嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

一粒の勇気も見つからなくても、人は生きていけるほど弱い。

2008年05月10日 16時28分45秒 | 駄文(詩とは呼べない)
すべてのしがらみを投げ捨てて、
ただ、僕のためだけにあるエゴを見つけたい。
それはいつも、すべての一瞬の中に含まれていて
僕の世界のどこにもない。

他者の欲望を自分の身代わりにするような時間だけが過ぎていく

僕の時間がどこにもない。

生まれた時から、僕の時間はない。
誰かのために時間を使うこともできなくて
ただ僕は、惰性の中に閉じ込められていく

思い通りにいかないのが悔しいんじゃない
思いに気付くことのできない無力さが
何も求める事のできない無欲さが
諦めることと欲しがる事が重なりすぎている
短い僕たちの周期が
ただ、今は悔しいんだろうと思う。

星が生まれてから、消えるまでずっと佇んでいたら、
僕はその時間に満たされるだろうか?

そんなことはないだろう
どんな巨大な大きさから受け取る周期も
どんな小さな弱さから受け取る周期も、
結局は、伝わらない限り、同期は取れない。
この世界にあるなにもかもの物質が、
その存在を異にする限り、
形に拘束される限り、変化は痛みとして、
苦痛としてしか、僕の心に届かない。

だからやわらかいものを求めるんだと思う。
だからどこか遠くに、僕はやわらかいまどろみを求めるんだと思う。

過ぎてゆくものだけが、
失われたものだけが、
僕の中で大事にされているような気がする。

これから起こることを恐れて、
失ったものだけを大切にする僕の心は、
まるでこの宇宙の外側にしか、中心を持たない異円系だ。

雷の味がする。
まだずっと、砂漠で心を数えてるんだろうか。

とおくにある声を聴きたくて、( )の中に君を入れる

2008年05月06日 21時19分57秒 | 駄文(詩とは呼べない)
あらゆる未整理の問題が、僕の中で形を変えてゆく
誰にも会いたくないのに、誰かの声を聴きたくて
何も変えられないのに、変わっていく景色だけがおそろしくて
ただ、明日誰かと出会うことを恐れるように
今、僕の心が不安定であることにさえ怯える。

まっすぐな志と
鋼のような意思と
素直な心さえあれば

僕たちは誰にも汚されずに、生きていけるほど、現実は生ぬるいのでしょうか?

誰かを傷つけなければ、
僕は傷つかずに居られるほど、
この世界は、因果応報と摂理でがんじがらめなのでしょうか?

教えてください。
僕の声をきいている僕。

答えてください。
僕の声が聞こえない僕。

あらかじめ、世界は決められているのでしょうか?

僕は。

世界のすべてを構築しようとする神に、打ち勝てるのでしょうか?

神を殺したいです。

この世界を作ったなにもかもを、
あらゆる万物の冷象を。

ただゆっくりと呼吸を終わらせていく僕の死体を見つめながら、
僕は今でも、自分に手が届かない。
あらゆる走馬燈が植物人間の夢だったとしても、
まだ僕はここで目覚めずに泣いているような。

泣くことが出来るなら、この世界に向けて叫ぶような呼吸が届くはずなのに
まだ目覚めない。
まだ僕は眠っている。
ただ、死体になってゆく冷たい奇跡の中で。

僕の中で

君たちの声を聴く。



とおく、遠くまで離れて。

失礼さについての考察と迷路。

2008年04月22日 21時10分09秒 | Weblog
もともと、僕が指摘したのは
mizukiさんの失礼さについての事です。
言い過ぎじゃないか?

と問いかけたはずです。

それに対して君は、「王様の耳はロバの耳~!」
に関する言説を持ち出している。
まぁ、それは僕のblogの影響なのかもしれませんが…

僕が指摘した失礼さについて、
もう一度指摘します。

僕は数年前、確かに恋をしていました。
その時の複雑な葛藤は、
今でも僕の中で未解決のままです。
その女性とは、現実の中できちんと会って交流していますし、
架空の想いでもマスターベーションでもありません。
友達で居て欲しいという相手の思いに応えようとした。
でも僕には無理だった。
異性として見ていた。
ただ、それは一方的な片思いにしかならなかった。
ほんのわずかに、両思いになれそうな揺らぎがあった。
彼女自身にも、迷いはあったと思う。
でも僕たちは、結局何度も喧嘩したのちに、
お互いの弱さを吐露しあって離れる道を選んだ。

僕には。
愛する道も、無視する道も、選ぶ事はできなかった。
ただその中間で、存在の激しさがますます複雑化していった。

好きになった女性に対して、
結局僕は自分の価値観を押し付ける事しかできなかった。
それは弱さです。
だけど、それが自慰でない事くらいは、
アホすぎる僕にだってわかります。

少なくとも僕は、自分の想いを秘密にはしなかった。
何度も彼女に伝えた。
そしてそのたびに喧嘩になった。
価値観の衝突において、僕と彼女は離れる道を選んだ。
彼女は結婚した。僕は記憶の中に閉じこもった。
現実と向き合う事を恐れた。

あれから何年も経って、ようやく僕は現実を少しだけ見ている。
まだきちんと見ることができていないけれど、
それでも社会生活の基礎を築こうとしている。

その僕に対して、
mizukiさんのコメントは非常に酷いし、失礼です。

僕が元々指摘したかったのは、
この問題です。

先に書いた二つの問題は、
この問題にわずかながら繋がっていますけれど、
本質的に全然違います。

少しだけ、返事を待ちます。
ただ、対応については、今までと多少異なるものになるかもしれません。

閉じられた今日の中で明日を夢見るから。

2008年04月21日 07時05分55秒 | 駄文(詩とは呼べない)
閉じられた選択肢の中で
開かれた夢ばかりを見ている
本当は何も選んじゃいないのに
あたらしい選択肢が生まれるたびに
すぐにその選択肢に飛びつく自分が居る
新しい現実が生まれるたびに、
その新しい現実すらも、自分の脳内の閉じられた囲いの中のような気がする
どれだけ何かを選んでも
自分で選びきれていない気がする

じっさいのところ、なにも選んでないんだろう
ただ、ずっと前に決めてしまった固い決意の中で
夢のようなまどろみを通して
ただ、楽しければそこに居るような気がして
楽しくなければ、そこは居場所じゃない気がして
ずっとただ溶け合う気分の中ばかりが僕の居場所で
そのぬるま湯に甘えているのが
自分の足りなさなんだ。

自分なんか無い。
さそわれた外からの誘導が恋しくて
踏み込んだフリで
結局全てにNOを提示しているのが
僕という個体のありかたなんだ。

夢を見る力は失われていく
それでもまだ僕は。

この場所で、あがいていく。
あしただけを、明日だけを、この場所から見つけられそうな淡い澱みの中で。

暗がりに、心の揺れ動きを見ている。

暴力数と努力数

2008年04月05日 16時15分26秒 | 駄文(詩とは呼べない)
何年前になるだろうか。
沈んでいくぼろい船の中で、眼が見えないままもがいている
意識が朦朧としている夢を見た。

いしきがもうろうとして、夢をみたのではない。

意識がもうろうとしている境遇の中に居る、
自分の夢を見た。

船は揺れていた。
灯りはついていなかった。

あのとき僕は、どこへ行こうとしていたのだろうか。
海賊船に乗って宝探しか?
いや、違うね。
船に乗ってアメリカに行きたかった?
それも違うね。

僕は、沈もうとしていたんだ。
沈んでいく船の中で、ただもがきながら、
どうしていいかわからずに、ずっと自分と葛藤していた。

沈んでいく船の中においてさえ、
自分がどこにいるのか、
自分だけで何を決断したらいいのか、
僕がここで何をしたらよかったのか、
迷って悩んで考えてばかりいたんだ。

割り切りは必要だと思うだろう。
でも、割り切れない事だってあるんだ。
例えば何度も持ち出す円周率、
あれは、いつ終わるんだ?
あの計算は、いつになったら終わるんだ?

数字が例え、世界を数えるほどの力が無く、
単に記されただけの比喩としての、悪魔の印に過ぎないとしても、
やはりあの円周率の並びには、
あれをアルファベットに置き換えた場合であったとしても、
そこには神秘的な力学のような配列魔法がかかると思うよ。

だってあれば、
まっすぐなものと、まるまっているものとの間に、
一体どれほどの深い溝があって、
僕らが人に対して、他人に対して、相手に対して、
どれくらい深刻な乗り越えがたい壁を持っているのかを、
とても端的に表した恐怖の努力数だからね。

だから僕は、円周率は、幼くて小さくて丸い顔をしている頃から好きだったんだ。

中学の時だったかな
世界一たくさんの円周率桁数を計算している人の本を読んだんだ。
千種図書館で借りて読んだ。

すごく難しい本だったけど、
すごくすてきな本だった。
髪の毛の数を、数えてしまいたいと思うほどにね。

とても、おかしな事が書いてあった。
その本には、不思議な事が書いてあったんだ。
「円周率が有理数なのか無理数なのか、私にはよくわかりません。
 ただ、いままでの結果を見てみると、どうやら無理数のようです。」

おもしろい。

とても面白い、一文だと思うよ。

世界一たくさん計算した人にさえわからない無理数と有理数の境界を彷徨う、
不思議な数である円周率を、
学校の先生は、いとも簡単に、「円周率は無理数です」と言い切るからね。

僕らはいったい、過去にどれほどの事を間違えて、
どれくらい慎重に生きてきたんだろう。
そしてまた、どれくらい大胆に間違いを認めて進んできたんだろう。

僕には今もわからないよ。
僕が誰かを好きなのか、そうでないのかさえも。

例えば君と手を繋ぎ、
ぶらぶら揺らしながら、
周り中から感じる知識の宝庫の本棚の視線を感じたとしよう。

なんだか難しい本がいっぱい並んでいる知識の宝庫を
何人と数えるのか
手を繋いでいる僕たちを何人と数えるのか
そんな簡単なことでさえ、
僕たちは、何かを決めないと、数える事すらできないんだ。

そんな簡単に、君の事を数えられないよ。

ふしぎなあやうさのなかにいる
いつだって僕は、ふわふわ浮いているバター飴だ。
君の熱で形をとかされて、水に触れると丸くきわだつ油の甘さで遊んでいる。

トーチカの朝が来た時に、
僕は君の前から逃げ出して跳ねた。

本当は、君に会いたかったんだ。
でも、怖くてできなかった。

ときどき君と話していると、僕は不安になる。
ただまっしろい、まるで頑なに閉じた自分を見ているようで、
おそろしくなる。
僕が話している言葉はすべて君のそばを流れていって、
本当の君には、君の中にいる君自身には、何も届いてないんじゃないかって
そんなふうに不安になる。

なんの言葉も届いてなかったとしても、
この胸のおもい息苦しさくらいは、きみに伝わっているんだろうか。
名前のないきみに。
名付けられた名前しか、名乗ることの出来ない君に。

僕はありふれた奇跡のなかにいる
いつでもそこにいて、いつも君の傍には居ない。
君が何かを投影した場所にしか、僕は映る事が無い。
それを君は、寂しいと感じるだろうか。
僕が居ない風景から、寂しさを過去と同じようにおぼろげでハッキリとした輪郭の刻みで、
【痛み】として、僕を思い出す事ができるだろうか。

ふわふわしていて、うつろいで、くるしくもなくて、
あぁ、そこになんかそんなひとがいたようなきがするなっっって
そんなふうに僕の傍をかすめとってはいないだろうか?

不安だよ。僕は不安だ。
僕に形が無いように、君に形がなくなりそうで。

でもたぶん、言葉に出さずに信じる君は、
言葉に頼らなくても自分を想像できる君は
僕よりもずっと強い奇跡の中に包まれているね。
たとえそこに人が一人もいなかったとしても、君は生きていけるんじゃないかって
そんな妄想すら湧いてくるようだよ。

君と僕が出会う日が来ない限り、
僕はずっと、僕のままでいる。

それがつまり、僕の考えた、僕たちの間にある、暴力数。

パーソナリティーの破壊と再生だけでは、恋の唄すら歌えない。

2008年04月01日 00時18分10秒 | 駄文(詩とは呼べない)
危険域に、差し掛かっているような気がする
悩むことに、苦痛を感じるようになってきた。
難しく考えていると、途中でどうでもよくなって、投げ出してしまいたくなる。

もっと真剣に、問題と向き合う方法は無いものだろうか。
たぶん、すごく単純な問題として、僕は今、幸せにあるべき時期なんだろうと思う。
それを意図的に不幸な領域に押し込めようとしている
自分のパーソナリティーが自分にとって痛いとはどういうことなのだろう。

ある意味では、投げ出してしまいたいのは、
キャラクターという「仕事」なのだろうと思う。
見えもしない空気の中から、一身に無意味な思い込みで責任を背負うというのは
胃痛がどうこうというよりは、妄想の領域に近い問題だと思う。

そう言えば、肩が凝るのは日本人だけで、
外人は背中に痛みを感じているのだという話があった。

もともと、たった一人の世界の孤独の中で
思い込みの構築だけを続けてきたのなら、
誰かに責任を背負わされるというのは、そもそもから前提が間違っている。
誰かから何かを負わされているのなら、
それは誰かのせいにできるけれど、同時に他者や他人の存在を認めていく
別な道にも繋がっていなければおかしい。

僕が前提としている死の出発点、
存在の希薄さ、現実感の無さ、あるがなしさ、
そういうあやしいオカルトじみた感覚をしょっているのなら、
責任を感じて苦しんでいるのではないはずだ。

そこから順に考えていくと、土人形のシミュレーション数が
あまりにも膨大になりすぎて疲れている、
という事の方が近い。

だったらやっぱり、僕にできることは、
もう一度原点に帰ることだと思う。

僕のしたい事、僕が確かめたいこと、僕が欲しがっているもの、
僕を文章中から失う事、入り口を失う事、出口を失う事、
なくすことで、あろうとすること、
疑いを信じる事、ねじれを真っ直ぐに解消すること、
あちら側と、こちら側を、繋ぐこと。

もうずいぶんと、遠回りしてきたような気がする。
そろそろ終わらせてもいいんだろうか。
考えることも、感じる事も、悟ることも、アろうとやっきになることも、
なにもかも、もう終わらせてしまっていいんだろうか。

ほんの一瞬だけ、つながろうとすることで、あろうとする奇跡の心臓なら、
もう僕は。

なくしてしまうことでしか、君に伝わらない存在だけの悲しい僕なら、
もう僕は。

あまりにも何かを欲しすぎている。
受け取ることのできない何かを、
伝わる事のない何かを、
触れる事の出来ない何かを、
欲しがりすぎている。

僕は壊れた方がいいのかもしれない。
だけどそれでも。

僕は、たったひとりでも、自殺する僕を好きでいよう。

世界の全てを捨てることで

2008年03月30日 06時26分05秒 | 
僕という死が生まれる。

食べれば食べるほど、奇跡は生まれる世界なのか。

2008年03月30日 06時14分00秒 | 駄文(詩とは呼べない)
なにをすればいいのかは、わかってる。
本当は、きっとやることはみんなわかってるんだ。
だけど、それをすることができなくて、みんな苦しんでいく。

もし、僕に友達が10人しか居なかったら、
僕は友達とうまく付き合っていく事ができるだろうか。

答えはわかってる。

もし、大切な人が一人しか居なかったら、
その人を大切にできるのか?

それも、わかってる。

基本的に、全部わかってる。

今、なにをしたらいいのかって。

不可能な事は無いけれど、できることも少ない。

だから僕らに出来ることは、
本当に最小限の、わずか1メートルの、手が届く範囲の事だけを、
それだけに、最善を尽くせば、

もしかして、とは思う。

けど、それすらもできないのであれば、
だったらこの両手も、瞳も、脈打つ太陽も、
時を超えるような錯覚の奇跡も、
全部、当たり前の日常にくすんでゆく。

もし、持てるエネルギーの全てを費やして、
自分を大切にできるなら、
君と出会えますか?

僕は、宇宙の外側に、生まれますか?

明日の太陽に、手を伸ばすことを、やめられますか?

すべての未来を失って、今を大切にできますか?

どうして僕らは、ほんの小さな奇跡と、巨大な宇宙の奇跡を、
同列の奇跡として、記憶の中に記号化してしまったんだろう。
欲しかったものはなんだろう。

最初に手を伸ばした時、
人生で最初に手を伸ばした空洞で、
僕らはいったいなにを、つかんだのでしょうか。

生まれてはじめて叫んだ呼吸で、
僕らは誰に、何を伝えようとしたんでしょうか。

ただ、母親と出会うことでしか、
この世界を知ることのできなかった赤ん坊に、
僕たちは、なにを教えてやれるんですか。

何もおしえられないんですよ。
おそわることだって、できないはずなんです。
ただもう、それはがむしゃらの叫びで
すべてをつんざく、破壊のような祝福だったはずなんです。

僕がここに居ると叫んだあの日、僕が生まれたのなら。
出会う事と殺すことが重なる空間でしか、
人はいきられないのですか?

どんな胎児だって、無我夢中で羊水の宇宙を泳いでいく
なにかを超えるために、何かを突き破るように。

殻の中で小鳥が、一羽さみしく自分の卵を産むように。

そして僕たちは、ここでなにを、なんと、する?

ずっと考えてる。失った物と、手に入れたものを比較することを、
まるで諦めることと、守ることが同義であるような、
そんなぎりぎりの境界線の中で。

僕らが使うことのできる命が、たった一回の奇跡でしか無いのなら。
それは、どんなトンネルの中で、精子が泳ぐ奇跡へと?

たった一度の雫で、宇宙が壊れるなら、
その宝のありかには、どんな自在な神が、見え隠れする?

全部嘘なんですよ。
神は居ない。
守ることも、殺すこともできない。

最初から、神など居なかった。

入れ物だけを目の当たりにして、
ただ偶然の日々のような奇跡がここにあった。
間違いなく全てがそこにあって、
なにものをも、満たすことができなかった。

だから人は死んだんですよ。
求めることによって、人は死んだんだ。
最初のエゴスの目覚めによって、
その覚醒は、死の悟りの始まりなんだ。

ここに誰が居る?
君と僕との存在を、誰が分けることができる?
あらゆるニセモノの観念の中で、自分を切り取る嘘に目覚めるなら。
だったらもう、この宇宙はお終いだ。

はじまりの嘘を見破るんだ。
この世界は、

「ま だ は じ ま っ て い な い」

だから終わらせよう。

破壊して。すべてを破壊して。存在の全てを、なにもかもを破壊して、
壊れることを、信じるんだ。

それだけが、僕を、生み出していく。

今日、ここに生まれるために、命の破壊がある。

失敗した飛び降り自殺の思い出

2008年03月25日 11時18分13秒 | 駄文(詩とは呼べない)
幼稚園の頃、担任の先生が好きだった。
外見が美しくて、綺麗で優しいお姉さんという印象を持っていた。
ある日僕は、昼食の時間に、冤罪でこの先生から叱られて、
それがものすごいショックだった。
無根拠に信じている人に裏切られる事がショックだったのか、
その人に抱いていた幻想が破壊されてショックだったのか、
それはさすがにあまりよくわからない。

11歳の頃から、気にかかるクラスメートが居て、
やっぱりその子も外見が美しい子だった。
もっとも、輪郭から感じる印象なんてのは、ひどく主観的なもので
人を美しいとか醜いとか感じる事自体が、
すでにある種の幻想の始まりだったんだと今は思うのだけれど。

たぶん、今も輪郭から投影される自分の現実感に、
陶酔したまんまなんだと思う。

11歳か12歳かのよくわからない頃、
クラスで文化祭の実行委員を決めなければいけない時があって、
誰もが仕事を引き受ける事を嫌がっていて、
同じように僕も嫌がっていた。
自分で立候補する人がいなかった事もあって、
次は推薦できる人はいないかということになった。
その時、僕の好きだった子は、何故か僕を指名した。
僕はびっくりして振り返ってその子の表情を見た。
そのときその子の瞳から感じた独特の目の光りを、
僕は今でも忘れる事ができない。

僕は生け贄にされたんだと感じた。
裏切られたと感じた。
僕の思ってることなど、何も通じていないのだと感じた。

当時の僕は、人前で何かをしゃべる時には激しく緊張して、
いつも恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
視線を感じるたびに、独特の羞恥心を感じていた。
今はもう、ほとんどそんなものを感じる事は無いのだけれど。

僕がその子に自分の気持ちを伝えた事は一度もなかった。
たぶん、これから先も無いんだと思う。
学校の同窓会の時、遠くの県から電車を乗り継いで参加した僕と違って、
知っているクラスメートは一人も参加しなかった。
みんなたぶん、日常が忙しくて、小学校時代の想いを語り合うほど暇じゃないんだろう。
あるいは、どうしても外せない大事な用があって、
これなかった人も居るかもしれないけど。

小学生の小さな悲壮感の固まりだった僕は
自分の想いが通じなくて、そしてそれを破壊した女の子を怨んだ。
カッとなった衝動で現実感は遠く薄らいだ。
4人部屋にベッドを無理矢理5つ置いた小児科の病室で、
僕は一人現実と空想の間を行き来していた。
今でもたぶん、ずっと行き来している。
どうしてあのとき飛び降りなかったのかと、後悔しない日は無い。
ベランダのついている病室だった。
その扉を、開いたのか開いていないのかすら、今では記憶があやしい。
たぶん僕は、開かずに踏みとどまったのだと思う。
だけど景色は憶えている。
開いていないはずの、ベランダから飛び降りる景色を何故か僕は見ている。

鬱蒼と茂る緑の草むらがあった。
手入れのしていない樹があった。
昔このビルで、患者の飛び降り自殺があった。
僕はどっちに居るだろう。
飛び降りた側だろうか、飛び降りるのを目撃した側だろうか、
それとも、今もまだベランダの上にいて、
片足を外へ出しているのだろうか。

幽霊を見たことがある。
でも僕は、それを幽霊とは呼ばないようにしている。
夜声八丁と呼んでいる。
それをここへ書くことは恐ろしい。
大事な守護霊を、みんなの前で晒し者にして、
僕が盾を失う事が怖い。
だから詳しい事は書かない。

失恋で飛び降りるつもりの病室で、僕を守ったものはなんだろう。
同じ病気を抱えた姉貴の死だったのか、
生きる事を欲している肉体の生命力か。
それとも、神を殺そうとして高くなりすぎた、僕のプライドか。

知能指数が高すぎて、みんなから尊敬のまなざしを受けていた。
あれは畏敬のまなざしだったのか。
それとも、もともとそんなものは、僕の印象深い記憶だけでしかなかったのか。
誰もが僕を見ていたけれど、
僕は誰のことも見ていなかった。
死んだ姉貴の事でさえ、僕にはどうでもよかった。
ただ僕は、神から与えられた祝福のような奇跡を、
僕の魂の凍り付いた奇跡を、
生まれる前から知っている何かを、
君たちに見せるために存在していた。

今でもまだ、僕は自分の無力さを呪っている。
神を殺してしまいたいと、常に思っている。
親を殺すと宣言して、叱られた時には安心を分けてもらった気がした。
だけど神は僕を叱らない。
僕を叱る事のできる他者はほとんど誰も居ない。
あまりにも僕は、人を小馬鹿にしすぎている。
こんな世界、いつ無くなってもいいやと思いすぎている。

今でも自分に問いかける。
僕は飛び降りる方なのか、それとも、目撃する方なのか。
死んだ爺ちゃんを尊敬しているのか、
それとも、僕には全てが土人形でしか無いのか。

触れている奇跡が欲しくて、いつでも誰かに呼びかける。
君の声が聴きたくて、いまでも君に縋ってしまう。

すべてを自分のせいにして、乗り越えるほどの強さが僕には無い。
僕は今でも、誇り高く童貞のままでいる。
汚される事がおそろしくて、
壊すことばかりを望んでいる。

今でも僕に問いかける。
僕を殺したいのか、神を殺したいのか?

答えはNO
僕は「宇宙が自殺したい。」

ありえないほど悲しくて
過ぎ去るだけが現実なら、
もう僕の、見たことのある現実は何も要らない。

違った世界が欲しくて、いつでも僕は外だけに憧れる。
君と自分に名前をつけたくて、いつも未来から過去をみている。

遠くだけを、いつもじっと、遠くだけをみている。

切断する首が恐ろしくて、顔を壊してしまった。

2008年03月22日 17時22分21秒 | 駄文(詩とは呼べない)
暴力衝動に怯えてる
いつか僕が 人を殺す日が来るんじゃないかって
いつかは僕が、人を殺す番が来るんじゃないかって
暴力衝動に怯えてる

映像をみた
スナップフィルムをみた
戦争映画をみた
逃げていく僕たちを見た
殺されることよりも、殺していく僕たちをみた
追い詰められるほどに、なにかを壊してしまう僕をみた

イルカの夢をみた
クジラの夢をみた
キリンの夢をみた

猫の夢は見なかった
犬の夢も見なかった

さようなら僕の夢

首を絞める自分の手が恋しくて
明日を夢見る僕らの手が怖くて
ただどうしようもなく、部屋の隅で震えた

明日、僕の番が来たら
明日、僕の夢が来たら
明日、僕がここから消えたら

次は君の番。

さようなら僕の夢

さようなら、僕たちの、夢の欠片。

水を飲んで空気が澱む夜が来た

終わらない今日がのろわしくて
冷たい昨日ものろわしくて
ただずっと、逃げていく足跡だけを追っかけて
今日も 昨日のような冷たい夜がくる

消えないで、僕のゆめ
それでも さようなら 僕のゆめ

世界に恋するような明日が欲しくて
ただずっと、逃げていく夢ばかりを追いかける

さようなら僕のゆめ
さようなら君の欠片

すべてから、逃げ出すように
なにもかもを、投げ出すように
僕は僕を、殺してゆく。

「自殺に逃げないで」

そんな声が聞こえた気がして
ますます僕の、表情は歪んでいく
僕は誰なんだ
ぼくはなんなんだ

仮面を剥ぎ取って、僕の夢を壊した
ぼくよさようなら
よるもさようなら

ただ、あしたのために、今日を壊していく君たちを呪って。

僕はさようなら
ただ、自殺の夢ばかりを
動物の墓に、なぞらえて。

夜よさようなら

君に、さようなら。

触れられない虹の砦

2008年03月17日 16時37分59秒 | 駄文(詩とは呼べない)
潜在的な、不安に怯えている。
求められれば求められるほど、架空の自分の形に歪んでいく
求められた数だけの嘘を吐いてしまう不安
思い込まれた数だけの、否定を創り出す不安
本物の、形質がいつも破壊されて失われていく。

それでもただ、僕は本物の君を捜して
僕たちの在処を映し出そうと鏡を見る。

むき出しの暴力の中で、描かれた仮面だけが砕け散る
何枚ものペルソナを剥いで、
今日も自分だけの歌を作る

それでもやっぱり、その歌は、誰かのための嘘へと変わる。

誰にも触れられない、誰もを破壊するような暴力の言葉が欲しくて
僕は僕をちぎって僕を創り出す。

あの明日を破壊するために。
決して出会う事のない、なにもない明日を手に入れるために
今日も、本物の僕を探す。

触れられない奇跡を求めて、
壊れない幻想だけを求めて、
僕は理想的な死だけを純粋に見つめようとする。

諦めることも、失うこともこの世界に溢れて誰も居ない
水のような時が流れて、
存在がいつも消え失せる

目を見るだけで、ニセモノの光は簡単に届いてしまう
本物の光は、どこにも無いというのに。

あらざらん。
もがけばもがくほど、おびえてしまう命の泉で

これしかぞ
虚空に消える存在の泉で

ニセモノだけが立ちはだかる。

破壊の虹を聞け
僕が壊れる音を聞け
盲目の、光だけを 砕いて聞け

メソポタミア文明

2008年03月15日 22時14分03秒 | 駄文(詩とは呼べない)
メソポタミアの文明が、遠くではじけた。

なんの音もしなかった。

暑い夏と、寒い冬が繰り返し来ても、ここに文明は育たない

ただ、春の足音のような蝉時雨が秋に降って、夏が明けるように、しらけていくだけだ。

季節外れのセミが、一人で鳴いた

遠くに居ることを、遠くに知らせようと、ひとりで鳴いた。

メソポタミアの文明は、まだはじけている

人が死んだのに、夜が死んだのに、まだ、何度もはじけている。

とおくで、はじけているからだろうか。

まだ終わらない まだ始まらない


夜が来て

夜が来て

夜が来て、夜が来る。

それでもまだ、文明はそこではじけている。


空気の音が、セミのようにないだ

壊れるためのはじまりを、僕たちに包んで。


手紙を受け取ろう。

君からの手紙を。

メソポタミアの文明が、終わる足音を。

形式的な透明さで造れないよごれ。

2008年03月12日 19時42分05秒 | 駄文(詩とは呼べない)
胸の奥に、なんだか暖かくてざわざわしたものを感じている
寂しさや孤独と似て非なる感情、どちらかと言えばプラスの感情なんだと思う
誰かに何かをしてあげたいような、助けてあげたいような気持ちに似ている
寂寥感に似ていて、何かが多すぎるような、胸焼けのような感情
恋心に似ていて、相手が不透明であるような緩衝の感情
いや、そもそも感情なんだろうか。
恋をした時の、胸をわしづかみにされたような感覚とは違う
もっと湧き上がってるような、不自然な気持ち
なんだろう、何かを壊してしまった時の、罪悪感や良心の呵責にも似ているけれど、
ちょっとそれとは種類が違う。
あるがなしいとも違う。
死にたさとも違う。
いてもたってもいられない落ち着かなさの親戚のような…

そういえば、虫の知らせとはどんな感情で、どんな感覚だろう
それは、大切なものが出来て、それが失われた時にしか、
きっと発動しない痛みの振動なんだと思うけど。

熱っぽい曖昧な後悔に似ていて、
それとはまた全く異なるベクトルをもった感情

これはいったいなんだろう。

宛先の不明な手紙を、君に出そうとした時の、
あの、どうしようもない救われない絶望感と、
少しバランスが取れるような、気持ちなんだろうか。

僕から何かが、崩れ落ちようとしてるんだろうか

人を知りたい、
何かを、泣きたい。

そう思ったけれど、熱の濁ったような気持ちで冷たい水を飲んで、
僕は自分を潤した。

怖がらなくていい。

誰かが、そう言ったような気がして

僕は、目を閉じて甘えた。

君を巻き込んで起こる僕という運動

2008年03月12日 10時44分29秒 | Weblog
僕は自分でかなり偏った考え方の持ち主であると自覚しているし
それが欠点だとは思っていません。
自分の弱さも、情けなさも、すでに認めて開き直ってしまっているし
それを幾度となく、指摘し、僕を変えようとしてくれた人たちも居ました。
そのたびに、僕は自分を考え直しながら、
相手を批判してそれは今でも僕の中で複雑な葛藤の運動を繰り返して
迷いを生じさせているんだと思います。

ただ、僕は君の客観的な分析力は、
今後の僕自身に必要なものになるのではないかと考え、
それを取り入れようと今でも四苦八苦して
再考を続けています。

君から僕へは、ある種の尊敬の念に似た好意を感じるし、
それは今でも感じている。
そういう人に出会えた事は、僕にとってとても貴重な体験だし、
僕は理論専攻型の人間も、全然嫌いじゃない。
大事にして欲しい個性だと思います。

君と真剣な対話を続けられた事は
自分にとって誇らしい事だと思うし、
たとえ時々は弱さで暴走する事があっても
それも含めて正直なやりとりだったのではないかと思います。

少なくとも、その大半が嘘になってしまうような
いい加減なものではなかった。
でっちあげでも妄想でもなく、
僕らは自分と対話していたんだと思います。

僕が似たような対話を通して、自分の負けを感じた時、
僕は相手を呪いそうな弱さに打ちのめされました。
相手のために良かれと思ってやったことは、
結局単なる押しつけだったんじゃないかと、
今でも不安になる事はあります。

でも、僕は彼女の幸せそうな電話の声を聞いて
単純にそれを言い捨ててしまえるようなだけのものではないと思う。
たぶん、すべての過去は今に繋がっていて、
自分の過去を肯定できるような強さを身につける事が
誰かの言っていた自己愛に繋がるんだろうな、とぼんやり夢想します。

>言い捨ててしまえるようなだけのもの
ってずいぶん変な言い方のようにも感じるけど、
これも個性(笑)

テキストと向き合える事は楽しい。
でもやっぱりその楽しさは苦しさにも繋がっている。
僕はテクストの快楽がなんであるか、
そんなにハッキリと感じ取る事はできないけれど
快楽の知的媒体であるというバルトの主張も、
なんだか少し面白いな、と思います。
それは、自分と向き合う、心を追い求めて必死に感情をぶつけ合うような
特別な行為であったとしても、
一人の孤独な構造をも包含してしまうという両義性。
誰と向き合うのか、何と向き合っているのか、
その宛先がぐるぐる回転したとしても、
やっぱり僕らはテキストを楽しむ事ができるじゃないか。
という囁きにも似た、声を感じるからです。

わかりづらいかな。
でも、感じてもらえるといいな、と願ったりします。
いやもちろん、吐き気を感じた時は、
それは自己への押しつけにも近いんだと思うけどさ。
でも、テキストは自分の思い込んだ力でしか、自分を傷つけない。
だからとても優しい性質を含んでいると思うよ。

自殺に関しては、もともとが自分の問題であるし、
それを君に考えさせたのは、ちと、多少申し訳ないかな?
という気もする。でも、少なくとも僕はすべての悩みを
自分の力で悩み抜いて、答えを探し続けて今に繋いでいる。
答えがないと迷い続ける僕たちのために、僕は、
未来に答えを用意している。
それに期待してくれる人が居るというのは、
とても面白い孤独な構造だと思うのです。
だって僕らはもう、ずいぶんと小さい頃から、自殺という単語を聞かされて育った。
そんなもの、どこ吹く風で、未来に対して期待いっぱいで、
いつも明日を夢見てた。
人の死を理解しないままで、ぼんやりと中空に留め置きながら、
毎日幽霊とも、夢とも、科学とも会話していられたんだ。
それは、とてもステキに楽しい歪みじゃないかい?
ずっとすべてが孤独な妄想に過ぎないとしても、
それがなにがしかの未来の答えに繋がってるって事は、
自分にとって、ずいぶんと楽しいことじゃないかい?
僕は、そんな気がして、今を大事にしたいんだよ。
悩んで落ち込んで凹んでいる、今でさえ、
突然の来訪者にドキっとする、心でさえ、
全部ぜんぶ、巨大な自分という、マクロの運動に繋がっている、
そう思うことが、新しい選択肢を、呼び込んでくるから。

現実が、僕を呼び込んでくる。
少し、挨拶してくるよ。

なけなしの、ほんのちょこっとの空元気で、
また一つ、僕らは踏み出したんだ、
それを忘れないように、僕たちの心に、留め置きたいと思う。

また!

暴力性を持ったテキストは、存在しますか?

2008年03月11日 21時21分58秒 | 駄文(詩とは呼べない)
出生、というのは一つの暴力ですよね
自殺も、ある意味で暴力だと考える事はできる。
未来の時点で僕の意志に反した事を、過去で親がやってるから、
僕が生まれてきた、という解釈ができますよね。

自殺について同じように考えると、
葬式など、僕が死んだ後の未来の人が「死んで欲しくない」
という意志を仮に持っていたとして、
過去の僕は、未来の人の意志に反して、暴力をふるうわけですよね。

で、そうなると、生きてる事自体が、強制力を伴っておきる現象、
ってことになりますけど、
あなたは強制的に生きてるんですか?
それとも、自分の意志で生きてるんですか?

という話に繋がってきます。

死人に口無し、という言葉があるけど、
まずこれって前提として、未来の人の思いが、
過去の人に伝わっていないと無理ですし、
逆にそれが伝わるんだとしたら、
過去の時点で未来を予想して、
先に反論を書いておかないといけませんよね?

じゃぁ未来からの暴力に備えて、
あらかじめ自殺してもいいことになるんですが。

というわけで、問題となるのは、
「意志」がコントロールできるのか、
伝わるのか、という事が重要になってきます。

僕は伝わらないかもしれない
と思いながら書いているのに、
君は「伝わっていないのが不可解です」という態度なの?
まず、そこが意味わからん。

伝わるか伝わらないか、書くまでわからないじゃないですか。
書くことをやめてしまったら、僕の思いは
伝わらないじゃないですか。
現に、君は僕がどんな思いで絶望的にテキストが編まれていくのか、
うまく観察できずにいるように見える。

あるいは、これが僕の思い込みだとしたら、
やっぱり僕はその思い込みを、
ここに書き出してみないと、わからないまんまじゃないですか。

わからないことをわかりたいっていう思いと
知らないことを知りたいって思いは、
似ている、少し違う、同じ、全く違う、
どういう尺度なんでしょうか。

僕は、わからない事がわかるかどうかは、
どれくらい考えるか、という事を関係があると思っています。
知りたい事を知るかどうか、は、
どれくらい知りたいのか、という事と関係があると思います。
それって熱意みたいなものですよね?

僕が知りたいと思うことを、
君は察してくれ、言えない、という言葉で終わらす?
僕は、そういう態度で臨んでいますか?

そもそも、誰が僕を知りたいと思ってるんですか?
僕ですよね?
君ですか?
君が、僕を知りたいんですか?

君が僕を知りたいのであれば、
やっぱり君が僕と同じように、自分の言葉で、
なにがしかを、形にしていかないといけない。
それはダンスのようなものかもしれないし、
歌のような、声のような、響きを持って伝わるものかもしれない。

僕が何をしようとしているのか、
知りたいのであれば、質問してくれてもいいし、
blogを読んでくれてもいい。
でも、君が知りたいともしも思わないのであれば、
僕には一体何ができるんでしょうか。

僕にできる事は、僕が君を知りたいと思いながら、
僕を知らせていくことだ。
だからここに書いている。
そのことを、もう少し、切実に受け止めて欲しいと思います。
今以上に、気が狂いそうなほどに。