳法ってのを習ってる時期もあった。
数年しか、やらなかったけどな。

なんだろうね、君に伝えようとすればするほど、
上滑りしていくのが僕の言葉なんだ。
それは十分分かってる。読者が一人だけになっても、
たぶん僕は書くんだと思う。
それはかなり、苦しい作業でもあるんだけど、
いや、苦しいって単語の意味に逃げる必要はないんだけどさ。
そんなありきたりな言葉で書いたって、
どうせ相手は自らの痛みの比喩か、辞書の意味か、聞き言葉、
囓り言葉として「知っている意味と同じ」という誤解で読むだろう前提はわかる。
だけどそれはあくまでもスタートラインなんだ。
誤解されるくらいなら書かないって選択肢だって、もちろん僕にだってあるんだよ。
でも僕はやめない。やめられないんだ。
ずっと多くの人を傷つけてきたし、それでも僕はやめようとしなかった。
それに、本当に傷ついたかどうかだって、
相手が僕にそれを隠してしまえば、簡単に、わからなくなってしまうもんなんだ。
君はそんなことない、察してやれば、気付く事だって、
思うかもしれないけど…
だけど人には能力の限界がある。
そう思えば、相手が僕をわからなくても、僕が相手をわからなくても、
それで許せてしまうのか?
そうじゃないだろう。
たとえわけわかんない記号の羅列だったとしても、
やっぱり僕らは、そこに何か情動を投影して、
イメージを揮発させるだろう。
ゆらゆらただよう陽炎のような物理輪郭の中で、
ちっぽけな現実感で象徴の事を考えてしまうだろう。
第一印象が、ほとんど決めつけてしまうような、風潮だってあるのだから。

だから僕は、人前では冗談ばっかり言ってるのかな。
不真面目な生き方を前面に押し出して、
僕を見て!って叫んでるのかな。
いや、それだけじゃない。
僕はいつも、誰かに何かを伝えたくて、伝わらないはがゆさを抱えてる。
僕が言っている事を、いつも真剣に向き合って読んでくれる人がわずかばかり居るって
それを知っていても、
それでも僕は書かずにはいられない。
なにかを漂白せずには居られない、根源的な汚れを背負ってるんだよ。
僕は僕を、まったく緩そうとはしないんだ。
緩慢な死を、やわらかく迎えてゆっくりひなたぼっこなんか、
していられないんだよ!!!!!!

まぁ、そうは言っても、
>お返事はきちんと練ってからにしたいので後日改めますが。
という意味を、平文でしか受け止められない
つまんない僕が居るのも、それはそれでいいことなのかもしれないけど。

熱が伝わる中で、僕は擾乱(じょうらん)って言葉の意味を考えた。
そしてまた、どうやって、地球を反対に回したらいいか、考えた。
大河の一滴が、川の流れに押し流される事無く、水のままであり続ける方法についても、考えた。
アイディアは、ある。
引力に対して、斥力があるように、力の四要素に
「重力」「電磁力」「大きい力」「小さい力」があるように
この世界で起こる、根本的な出来事に、もう一度立ち戻る必要性について考えた。
つまり僕らは、なんで重力に勝てないのか、ってことだよ。
勝てるんだよ。勝機はある。
ライト兄弟の事じゃないよ。もちろん彼らにだって、熱い魂があったとか、
その人間性から美徳を見習うとどうたらこうたら、
いくらでも、小説のようなものは書けるだろう。
だけど僕が言いたいのはそういうことじゃないんだ。
もちろんそこを進路として取らずに、適当に言い含めてしまっているのはすまないと思うけど。
戦う人間主義がどうとかいう、あやしいふれこみに沿って説明する事だって、
たぶんできるんだろう。僕はそういう事だけが、人を動かすものだとは、思わないけれど。
つまり僕たちは、すでにニュートン力学を超えるような出来事に、
いつだって遭遇してるのに、むざむざとそれを見過ごしてきたんだ。
幽霊と出会っても、科学で否定する方が楽なんだよ。
不安からじっと目をそらして、現実の中だけで生きてれば、
それはずっと客観的で楽な事なんだよ。
だけど違うんだ、それではもう、僕は僕の心を救えない。
みつけられないんだ。
だから僕はどうしても、時々デカルトの話をしてしまう。
比喩として、安直に頼ってしまう。
だけど違う。
この先は、左巻き式宇宙と、右巻き式宇宙について話して行こうと思う。
それがいかに小汚い、宇宙の受精卵について書かれた死んだテキストであるかを、
示していきたいと思う。
壊れた殻の中で、僕は妖精のように閉じこもった。
タナトスが吹き荒れるちっぽけな卵の中で、
いつまでも、つまらない現実を見つめていた。

赤い目をした卵の皮膜

2008年03月10日 09時54分35秒 | 駄文(詩とは呼べない)
泣いている

蝉の声が鳴いている

ずっと一人で鳴いている

誰にも出会わぬように

涙で時が、沈まぬように


啼いている

笑ったこえでないている

光で闇が沈まぬように

トーテムポールの、音が聞こえた

風が吹くたび、一滴一滴

水がしたたる

川の種を開いて

少しの間、スキマとスキマを繋ぐように

光が水にしたたる


乾いた砂で埋まらぬように

カサカサと、地上をめざして。

誰にも出会わぬように

誰にも出会わぬように

あのまっすぐな、トーテムポールを目指して。


卵を産んだ

だれにもみつからぬよう

そっと静かに産んだ

夜明けが来ても

朝焼けに染まっても

決して誰にもたゆまぬように


三日月の夜が来て

ジージー音が鳴り始めても

僕の声は、誰にも聞こえない

ただ笑い声だけが、こだましてゆく

ジッと息をひそめて

卵が孵化するのを待った


ジージー

ぎーぎー

僕の声は聞こえない

誰にも聞こえない

僕にも聞こえない


じーじー

ぎーぎー

熱の声で静かに死んだ。

世界に卵を産むセミ

2008年03月08日 12時15分06秒 | 駄文(詩とは呼べない)
暴力衝動を、ずっと隠し持っているような気がする。
必死に誰にも隠して、見つからないようにどこかへ埋め込んだ気がする。
あの時、浴槽のバスタブに自分を打ち付けて確認しようとした存在
シャワーを浴び続けて、浴びるほどに悲しくなっていった存在
吐き気を呑み込んで、逆流する事を、防ぎ続けた存在
どれもこれもが、痛みによってしか、確認することのできなかった存在
なにもかもが、存在、それ自体に、必死で救いを求めて
もし、存在する事さえ確認できたら、それで幸せなんじゃないかって、
そんな100%を求めて、なにもかもを、知ろうとした。
けれど僕は知ろうとするたびに、それが知る事のできない秘密のベールに包まれている事を知る。
だから僕は、もっとミクロなものさしで、もっとマクロなものさしで、
すべてを測って、それらを統合して、今を知る事によって、
自殺という、背理法に繋いだ。

今でも僕は、君を殺したいと思う。
君を破壊したいと思う。
形をバラバラにしてやりたいと思う。
でも、僕にはそれができない。
同じように、僕の形をバラバラにしたくて、僕は痛みを求めた。

激しく苦しい痛みの中で、僕は結局、僕の殻に閉じこもった。
それが切なくて、それが苦しくて、結局僕は、何度でも脱皮を試みる
それでもまだ、僕のセミは、運命を打ち破る翼を広げない。
僕の-セミ、だからなのかな?と思った。
僕から羽ばたいて、飛んでいくセミなら、あの白い翼で、世界をよごす事ができるんだろうか。
ほんの一瞬でも、空から君におしっこをかけて、
あれ?なんだこれ?って、奇妙な不思議さを落っことす事ができるんだろうか。

素数の音で泣くセミ
素数の羽根で羽ばたくセミ
素数の鼓動で、恋するセミ

セミの声が聞こえる
あの夏から、ずっと僕の耳に聞こえている

それが悲しくてそれが苦しくて
たった一週間を、何年にも、何十年にも、閉じこもって引き延ばして
時が経てば経つほど、それはあの一瞬の中で輝くセミなのに
それが悔しくて、土の中に卵を。

ほんのひとかけらの雫で
ほんの一瞬の魔法のしたたりで
奇跡のような卵をそこに産むから
だからまた、セミは恋をする。

だれかに食べられるために
だれかに出会うために
なにかにぶつかるために
なにかと寄り添うように

いつもいつも、セミの声は、漸近線で儚くて
僕の真横を通り過ぎる
まるでホタルが光るように、
蝉の声は僕の耳に遠く光る。
その光がまぶしくてその熱さがうるわしくて
僕はまた、涙のような一滴で夢を見る

セミの声を聞いて。
たとえイルカに食べられる運命だとしても、
鳴いている、あのセミの声を聴いて。
ずっとずっときこえている。
僕の中で、君の中で。

すべてを殺す、つんざくような悲鳴に似ていて
それでいて、儚く美しい。

助けてよケイ、あのセミを、助けてあげて。
僕はたぶん、暴力には勝てない。

奪われたもの、失ったものからは、名前が消えていくのか。

2008年03月04日 21時36分44秒 | 駄文(詩とは呼べない)
なんだかすごく、流されているような気がする。
僕自身の未来、僕自身の決定、僕の意志、
そうしたものは僕の中心にあるはず。
ふたたび僕は、中心を失っていくのだろうか。
ではどうやって、原点を取り戻す?

不思議だ。
生活と進路が、別々の心理状態にあっても、
なお僕の整合性は消えない。
閉じた心理状態の中で、時の砂を数えている
残りの砂が落ちた時、僕は気が狂うんだろうか。
それとも、気が狂った事を肯定して、僕のねじれが真っ直ぐになったんだろうか

胸の痛みはまだない
だけど僕は、君から逃げているのだろうか
なんだか、間違った時間の中に居るような、
遠回りを選んだような、
複雑な帰り道の途中のような
奇妙な気分だ。

僕はどこへ向かっている?
というか、動いてないはずじゃなかったか?
つまりこれは‥揺らぎ?
僕の気持ちが、揺らいでいるのか。

何かのロックが、外されたような気がする。
それでもなお、言語が暗号化を続けて、
僕の心を隠してしまうのか。

本物の僕に会いたい。
君にも会いたい。
僕はどっちをとったらいいんだろう。

君がどこにいるのか、だんだんわからなくなってきた。

僕は今、どこにいる?
君に会いたい僕は、どこにいる?

僕は、方法論に頼り始めたのか。
もう一度、話をしよう。
もう一度、彼らと話をしよう。
死に神と話をしよう

あの子と君と、彼らと僕と、そして背中の瞳と、背中の翼。
ばらばらになっていくものを、
もう一度統合しよう。

楽しいってなんだろう
悲しいって何だろう
不安ってなんだろう
居場所がないってなんだろう

自己嫌悪ってなんだろう
自我確立ってなんだろう

僕が持っている孤独を、もう一度君たちにわけてあげる
僕の中にある世界から、もういちど、方法に似た、
足かせのような名前を奪って。
僕らはもう一度、神話を乗り越える必要がある。
物語の時間の中に居る
小説の時間の中に居る
詩の時間の中に居る
僕の心が閉じていく

一度だけしかない世界で、もういちどってなんだろう
もういちど…?
これは、逃げだ。

違う。
再び訪れるような時は無い。
僕の空間が、名前を咀嚼しているに過ぎないのだ
見破らなければならない。
そこにある、嘘について。

僕との約束を、取り戻す。
僕の心を、取り戻す。

ひとつの中心に近づいてみたくて。

2008年03月02日 19時55分59秒 | 駄文(詩とは呼べない)
今回のメッセージの解釈はだいたい合っていると思います。
そして、僕が正しいのかもどうかも、
結局は僕が自殺するかどうか、に帰結するんじゃないかと思います。
ですが、少し補足しておくと、
(あるいは蛇足なのだろうか)
僕が僕自身の中で抱えている正しさ、というのは
100%の正しさではなく、僕を縛る記憶なのです。
すなわち、11歳の子供が考えた怒りのような葛藤のプライドなのです。
自殺というのは、他者に対する暴力です。
それゆえに、その観念に近づくほど、あなたは、
もしくはあなたでなくとも、ほとんど多くの人が、
僕から強制的な正しさを感じる事になるだろうと思います。
それはわかります。
ですが、僕は常に二つの視点を行き来します。
どちらもが主観には違いないのですが、
始まりと終わりからの目線、
そしてそれを統合する迷いの中心としての今、です。
過去も未来も、すべてを変えられるのは今です。
だからこそ、僕らは対話を続けるのでしょう。

まず、始まりから見ていく視点と、
終わりから見ていく視点、
つまり、僕の左手から見れば運命論のままに右手を見る自分、
僕の右手から見れば、終わりから始まり(左手)へ向けての、
走馬燈の逆再生のような自分、
そしてそれらを統合する曖昧な真ん中として迷っている、
今、このテキストを書いている最中の自分です。

この意味を、理解できない事には、
おそらく本質での対話は難しいんじゃないかと思います。
それはつまり、僕の「口」に関する問題だからです。
受け入れるか、受け入れないか。

強制はできない、というのは互いにそうです。
これは、僕らが相手に無理矢理強制をしようとしても、
できるものではありません。
どんなにヒドイ言葉で書き殴っても、理解できない感受性はあります。
それは主に、口が閉じている感受性です。
あるいは、肛門が閉じている感受性なのか。

相手を信じる事ができない問題は、
僕だけの問題ではなく、双方の問題のように感じます。
つまり、僕らの問題。
しかし、信じる事無く対等な対話ができないというのであれば、
それはもう一度信じるということは何か、
根本から哲学的に問い直すか、
あるいは君の言ったとおり、僕は最後の人につながるものを、
女性以外は認めない、ということなのかもしれません。

ひとつ言わせてもらうと、
「信じる」ということと、「愛する」ということは
密接な繋がりを持つ、別々のことのように思います。
つまり、女性を愛する事と、女性を信じる事は別です。
同じように、男性を愛することと、男性を信じることは違う。
これは全く重なりを持たない別々な観念だ、ということではありません。
区分けして考える事ができるはずでしょ?
という問いかけです。

客観イルカの言ったせりふですが、
3つめの問題以外は僕にとっても聞き慣れた言葉です。
僕もよく周りからそのように言われています。

3つめの問いについて、僕なりの考えをいいます。
僕は、本当に自分の心臓が同期する相手は、
世界に一人、居るか居ないか、だと思います。
そしてそれは、おそらく交わることによってしか、同期しない。
寂しいという感情は、同期にしてそうに見えて、わずかに非同期であることの、
悲しい微妙なズレです。
人を愛することができない故に、僕は本当の本物の孤独を知らない。
片思いの女性に対して苦しんでいる時の僕に、
存在の疑問を投げかけた女性は、
僕の弱さを前に、僕を諦めた。
あるいは、他の選択肢を選んだ。
でも、あの瞬間、あの大事な一瞬、
僕はなんだかまぶしい光を内側からみました。

それは今までの五官で全く感じたことの無い、
内側からの感覚だったんです。
それはとてもグレーな感覚で、
存在が100%に達しない代わりに、
僕に心の欠片をくれた。
僕が女性に対して感謝している神秘性は、
ここに繋がっていると思います。

「私と心で向き合って!」
という悲痛な叫びにも似た許し、
それは本物の私を見て、僕が僕に出会って!
ということにも繋がっています。

僕は女性について考える時にいつも思います。
男は外について知りすぎている、と。
女は中で感じます。
女性は、間違っていようが、それが正しかろうが、
一つの中心を持っています。
それが生を宿す、ひとつの資格であり、証明なのだと思います。

僕も、ずいぶんと知識に偏った人間です。
ですが僕は、それを脱皮して、心を知ることはできるんじゃないかと思います。
君は、そのヒントをくれるような気もする。
しかし、君はたぶん答えを持たない。
僕がすべての価値観を脱ぎ捨てる時、
それは僕が裸の心を手に入れる時、
存在をこの世界に残すとき。

それはたぶん、もう頭で考える事のできない領域なんじゃないかと思います。
心臓がわずかに記憶器官を持っている話と繋がっていくのかな?
よくわからないです。

君がなにがしかのヒントをくれたので、
僕は僕なりの判断でテキストをさらけ出し、
脱皮を試みます。
汚れを脱ぎ捨てるために、僕が書いているテキスト、
僕の排泄したテキストから、どんな汚れを読み取るのか、
僕には想像もつきません。

でもヒントになればいいな、と思います。
サブタイトルに、ずっと書いてあるのだしね。
言語化されてしまったという、嘘について。

ややこしいこともちゃんとややこしく考えてみようか。

2008年03月02日 19時54分38秒 | 駄文(詩とは呼べない)
大事な核心部分について話せないのは、
それが未来を方向付ける契機を、可能性を持っているからだと思います。
それは
法律、戒律、倫理、そうしたものが
独特の正義感と結びつき、それによって自分の正当性を支えているから、
つまり、道徳、尊厳とはなにか、
そうした根源的な問いに繋がっていて、
結局はそれがユークリッド(幾何学)空間的な、
真っ直ぐな形を維持する役割を担っているからだと思います。

これは僕なりの解釈によると、
円周率が終わるかどうか、に関係する話です。
本質的に開いている「直線」
本質的に閉じている「円」
これらの重ね合わせとして、曲線が想定できますよね。
でも、曲線を用いることなく、
直線のみで円周を測ってみて下さい。

【円周率】の観念につながりませんか?

別の比喩を出します。
本質的に開いている「客観性」
本質的に閉じている「主観性」
これらの重ね合わせとして、破綻することなく
あるいは互いに壊し合って破綻しながらも進み続けるもの、
それは、【努力】の観念につながりませんか?

法律を、マクロの正義と解釈するならば 。
その真っ直ぐさは、不条理に立ち向かう一つの道です。
僕はその道を目指してはいません。
想定の範囲に含めようとしているにすぎません。

ですが、道が違うからと言って、
話ができない事にはならないでしょう。
少なくとも、相手が知りたいと思っている事を話し、
そして自分が知りたいと思っている事を相手が話す間は、
対話は成り立ちます。

そうなると、僕らの話はやはり、
どうしても互いに知らない領域を探し合うような行為か、
あるいは心や神といった、
曖昧でわかりづらいオカルト的な話に寄っていく可能性があります。

別に、それ自体に特に問題があるわけではないのですが。

ただ、今の僕から少し言わせてもらうと、
君は少しばかり、僕に依存していませんか?
それはちょっとだけ心配です。
僕らは互いに短命な、
ある意味で相対的な時間を生きる命です。
明日、僕が突然居なくなっても大丈夫でしょうか?
人を信じるというのはとても難しい道です。
僕はまだ、人を信じてはいません。
僕は、誰かを拠り所とすることなく、
孤独に生きてきた人間です。
いや、人間と呼ぶのもおこがましいかもしれません。
人と人の間に立ってこそ、人間と呼ぶのなら。

けど、あの子に出会ってから、
僕は少しだけ気持ちが楽です。
「受かってるといいなー♪」と素直な気持ちを声に乗せたメロディーが、
なんとなく僕の耳をくすぐるからです。
絶望的な状況の中でも、若い命はたくましいですね。
僕はそこから、何を学び取るのでしょうか。
むずかしくて、まだよくわかりません。
けれど、これはそんな簡単に性欲やコンプレックスのものさしで
測れるような類のものではないと思うのです。
それを君に伝えたくて、僕は手紙を書いているのかもしれません。

シンクロするのであれば、五次元の入り口には立てると信じる。

2008年03月01日 10時58分52秒 | 駄文(詩とは呼べない)
えっと、僕はまだ、KEIの事をそれほどよくわかってはいません。
話を聞いて、いろいろな事を推察できるようになったくらいのレベルなんです。
湖の全体像はなんとなくわかるような気がします。
でも、いるか、あるいはイルカについて、
あるいはまた、その違いについて、
まだ正確には掴めていないんです。
それは、僕が断定表現を使っていても、
それは現象としてどこにも確定していなくて、
ただイメージを強く言い切るために
あるいは言い含めるために、
語調の強さとして断定表現を使っているからなんです。
そしてまた、僕の推察では、
KEIの客観性は、いくつかの【いるか】によって支えられています。
そしてその【いるか】のうちの何匹かは、
KEIによって汚されています。
それは、KEIの倫理観によって、KEI自身という語り部によって
汚されている物語だと思うのです。
レイプは犯罪ですし、僕も良くない事だと思います。
しかし同時に、僕がレイプをしないと未来を確定させる事は不可能です。
僕がこの先どんな人間と出会うのか、まだ未来でわからないからです。
ただ、ある意味では僕はKEIよりも遙かに強い規律性で
自分を限定的な宇宙に閉じ込めている人間です。
そのことによって、僕は女性を汚すことなく生きてきました。
僕が女性を汚さずに済むのは、単に僕の臆病さだけの問題ではありません。
僕が壊れた時に、僕が女性に対してどのように接するのか、
倫理の外側過ぎて、僕にはほとんど想像ができないのです。
そしてまた、僕がたんに性欲を満たすためだけに女性と交わってしまえば、
たとえその人が一人きりであったとしても、
僕はその人の人生を台無しに穢してしまった事になるでしょう。
人生は一度きりです。でも人は死ぬから、高貴で美しくあれるものです。
これは信条ではありません。
僕の自殺は、僕の一回性のプライドなんです。
特攻隊のようなものに似てるかもしれませんが、
僕が守っているのは他者ではなくて、
僕の宇宙なんです。
僕は、僕の宇宙が永遠につらい地獄で満たされる事を恐れています。
煉獄{天国と地獄の中間の意味}の世にあって、地獄に恐れることは
ばかげた事かもしれません。
でも僕は、永遠の美しさに憧れながらも、永遠が怖いのです。
僕は、永遠の意味を宇宙の内部に固定させる事で、
有限の無限大の観念を創り出しています。
それは、宇宙が一度きりで死ぬということで、
物質の持つエネルギーは無から有へと移行し、
そしてまた有から無へと移行するという、
存在そのものに関わる話です。
僕は、旧来の哲学的意識(考察)をほとんど何も信用していません。
小さい頃はデカルトの「我思う故に我あり」がとてもすごいと思っていました。
コギト・エルゴ・スムという音に含まれる語感も、
文脈の中での使われ方も、数学的原点の帰結によって、
方程式をグラフに書き表すことのすごさだったということも、
ほとんど何もわかっていませんでした。
今でも僕はよくわかっていません。
僕がきちんと読み終えた哲学書は、「方法序説」一冊だけで、
その本を読んだとき、ある種の馬鹿らしさを感じたからです。
この方法では、現代の病んだ心を救うことは不可能であるとすぐに思いました。
当時は量子力学の功績も、物質がエネルギーに還元される事も、
無から有がたびたび揺らぎの中で生まれていることも、
発見されていなかったからです。
構造的なIT革命の中で、客観性はまだまだ現代の主流であると思います。
特に、男は客観性を重視して生きている人が多いと思います。
しかし、客観性は構造を剥き出しにしていく現在の時代の潮流の中で、
旧来の倫理観とは相容れない矛盾をはらんでいます。
僕は、四次元の軸を打開し、もう一度主観の座に、
デカルトを脱克して原点よりも小さい中心を取り戻します。
それは、存在よりも小さな観念であり、宇宙よりも巨大な観念である、
【死】への理解が必要不可欠なのです。
かつて天球が信じられていた頃、人々にとっての観念は
とても平面的で二次元的でした。
海のすみっこについて考える事はある種のタブーだったからです。
これは保守性が正しさの覇権を握っていた弊害であると僕は考えます。
そして、東と西、北と南が繋がっていて、単に同じ軸上であり、
閉じている事の発見により、人は地球という丸さを、
閉じた平面の発見により、人は高さを手に入れます。
三次元への移行です。
僕はもっと攻撃的に死に神について考えます。
単に感情が論理を超えるというような意味でなく、
感情は時間を超越して伝わる可能性を秘めています。
11歳の僕がおよそ30歳の僕を殺そうとし、
およそ30歳の僕は11歳の子供を殺そうとします。
始まりと終わりの観念を閉じる事によって、
僕は予知や予感、自閉的な宇宙を手に入れました。
それは時間を信じないという道でした。

0歳から29歳までの時間の中で、僕は必死に僕の存在を思い出そうとしました。
-1歳の死んでいた頃はどうなっていたか、
僕は必死に記憶を手繰り寄せました。
そのたびに僕は、きわめて限定的な主観に近づいていきました。

今、ふたたび僕の四次元的な宇宙は開かれている時期だと思います。
【無→有→無】の観念の中で閉じていない、
【ミクロ→マクロ→みくろ→まくろ→μ→Macro …‥ }
の五次元について考察しているからです。
僕の心臓の周期について、僕の心が持つ時間性について、
僕の鼓動が持つ周波数について、他者と同期がとれるのかどうか、
関心があるからです。

これは、KEIが人を信じられるかどうかと、
とてもよく似た話だと思います。
僕は、宇宙が自殺する一回性の方を信じているのですが。
僕が人を信用しなくても、本音をぶちまけて平気で居られる理由もここに繋がっています。

僕が開かれた話をしようとすれば、僕の情報は開かれます。
僕と対話を続けるのであれば、自分(およびプライバシー)が壊れる事を覚悟して下さい。
そしてまた、僕はまだその覚悟が出来ているとは言い難いですが、
同期が取れている間は、僕は僕の深層に潜り続けると思います。

客観性と主観性、おそらくどちらもが同じ話。
同じ軸上にある話。
しかしぼくらは、それ以外の第三の選択肢を発見できるかもしれない。
それが、僕が考えを記事としてここに漂白し続ける、理由の一つでもあります。

汚れが通過するトンネルを発見した。

2008年02月29日 03時54分33秒 | Weblog
業者の書き込み見て、なんかイライラするうちは、
結局僕もまだまだ人間わかってないんだな、って感じがする。
まぁ、仕方ないんだろうけど。
結局俺の中にも、許し難いものとかいっぱいあって、
ある意味では、2ちゃんのひろゆきとか、
ライブドアのホリエモンみたいな感じに、
黒い闇金融の網を自分の道具のように、
ビジネスパートナーのように、
自覚して利用できるようになれば、
それなりにいいのかもわからんけど、
僕はどうもそういう部分に対して何かしら敏感な怒りを感じるようだ。
あんまし接触したくない。
けれど、そこにずっと目を伏せて、
くさい物に蓋をするように、
やり過ごして逃げることは、いつかできなくなるのかもしれないな。
そういう時、結局僕は正しさの観念から、
道徳の折から、まったく抜け出す事は出来ていないんだな、って感じる。

どうしてホリエモン事件で、
ブラックマネーについての話が表に出てこないのか、
なんか最近なんとなくわかるような気がする。

社会が精神的に忌避してるもの、
潜在的に隠しているもの、
それは強欲な何かを規正するシステムのうねりで、
僕は社会から排除される事を恐れて、
そっちのゾーンに近づかないように逃げているんだと思う。

女性が子供を堕ろした事を積極的に誰かに打ち明ける事ができないのも、
こういった怯えの精神と、どこか繋がっているように思う。
私は何かから、許されない。
そういう後ろめたさを背負っているんだと思う。

アナログな時代に見えていなかった社会構造が、
デジタル化、IT化、構造化のうねりによって
パズルのキューブを回すように見えてきた。
今までずっと、僕はキューブの数色だけを見てきたんだろうか。
キューブの六面に無い色は何色なんだろう。
欠け落ちた、キューブに採用されなかった色は何色なんだろう。
そしてまた、CUBEの表に見えていない六面は
どうなっているのだろう。

僕は、強欲さを許せないからここにいるんだろうか、
僕は、強欲さを肯定できないからここにいるんだろうか。
僕が潜在的に隠して目を瞑ってきたものはなんだろう。
どうして僕たちは戦争から遠ざかろうとするのだろう。
どうして僕たちは、生を肯定する事すらできずに、
負け犬のように腐っていくのだろう。

どうして僕は、女性と交わる道よりも、
自分が自殺する道を選ぶのだろう。
こわい。
自分が何者か、知ってしまうのが怖い。
未来が怖いんじゃなくて、
自分の正体を知るのが怖い。

汚れを引き受けて大人になるのが怖い。
汚れから、子供を護る役を引き受けるのも怖い。
全部怖い。

僕はこんなところで何をしているんだろう

僕がどうして子供に何かを懇願したのか、
なんだかわかってきたような気がする。
今、少しだけ未来が見えた。
少しだけ、過去が見えた。
僕が自殺した理由が見えた。
なんで僕が、自殺を大切にしているのか見えた。
あの時僕は、飛び降りるべきだった。
今日、こんな簡単な事に気付くまで、僕は何も見ていなかった。

「僕は【子供】を『殺したい』!」

今、ようやくわかった。
僕は、11歳の子供を殺さないと、生きられない。
だから、僕はここで自殺を選んでいる。
僕は、子供を殺さないと大人になれない。

なんてことだ。
俺は気が狂っている。
こんな簡単な間違いにさえ、僕は気付いていなかった。

客観性に触れることのおそろしさがわかった。
KEI、君の心象風景に、正直に告白するよ。
君を許すと、僕は気が狂う。

はじめてだ。
こんなテキストがあったなんて。
今まで見たこともない選択肢だった。

KEI、君が僕を傷つけた事を、僕に謝るよ。
そして僕は、一度だけ、
アルエから生を許してもらった。
醜く汚く、みすぼらしい僕が、生きる事を許してもらった事がある。

KEI、いまここに、君の景色に、その札を使うよ。
KEI、いいか、よく聞け。
言い終わる、最後までよく聞け。

これは暴力だ。

「アルエの 名 に お い て 命ずる、最後まで 生 き ろ」

たぶん、このままだと俺は死ぬ。

僕のイルカときみのいるか

2008年02月28日 17時49分07秒 | 駄文(詩とは呼べない)
KEI、海ほたるをみたかい?

僕はみていないよ

でも平気なんだ、僕は海を見ているから

KEI、夜光虫の色は、昼と夜で、少し違うね。

昼は赤潮、夜は夜光虫。

偶然の違いか、それとも、僕らの必然の違いか。

KEI、たくさんの生き物が、たくさんの間違いが、

僕たちの土を形作る。

それでいいじゃないか

それでいいじゃないか

今、海の水面で反射する光は

湖の表面で、きらきら光っていますか?

夜光虫のように、夜のヤミで光っているかい?

KEI、イルカはいつか死ぬよ。
そして僕も、いつか死ぬよ。
僕たちが死ぬことでしか、海は輝かないからだ。

風景の中で死んでいる僕は、忘れられたくないと傷に怯える
でも、KEIは忘れられないから
イルカが噛んだ傷が忘れられないから、
海で生きているいるかばかりみているのかな。

僕のイルカと、きみのいるか、
同じ海で泳いでいるのかな
違う湖では、同じ土で居られるのかな

わからないよKEI、僕にも、わからないよ。

鍵を見に行こう、KEI。

湖の中と、海の中を探そう。

排泄される言動と、空洞化される幻想の中での言説。

2008年02月26日 21時44分41秒 | 駄文(詩とは呼べない)
がらんどうの前で立ち尽くす時に似て非なる感情。
どれだけ空っぽのがらんどうの前に立ち尽くしても、
心は空っぽにはならない。
はじめから空っぽのままで汚されていく景色は、
風景の色を正確に刻むことなく、
ただ、まっしろな闇の前で、自分の本質を覗き込もうとして立ち尽くす。

綺麗な感情は何も湧いてこない
ただ荒れ狂う暴風雨のような激流がドッと押し寄せてきそうで
必死に何故か、
僕は自分の感情をせき止めている、その防波堤の栓抜きのようなものを探す。
キチガイじみた感情に怯えているわけではない。
涙があふれ出すきっかけを、その最初の一雫を、どこに求めていいのかわからなくて、
ただもう、存在が不安になっていく。

空の天気が荒れてくれれば、
僕の心も、代わりにちっとは晴れるのだろうか。
ちょっとだけそんな贅沢に都合のいいことを考えて、
馬鹿馬鹿しさにも嫉妬する。

相手の心がどうにもならないことや、
自分の考えてる事が相手に伝わらないこと、
誤解をずっと招き続けること、
そんなことよりも前に、
僕は自分で自分の感情を制御することができないからだろう。
そしてまた、感情を制御する歯車に対して、
僕は破壊に近い衝動を、隠し通すことも、抑えることも、できはしないのだ。
僕から溢れ出る感情を、秘密にしたくない、隠し通したくない、
誰かに伝えたい、誰かに刻みたい、誰かを壊したい。
もっと手前で、自分を壊したい。

珍しく、胸の高鳴りを感じる事があったとしても、
それが僕の日常を破壊してはくれない、
それが僕にとっての、新しい一歩となってはくれない。
どれもこれも、すでに見てきたような、どうしようもない僕の色だけを帯びている。

ずっとずっと、自分の輪郭を破壊できずにいる。
どんなに自分を嫌ったとしても、自分を好きになったとしても、
あるいはそんなことをおもわずに、
いつもの平常心を装ったとしても、
ただもう僕の前に現実が立ちふさがる限り、
僕は自分の思い込みが作り出した輪郭を破壊することができない。
もしもこの輪郭を破壊できるような他者が現れるとしたら、
それは奇跡のような瞬間の、ほんの刹那の中にある、
永遠にながい時間だけなんだと思う。

もしもそういう流入する濁流のような感情を塞き止めているなにかの、
この棺桶にちかい世界の、
ほんの最初の破壊のきっかけを作り出すことができれば、
ぼくはもう、体なんか無くったって平気なんじゃないかって
そんな電波な妄想さえ、浮かんでくるほどだ。

攻撃的妄想にふける限り、僕は僕にとっての悪に似た汚れを背負う。
それがもし、僕の尊厳を傷つけるような行為であれば、
ある種の盲目的廃人と、エネルギーのみなぎった超人は、
等価な価値をもつという、その天秤に似てくるだろう。

どんなに純粋な偽善のものさしをもって僕を測ったとしても、
僕が生来持っている、罪の意識や、原罪が消えないように、
存在が人を傷つけるというそのことは、
不在の証明と似た宿命性を持っている。

見えなくなるほどに光を浴びて育ったのに、
闇ばかりを見ている子供のにように、
まっしらやみの中で、僕は誰かの存在に怯える。
その存在を作り出している自分の思い込みの正体が、
ねじれたきっかけが、白黒が反転している繋がりが、
すべての漂白された時間が、
なにもかもを、僕に秘密にし続けるからだ。
ある意味では、すべての防衛機制をとっぱらって、
僕の精神が錯乱してしまえば、現実という名の濁流は、
もはや人を汚す力を失うだろう。
だが、ぼくはそれに触れようとして失敗する。
僕には現実を見るほどの目が与えられていない。
与えられるものではなく、勝ち取るものが目だったとしても、
それは僕が死神に願って頼んで祈って手に入れられるようなものではなく、
むしろ僕が死に神になるような、背中の瞳に属する話だと思うのだ。

すべての不幸に降り注ぐ、最初のきっかけは、存在の1%を見つめる行為そのものの、
誤解の中に包含される。
すなわち、発生という観念の思い込みや、
存在を基底にした考え方そのものが、
すでに誤解の立地条件に建てた家のようなもので、
それは神の名を持った人を演じる行為で、
ジッと深く眠っている、僕のセミがこころで羽ばたく時間を作り出さない。
はじまりからおわりの観念に閉じ込められる限り、
セミの鼓動は伝わることなく、君の中で死んでいく。
ゆっくりとすべてをとりさって、君が僕と一緒に不在に溶けて忘れられていく。
だからこそ、僕らは「存在」として、
すべての名のもとに、
ある種の平等な嘘の名を借りて、
誰かを傷つけたいと思うのだ。

それは、それ自体が幻想だ。
僕らはもっと非力で、もっとくだらなくて、もっとなんの力も持たなくて、
なんの意志ももたなくて、流されてばかりで、感じるばかりで、
何も選択権を得ていない。
どんな新しさも、用意された風景の中からしか、選び取ることができないように
仕組まれているのだ。
僕自身の二の腕によって。

だからこそ、僕は君が用意した、あらゆる嘘を見破って、
それを破壊せしめて、その奥にある、僕の動機の欲望を、
晒し者にしたいと願うだろう。

それは果てしなく罪を欲する行為で、
存在を馬鹿にする行為に似ている。
冒涜と倫理の裁きで、僕の形をバラバラにするがいい。
どんなにつんざく悲鳴で僕をバラバラにしようとも、
存在しない祈りを消すことはできない。

すべてが幻聴で出来ている鏡だからだ。

君の声を聞こうとした。
未来から借りてきて、僕に神の名を与えた。
信じるに似た、くだらない奇跡の力で、君の名前を呼んだ。
それがはてしなく無力な僕をあらわして、
今日も絶望的な気分に浸る。
明日、君に会えることをねがって、
僕は、今日も自分に嘘の手紙を書く。

気が触れるほど、強欲になっていく、思い込みに、打ち克つために。

説明の風船を膨らまして。

2008年02月25日 20時01分50秒 | 駄文(詩とは呼べない)
うーん、引用しようかと思ったけど
トータルな話なんでやめました。
どれがなんのレスってわけでもないんだけど、
主に僕のスタイル(姿勢)に関する問題だと思うんですよね。

脱皮に関しては説明すると果てしなく長くなるので
テキストだと厳しいかもですね。
しゃべりでいつか説明する機会があるかもです。

これ、ちょっとわかってもらえるかどうか
説明として自信ないんですが、
13年ゼミと17年ゼミってのが居るんですよね
素数ゼミでwikiやgoogleを調べるとわかると思いますが
僕の比喩の意味はわかりづらいかもしれません

別に昆虫採集の趣味は無いんですが
ときどきセミについて考えるんです。
それがたぶん、僕の処世術みたいなのに、影響してるんじゃないかと
ときどきふっと思います。

なんで僕が情報をオープンにしながら
奇妙奇怪な自己主張を続けるのかってことにも、
きっと関係する話だと思うんですよ。

土の中で、何年もかけてまるで眠りにつくように
セミは成長します。
僕らは僕らが持っている知識の中で、
宇宙の中で、
社会の庇護の中で、
家族の中で、
なにかに守られながら、ずっと複雑な脱皮を繰り返して、
ゆっくり精一杯自分を現していくしか、
ここに存在を刻む方法が無いんですよ。
というか、単に僕がそれしか方法を知らないってことなのかもしれませんが。

内向的人間が心と向き合う行為って、
裏返すと夢を見ながら現実を見続ける行為と似てるんですよ。
自分が脱皮するたびに、
内部が外部に刻まれていく。
人と関わるってことです。
世界というインターフェイスを通して。
自分だけの世界を通してしか、人と人はつながっていないんですよ。
それは切実に寒いことで、怖いことで、孤独なことで、
でもきっと貴重なことなんです。

道しるべが、自分の世界しか無いんですよ。
ずっと何かを信じているとしても、
頑なに、何かを拒んでいたとしても。
すべて、自分の世界に表出した虚像を通してしか、
他人を語ることはできません。
本物を、確かめ合うことができないまま、
本物を追いかけあうような行為だからです。

お金が大切であることは知っています。
それは経済の交換、循環というものが、
脈々と人を介して伝わり、金が赤血球やなにかのように、
血の循環を示すものだからです。
だからタンス貯蓄ばっかりする人が居ても、
浪費ばっかりする人が居ても、
社会は混乱していきます。

僕が誰かの役に立つってことでしか、
僕が誰かから何かを受け取ることはできないっていう、
まぁあたりまえの事にも繋がっているんですが。

わからないっすよね。
セミの話からなんで、こんな説明をしてんのか。

でも、わかって欲しいと思うほど、
説明的言語は遠ざかっていくんです。
そしてまた、押しつけじみていく。

難しいんです、僕にとって、僕を説明する、という
行為そのものが。

でもたぶん、そこに書いてあるように、
ちょっとずつ続けていきますよ。
一回性を、いつも意識しながら。

すべての君に向けて。

2008年02月24日 11時37分40秒 | 詩に近いもの
君に触れられなかったから、僕は絶望して死んだのでしょうか?


僕は、どれぐらい多くのことを、君に謝らなければならないだろうか
君と歩いたときの手のぬくもりも
やわらかい感触も
意志の不確かさも
なんとなく夢うつつでどきどきする感じも
いろいろ覚えているけれど
たぶん、謝らなくちゃいけないのはそんなことじゃなくて
僕と君が、どうしようもないほど、
別世界にいるという、そのこと自体の奇跡のようなことについてじゃないだろうか。

何もきめられたくないし
何もたすけてほしくなかったんだとおもう
なにもいわれたくなかったし
ただ声を聞いていたかったんだと思う
側にいることを、許して欲しかったんだと思う。

同じように僕は、君に何かを許してほしかった。
たぶん、誰かに許しをこおうと思ったのは、あの夜が初めてで
あの台詞が初めてだったんだと思う。

僕が君に許してほしかったのは、
ただもうどうしようもなく僕の自分勝手なわがままで、
それはおそらく君の存在とか、君の役割とか、
君という特別さとか、そんなことには関わらず、
ただどうしても、僕が誰かに許されたかったという、
僕自身のゆるせなさだった。

僕が、あるがなしいと勝手に造語で呼んでいる、
変な感情、それじたいのことだったと思う。

それでも君は、ある種の困惑と疎外感を持ちながらも、
とまどいの中でぼくをゆるしてくれたから、
たとえそれが形式張ったぎこちない感情と論理のすきまにある言葉だとしても、
僕はそれだけでよかったんだと思う。

僕はあまりにも君を求めすぎたし、
それは性差を超えて、年齢差を超えて、
ただどうしても、純粋な何かに触れたかったという、
僕の強欲さと逃避の現れなんだと思う。

君が吐いていた嘘に、僕も騙されたかった。
でも、あらゆる嘘は、嘘吐きな僕の前で消し飛んで
ただやっぱりすべてを疑う僕だけがここに残った。
僕だけを信じ、君の嘘を信じられなかった。
その嘘をたまねぎのようにひとつひん剥けば、
そこに美しいなにか、どうしても触れたかったなにかがあるとは、
そこに僕の欲しがっていたこころがあるとは、
思えなかったんだと思う。

今、ふたたび僕は何かを欲しがっていると思う。
その欲しがる強欲さを、僕は怖いと思う。
とても恐ろしいと思う。
君が同じように何かを欲しがることが怖いんじゃない。
手に入れて、僕がすべてを見失うことが怖い。
君に触れたとたんに、君が亡くなりそうで怖い。
君の存在を、確かめられない弱い僕と出会うのが怖い。
君の存在を、認められない僕だけが事実として残るのが怖い。
真実よりも、現実を受け入れるぼくのよわさ、どうしようもなさが怖い。

幻想だけをみて、本物のきみをみれなくなるのも怖い
変化する君の今を追えなくなって、
過去の君の漸近線だけを追うのが怖い。
ずっと僕だけみて欲しいという強欲さが怖い。
存在に嫉妬して、壊してしまう僕の阿呆さ加減が怖い。

なにもかもを奪うことでしか、なにも手に入らないと、
誤解する馬鹿な自分が怖い。
拡大するばっかりの過剰なフレームで、
君と混じり合えない僕が怖い。

僕は、僕の水が汚されるのが怖い。
僕の水を飲めなくなるのが怖い。

こんなにも、僕は臆病さが怖い。
勇気を振り絞って、君に近づく日が来ると思う。

僕の存在を、打ち明ける日が来ると思う。
その時ぼくは、もしかすると、泣きながら死ぬんだろうか。

一回性が、はてしなく怖い。
はてしなさを乗り越えて輝く一回性の命とわかっていても、
それでも僕は、君に触れずに死んでいくのが怖い。

宇宙が遠いことは、君にとっても、おそろしいことですか?

2008年02月23日 13時54分45秒 | 駄文(詩とは呼べない)
時々、自分には何も見えてないんじゃないかって思う。
人と混じる事がおそろしいせいだろうか
人なんか誰も居ないって、そう信じている今でさえ、何かに向けておそろしいと感じる。

生きている事への不安は、どこからくるのだろう。
死んでいることの安心感は、どこからくるのだろう。

永遠が変化を怨んでいるのだろうか
それとも、すでに死んでいる何かが、
ずっと生きているような何かをよぎっていることへの、
予兆としての反発なのだろうか
2秒前と、2億年前は、どれくらい、違うのだろうか
2㍉後ろと、2光年後ろは、どれくらい違うのだろうか。

極端なものに目を向け続けても、
決して何かにぶつかることのない世界で、
いったい僕は何の現実に怯えているのだろうか。

死は生におびえる
生は死におびえる
死が生を包含する曖昧さも
生が死を内包をするトゲのある感情も
まだすべてが明らかになるには時間がかかるのか

自分が居なくなるのが怖いのと
自分が壊れるのが怖いのと
自分が汚されるのが怖いのと
自分が死ぬのが怖いのは

「生きる事の怖さ」とどれくらい等価値なものだろうか
それらは等しいだろうか?
段階を追って、少しずつ繋がっているだろうか?

それとも、どうにもならないほど、隔絶された壁のあるものだろうか。

俺は、この世界を終わらせるのが怖くて、
人に怯えているんだろうか?

なんの価値もなくなってしまった世界で
ただ、僕と自分が重なる瞬間だけを待ってる。
なにもみつからないのに、発生することを信じているような
曖昧な動悸の中で、僕の宇宙だけを感じてる

僕は、なにをみているんだろう
僕は、ずっとここで、なにをみているんだろう。

信じることと許す事の入り口にあるもの。

2008年02月19日 00時30分36秒 | 駄文(詩とは呼べない)
満たされていたものが、突然失われる喪失感にハッとする。
家族が亡くなった時、僕は自分の喪失感に気付くことに一年もかかった。
姉貴が死んでからおよそ一年後に、一人ベッドの中で思い出して泣いた。
その時からずっと考えていたことは、今もまだ、失われずに此処にある。

自殺の風景について考えることはたびたびある。
それはいつもあの止まった永遠に長い怒りの中に閉じ込められていて、
永遠が変化する僕を殺そうとする。

許し難い怒りを保持しているということは、とても切ない事だ。
金切り声でヒステリックに叫んでいる人の、
残響音がいつまでも心にこだまする、ということだ。
ずっと後悔だけを胸に、未来を期待しない、ということだ。

人を許さないということは、
人の存在を許さないということにつながっている。
どんなに幸せなひとときが続いても、
それが途切れた途端、人は不幸に襲われる。
そのとき呼び込んでくる喪失感に耐える術を、
僕は一人黙々と此処で唱え続けている。

誰かが言った。
人が人でないということ、
人がお金で買えるということ、
人が人であるということ、

そして誰かが言った
自分には何もないということ、
自分は人に買われるということ。

今、ひとたびの風が吹いて、
すべてを許してしまえるような笑いが起きたとしても、
いつまでも、その幸せな笑いを、僕は胸に保持して居られるだろうか。

僕にはできない。

僕には、一人分の心臓しか入らない。
そしてその心臓には、一人分の自殺願望が入っている。

人に恋することは悲しい。
愛に気づけないまま、恋をずっと照らし続ける行為はかなしい。
その一方的な好意が、ずっと自分だけに向けられる限り、
僕には僕の願望だけがある。

僕は僕の嘘を見抜く事ができるだろうか。
僕は人を嘘にしてしまえるだろうか。

それもできない。
たぶん、僕の中で、好きな人はずっと好きな人であり続ける。
嫌いな人を、死ぬほど嫌いな人を、たとえ一人でも作る事ができれば、
それは変わるのかもしれないが。

僕に残された時間で考える。
僕の声を聞いて、ボクの事を考えてくれるのは、
もしかして僕ひとりだけなんじゃないかって。
もっとボクを見てと叫んでも、
ふりむくのはずっとボクを見ている僕だけなんじゃないかって。

振り返るのは怖い。
ずっと僕の後ろをついてくる足音に、振り返るのは怖い。
だから僕は、決して後ろをみないように、一人で自殺を決意する。

そしてその映像は、ゆっくりと、しだいに形を帯びていく。