四日くらい前から、「30日で失恋から立ち直る方法」という本を読んでいる。
じつは失恋する前から読み始めた。
三年前の失恋の味を思い出すために、女友達を利用したのかもしれない。
たぶん、僕は失恋を現実のものとして体感したかったのだろう。
このあたり、だいぶ頭がおかしいかもしれない。
僕は僕をモルモットにするための強い好奇心を我慢できない性格なんじゃないかと思う。
担任の教師と進路のことで喧嘩した時には、ナイフで左腕を傷つけて印を刻もうかと思ったし、
言い合いになったときに相手の吸っている煙草の火を
自分の皮膚に押しつけようかと思ったこともあるし、
基本的に肉体に対する残虐性を、ずっと我慢しながら生きてるような気がする。
お姉ちゃんが死んだときも、おじいちゃんが死んだときも泣かなかった。
ただ、誰かが現実を非日常的な方向に壊さなければならないような気はした。
それが僕であることはできなかった。
僕は命の価値など、認めてはいない。
半年くらいしてから、突然姉の事を思い出して泣いた。
ゆっくり思い出したとも言えるけど、きっかけがなんだったのか理解できないので
僕にとっては突然のことだった。
夜中に目を覚まして、思い出して悔し涙に枕をぬらした。
今思えば、僕は現実をなにも見ていない。
記憶を思い出した時にのみ、心は美化によって振動する。
たぶん、葬式を思い出すことはできない。
空白のような葬式を、儀式を、粘土のように曖昧に崩れた美化された思い出を、
消費するように、昇華するように僕は泣くのだ。
たぶん素直じゃないんだろう
正直者でもないだろう。
ずっと僕はいびつな形を抱えたままだ。
それが訂正される事は、おそらくこのさきもずっと無いだろう。
僕は僕自身と契約した血のにじむキツイ思い出を、
痛みの味を記憶から取り出してロボットのように義務を遂行する。
僕は僕との約束を守らねばならない。
例えそれが、僕自身を、破壊する、残虐非道で、怒り狂った感情的なヒステリーであったとしても。
数日経っただけで、もはや僕は現実との境目にある窓を開くことができない
カーテンを開くのにもある程度の勇気がいる。
誰だってそうなのか?関係ない。僕は僕を観察する
逃げまどう旋律も、ゆがんだ思い出も、捏造された希望の未来も、
すべて僕の内側にしかない。
現実の世界には、そんなものは無い。
リアルタイムで進行する思い出と
心臓の砂時計から垂れ落ちるコーラ色の血液と
自閉空間で過ごす現実は、
いったいそれぞれにどれほどの差異があるというのだろう。
誰にも心を開かない現実は、
ずっと閉じられた運命の空間は、
僕が神である事と変わらないほど残酷だ。
人はそれを、たぶん孤独と呼んで知ったかぶりするのだろうけど。
孤独のプライド?
それは才能が、世界を書き換える事ができる時にのみ、
言うべき冗談だろう。
どうにもならないことはいっぱいある。
堅い虚構の中に包まれた宇宙で、
夢いっぱいの未来しかない身体で、
妄想のありかをぐるぐる回す針のような脳味噌で、
どこからどこが、どうやって全て繋がっていると言えるのだろう。
意志を遂行できたとしても、意志が誰かにゆがめられたとしても、
その誰かがいるかもしれないという存在の可能性すら、
僕には証明することが出来ない!
思い出した未来を通過するたびに、僕は歯車の中にいる
ずっと運命の走馬燈からは逃れられない。
人は時限爆弾を抱えて踊り狂う切ないだけの灯火で、
その導火線の火を、決して消すことはできない。
どんな現実からも逃れられない。
僕の受け取る現実は、全て僕の形に歪んでいる現実でしかないのだから。
雪の中で寒さに震えて火傷する僕の皮膚は、
たぶん熱なんか感じていないだろう。
ただ、僕の形に歪んだ痛みを、誰にも伝わらないと知りながら
一瞬叫んで光るだけだ。
その同じ痛みの光が、僕の光が、宇宙からこちら側に届いても、
僕はそれに触れることもできない。
ぶつかることでしか、境界を確かめられないのに、
存在の痛みに怯えている僕はいったいなんなの?
純潔なオリジンの一滴?
無垢な魂の汚れなき無痛症?
どうしようもない矛盾だ。
破壊されるまで、命を確かめることができないなんて。
もっと真剣に死と向き合わねば駄目だ。
一回性を、我がモノとせねば駄目だ。
強迫神経症?なまえなんかどうだっていい。
病気だとしても、治す気なんて最初から無いんだから。
自分が壊れることでしか、世界を知ることはできない。
それが、『真実に近い』と神のミイラに書いてある。
じつは失恋する前から読み始めた。
三年前の失恋の味を思い出すために、女友達を利用したのかもしれない。
たぶん、僕は失恋を現実のものとして体感したかったのだろう。
このあたり、だいぶ頭がおかしいかもしれない。
僕は僕をモルモットにするための強い好奇心を我慢できない性格なんじゃないかと思う。
担任の教師と進路のことで喧嘩した時には、ナイフで左腕を傷つけて印を刻もうかと思ったし、
言い合いになったときに相手の吸っている煙草の火を
自分の皮膚に押しつけようかと思ったこともあるし、
基本的に肉体に対する残虐性を、ずっと我慢しながら生きてるような気がする。
お姉ちゃんが死んだときも、おじいちゃんが死んだときも泣かなかった。
ただ、誰かが現実を非日常的な方向に壊さなければならないような気はした。
それが僕であることはできなかった。
僕は命の価値など、認めてはいない。
半年くらいしてから、突然姉の事を思い出して泣いた。
ゆっくり思い出したとも言えるけど、きっかけがなんだったのか理解できないので
僕にとっては突然のことだった。
夜中に目を覚まして、思い出して悔し涙に枕をぬらした。
今思えば、僕は現実をなにも見ていない。
記憶を思い出した時にのみ、心は美化によって振動する。
たぶん、葬式を思い出すことはできない。
空白のような葬式を、儀式を、粘土のように曖昧に崩れた美化された思い出を、
消費するように、昇華するように僕は泣くのだ。
たぶん素直じゃないんだろう
正直者でもないだろう。
ずっと僕はいびつな形を抱えたままだ。
それが訂正される事は、おそらくこのさきもずっと無いだろう。
僕は僕自身と契約した血のにじむキツイ思い出を、
痛みの味を記憶から取り出してロボットのように義務を遂行する。
僕は僕との約束を守らねばならない。
例えそれが、僕自身を、破壊する、残虐非道で、怒り狂った感情的なヒステリーであったとしても。
数日経っただけで、もはや僕は現実との境目にある窓を開くことができない
カーテンを開くのにもある程度の勇気がいる。
誰だってそうなのか?関係ない。僕は僕を観察する
逃げまどう旋律も、ゆがんだ思い出も、捏造された希望の未来も、
すべて僕の内側にしかない。
現実の世界には、そんなものは無い。
リアルタイムで進行する思い出と
心臓の砂時計から垂れ落ちるコーラ色の血液と
自閉空間で過ごす現実は、
いったいそれぞれにどれほどの差異があるというのだろう。
誰にも心を開かない現実は、
ずっと閉じられた運命の空間は、
僕が神である事と変わらないほど残酷だ。
人はそれを、たぶん孤独と呼んで知ったかぶりするのだろうけど。
孤独のプライド?
それは才能が、世界を書き換える事ができる時にのみ、
言うべき冗談だろう。
どうにもならないことはいっぱいある。
堅い虚構の中に包まれた宇宙で、
夢いっぱいの未来しかない身体で、
妄想のありかをぐるぐる回す針のような脳味噌で、
どこからどこが、どうやって全て繋がっていると言えるのだろう。
意志を遂行できたとしても、意志が誰かにゆがめられたとしても、
その誰かがいるかもしれないという存在の可能性すら、
僕には証明することが出来ない!
思い出した未来を通過するたびに、僕は歯車の中にいる
ずっと運命の走馬燈からは逃れられない。
人は時限爆弾を抱えて踊り狂う切ないだけの灯火で、
その導火線の火を、決して消すことはできない。
どんな現実からも逃れられない。
僕の受け取る現実は、全て僕の形に歪んでいる現実でしかないのだから。
雪の中で寒さに震えて火傷する僕の皮膚は、
たぶん熱なんか感じていないだろう。
ただ、僕の形に歪んだ痛みを、誰にも伝わらないと知りながら
一瞬叫んで光るだけだ。
その同じ痛みの光が、僕の光が、宇宙からこちら側に届いても、
僕はそれに触れることもできない。
ぶつかることでしか、境界を確かめられないのに、
存在の痛みに怯えている僕はいったいなんなの?
純潔なオリジンの一滴?
無垢な魂の汚れなき無痛症?
どうしようもない矛盾だ。
破壊されるまで、命を確かめることができないなんて。
もっと真剣に死と向き合わねば駄目だ。
一回性を、我がモノとせねば駄目だ。
強迫神経症?なまえなんかどうだっていい。
病気だとしても、治す気なんて最初から無いんだから。
自分が壊れることでしか、世界を知ることはできない。
それが、『真実に近い』と神のミイラに書いてある。