気付いた。
人は「死ぬ」んじゃなくて、
この世界にずっと居たままで、
極限無意識に薄まるだけだ。
人は産声と共に生まれるわけではなく、
生まれるという儀式を通過するだけで、
ゆっくりと覚醒する。
変化と変化の中に
【同じ】という意識的な[私]というフレームを
発見できなくなるだけで、
無くなるわけでもなく、
もともと出現したわけでもないのだ。
何か僕は誤解していた。
死んだらこの世界から解放されて、
全く想像もしない
超絶世界にいけるのかと勘違いしていたが、
そんな瞬間移動みたいなことではなく、
単に痛みを理解することが出来ないほど、
【あちこち】に薄まるだけなのだ。
だからきっと、大事な事は、
生の中に死を発見することよりも
[私]と[私]の間に心を発見することの方が、
心の在処を見つけて実感することの方が、
より人間らしいんだと思う。
私をより強く思い込み、
【私】として過剰に
確固たる私という強い引力に縛られるほどに
私は死がおそろしくなるのだ。
だから、我を溶かすことに成功すれば、
もうあまり、死なんて恐くはないのだと思う。
私が私である限り、私は死ぬ。
人は「死ぬ」んじゃなくて、
この世界にずっと居たままで、
極限無意識に薄まるだけだ。
人は産声と共に生まれるわけではなく、
生まれるという儀式を通過するだけで、
ゆっくりと覚醒する。
変化と変化の中に
【同じ】という意識的な[私]というフレームを
発見できなくなるだけで、
無くなるわけでもなく、
もともと出現したわけでもないのだ。
何か僕は誤解していた。
死んだらこの世界から解放されて、
全く想像もしない
超絶世界にいけるのかと勘違いしていたが、
そんな瞬間移動みたいなことではなく、
単に痛みを理解することが出来ないほど、
【あちこち】に薄まるだけなのだ。
だからきっと、大事な事は、
生の中に死を発見することよりも
[私]と[私]の間に心を発見することの方が、
心の在処を見つけて実感することの方が、
より人間らしいんだと思う。
私をより強く思い込み、
【私】として過剰に
確固たる私という強い引力に縛られるほどに
私は死がおそろしくなるのだ。
だから、我を溶かすことに成功すれば、
もうあまり、死なんて恐くはないのだと思う。
私が私である限り、私は死ぬ。