Kameyama Hachimangu Shrine, Shimonoseki City, Yamaguchi Pref.
さてさて、下関にやって来たワタクシ達は海岸沿いの国道9号線を、関門橋の方に向かって歩いて行きました。
進行方向の左側、観光客に人気の唐戸市場の向かいあたりに亀山八幡宮という立派な神社がありました。
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とした神社なのですが、応神天皇陵も仲哀天皇陵も我が家のすぐ近くにあるので、
なんだかこの神社が身近なものに感じられました。
石段を登って行くと、大きなフグの像がありました。下関ではフグを「ふく」と呼ぶので、この像は「ふくの像」と書かれてありました。
明治21年、時の総理大臣伊藤博文が下関でフグ刺しを賞味し、その美味を絶賛したことから全国に先駆けて
フグの食用禁止が山口県で解禁されたことは良く知られています。
亀の手水がありました。親ガメの上に子ガメが乗っかっていますね。
この日は「風鈴祭り」が行われており、涼やかな音色が響いていました。
しかし、この日も当然ながら猛暑日でして、風鈴の音色くらいでは涼しさを感じることは出来ません。
今回の旅は四日間とも猛烈な暑さの中での散策となったのです。
そうそう、この日(8月20日)の朝、家を出て来る時は雨が降っていたんです。新大阪駅を新幹線が出発する時も雨でした。
途中、兵庫県から岡山県に入るあたりで雨が上がり、その後は四日間ずっと晴天が続きました。
ただし、雨は降りませんが服はいつも汗でびしょ濡れでありました。
ではでは、さらに東へと歩いて行くとしましょうか。
しばらく歩くと日清講和記念館がありました。明治28年春、下関で日清講和会議が開れて下関条約という講和条約が結ばれました。
その歴史的意義を伝えるという目的で作られた記念館です。
日本側の全権であった伊藤博文と陸奥宗光の像がありました。伊藤博文は誰でもよく知っていますが、
陸奥宗光は明治時代の外務大臣でして、江戸時代に結ばされた不平等条約の一つ、治外法権を撤廃することに成功したことで有名です。
清からは全権として李鴻章が来るのですが、会議の場として下関を選んだのは大きな理由があるんです。
目の前の関門海峡に帝国海軍の軍船をズラリと並べ、清国側に大きな圧力をかけたんです。
そうすることによって交渉を有利に進めていったのですな。
下関条約で日本が得たものは
・清国に朝鮮の独立を認めさせた。
・遼東半島、台湾を日本の領土とした。(後に三国干渉によって遼東半島は清国に返還させられます)
・当時の金額で約3億円の賠償金を獲得した。
ということでした。ワタクシはこのことが日本人の心の中に「戦争は勝てば利益になる」という意識を植えつけた気がしてならないのです。
そして、日本は日露戦争への道を歩んでいくのですね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
下関を訪れるのは今回が二度目です。前回は大学生の時でしたので、40年少し前のことでした。
当時の記憶はごく僅かしかなかったのですが、街を歩いているうちに徐々にその時の記憶が蘇ってきました。
昨日のことはすぐに忘れるのに、昔のことは妙に覚えているのが不思議です。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
にほんブログ村
さてさて、下関にやって来たワタクシ達は海岸沿いの国道9号線を、関門橋の方に向かって歩いて行きました。
進行方向の左側、観光客に人気の唐戸市場の向かいあたりに亀山八幡宮という立派な神社がありました。
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とした神社なのですが、応神天皇陵も仲哀天皇陵も我が家のすぐ近くにあるので、
なんだかこの神社が身近なものに感じられました。
石段を登って行くと、大きなフグの像がありました。下関ではフグを「ふく」と呼ぶので、この像は「ふくの像」と書かれてありました。
明治21年、時の総理大臣伊藤博文が下関でフグ刺しを賞味し、その美味を絶賛したことから全国に先駆けて
フグの食用禁止が山口県で解禁されたことは良く知られています。
亀の手水がありました。親ガメの上に子ガメが乗っかっていますね。
この日は「風鈴祭り」が行われており、涼やかな音色が響いていました。
しかし、この日も当然ながら猛暑日でして、風鈴の音色くらいでは涼しさを感じることは出来ません。
今回の旅は四日間とも猛烈な暑さの中での散策となったのです。
そうそう、この日(8月20日)の朝、家を出て来る時は雨が降っていたんです。新大阪駅を新幹線が出発する時も雨でした。
途中、兵庫県から岡山県に入るあたりで雨が上がり、その後は四日間ずっと晴天が続きました。
ただし、雨は降りませんが服はいつも汗でびしょ濡れでありました。
ではでは、さらに東へと歩いて行くとしましょうか。
しばらく歩くと日清講和記念館がありました。明治28年春、下関で日清講和会議が開れて下関条約という講和条約が結ばれました。
その歴史的意義を伝えるという目的で作られた記念館です。
日本側の全権であった伊藤博文と陸奥宗光の像がありました。伊藤博文は誰でもよく知っていますが、
陸奥宗光は明治時代の外務大臣でして、江戸時代に結ばされた不平等条約の一つ、治外法権を撤廃することに成功したことで有名です。
清からは全権として李鴻章が来るのですが、会議の場として下関を選んだのは大きな理由があるんです。
目の前の関門海峡に帝国海軍の軍船をズラリと並べ、清国側に大きな圧力をかけたんです。
そうすることによって交渉を有利に進めていったのですな。
下関条約で日本が得たものは
・清国に朝鮮の独立を認めさせた。
・遼東半島、台湾を日本の領土とした。(後に三国干渉によって遼東半島は清国に返還させられます)
・当時の金額で約3億円の賠償金を獲得した。
ということでした。ワタクシはこのことが日本人の心の中に「戦争は勝てば利益になる」という意識を植えつけた気がしてならないのです。
そして、日本は日露戦争への道を歩んでいくのですね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
下関を訪れるのは今回が二度目です。前回は大学生の時でしたので、40年少し前のことでした。
当時の記憶はごく僅かしかなかったのですが、街を歩いているうちに徐々にその時の記憶が蘇ってきました。
昨日のことはすぐに忘れるのに、昔のことは妙に覚えているのが不思議です。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
にほんブログ村
大きいのは何かと思いましたが
フグだったのですね。
そして親亀の上に子亀ですね。
子亀の上に孫亀はないですね。
なんとも今年は大変な夏です
歴史的なことが行われた場所でもあるんですね
昨日の布引の滝からは再度山に行き森林植物園に行きました
亀山八幡宮、風鈴祭りもあってたのですね
涼やかな音も効かないくらいの猛暑(^^;)
日清講話記念館も陸奥宗光という人も知りませんでした
歴史を感じる素敵な建物ですね
昔、フグの干物を買いました
フクの像も、大きそうだわ。
猛烈な暑さだったんですね。
風鈴を見ると、風は吹いてたようですね。
熱風だったのかな?(苦笑)
下関条約の記念館があるんですね。
旅先で、歴史の詳細を学べるのは
いいですね。
凸
歴史のあやを考える。
よっちんさんらしい旅ですね。
フグは提灯のイメージが強いです
ぽちっとして置きました
立派な神社さんがあるんですねー
ふぐの像やカメさんの手水舎、下関らしいものが見れましたね
カラフルな風鈴がとても涼し気ですが、猛暑日では、風鈴の音色も涼しさにはつながらなかったですね💦
よっちんさんの下関訪問は久しぶりだったんですね。
たくさん観光できましたか?
凸
私は暑いし仕事が忙しくてバテてます、痩せました
ぽち
これらの像も覚えています。
風鈴祭りがあるのは知りませんでした。
下関は海に面しているので、どこを写しても風光明媚ですね。