Old Seki Post Town, Kameyama City, Mie Pref.
さてさて、10月末のことなのですが、ワタクシは久々に三重県亀山市にある関宿を訪れました。
関宿は東海道47番目の宿場町で、江戸から明治期にかけての町屋が今も約200軒も連なっているんです。
当然ながら国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。
関宿の東の入口“東の追分”にあるこの鳥居は、関宿では「一之鳥居」として親しまれているものです。
「一之鳥居」というのは伊勢神宮に向かう最初の鳥居という意味なのですが、実際には伊勢神宮の鳥居ではなく、
伊勢神宮に向かう人々への道しるべとして建てられたものです。
この鳥居がこの場所に初めて建てられたのは18世紀の初め頃と考えられていますが、当時は伊勢講の人々からの寄進により建てられ、
関宿の人々によって管理されていました。現在は20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮にあわせて建て替えが行われています。
ここから西に向かって約1.8kmにわたって関宿の町並みが続きます。ワタクシは西に向かって歩いて行くことになりますな。
関宿は西の追分からは大和街道が、東の追分からは伊勢別街道がそれぞれ分岐していたため、
江戸時代にはこれらの街道を往来する人々でにぎわい、参勤交代や伊勢参りなどの交通の拠点として繁栄していたんです。
この建物は「長谷屋(はせや)」という昔の宿屋です。
庇の軒下に吊り下げられた木製の看板には「休泊 はせや伊三郎」の文字が彫られていました。
三重県の旧伊勢国に来ると、玄関先にしめ縄を一年中飾っている姿をよく見かけます。これには次のようないわれがあるんです。
その昔、伊勢の地を旅していた須佐之男命(スサノオノミコト)が夕暮れに泊る所が無く困っていたところ、
貧しいものの心豊かな蘇民将来(そみんしょうらい)という男が家に泊めてくれ、手厚いもてなしをしてくれました。
須佐之男命はこれに大変感激し「蘇民将来の子孫と書いて茅の輪を門口にかけておけば子孫代々病を免れる」と言い残し去っていきました。
以降、蘇民家は疫病を免れ代々栄えたという故事があり、
これにあやかって伊勢の人々は一年中しめ縄を家の玄関用に飾るようになったそうなんです。
でも、この家のように「笑門」と書いたしめ縄を飾っている家も少なくありません。
その理由としては、蘇民将来子孫家門がのちに「将門」と短縮され、平将門の乱後は混同されないように
「笑門」に変遷したという説があるそうです。なるほどねぇ。
こちらは昔からの油屋さん。現在も油を売るお店として営業されているようです。
ここからしばらくは江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みが続きます。
ワタクシ、ワクワクした気持ちで旧東海道を歩いて行くのでした。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
旧宿場町も数多く訪れましたが、江戸時代の雰囲気を色濃く残すと言う意味では、ここ関宿は旧中山道の妻籠宿や奈良井宿に匹敵する
素晴らしい歴史的な風景かと思います。私が初めてこの町を訪れてから、もう20年以上の歳月が過ぎました。
この間に随分と町並みの整備、古民家の修復が進んだと思います。嬉しいことですね。
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さてさて、10月末のことなのですが、ワタクシは久々に三重県亀山市にある関宿を訪れました。
関宿は東海道47番目の宿場町で、江戸から明治期にかけての町屋が今も約200軒も連なっているんです。
当然ながら国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。
関宿の東の入口“東の追分”にあるこの鳥居は、関宿では「一之鳥居」として親しまれているものです。
「一之鳥居」というのは伊勢神宮に向かう最初の鳥居という意味なのですが、実際には伊勢神宮の鳥居ではなく、
伊勢神宮に向かう人々への道しるべとして建てられたものです。
この鳥居がこの場所に初めて建てられたのは18世紀の初め頃と考えられていますが、当時は伊勢講の人々からの寄進により建てられ、
関宿の人々によって管理されていました。現在は20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮にあわせて建て替えが行われています。
ここから西に向かって約1.8kmにわたって関宿の町並みが続きます。ワタクシは西に向かって歩いて行くことになりますな。
関宿は西の追分からは大和街道が、東の追分からは伊勢別街道がそれぞれ分岐していたため、
江戸時代にはこれらの街道を往来する人々でにぎわい、参勤交代や伊勢参りなどの交通の拠点として繁栄していたんです。
この建物は「長谷屋(はせや)」という昔の宿屋です。
庇の軒下に吊り下げられた木製の看板には「休泊 はせや伊三郎」の文字が彫られていました。
三重県の旧伊勢国に来ると、玄関先にしめ縄を一年中飾っている姿をよく見かけます。これには次のようないわれがあるんです。
その昔、伊勢の地を旅していた須佐之男命(スサノオノミコト)が夕暮れに泊る所が無く困っていたところ、
貧しいものの心豊かな蘇民将来(そみんしょうらい)という男が家に泊めてくれ、手厚いもてなしをしてくれました。
須佐之男命はこれに大変感激し「蘇民将来の子孫と書いて茅の輪を門口にかけておけば子孫代々病を免れる」と言い残し去っていきました。
以降、蘇民家は疫病を免れ代々栄えたという故事があり、
これにあやかって伊勢の人々は一年中しめ縄を家の玄関用に飾るようになったそうなんです。
でも、この家のように「笑門」と書いたしめ縄を飾っている家も少なくありません。
その理由としては、蘇民将来子孫家門がのちに「将門」と短縮され、平将門の乱後は混同されないように
「笑門」に変遷したという説があるそうです。なるほどねぇ。
こちらは昔からの油屋さん。現在も油を売るお店として営業されているようです。
ここからしばらくは江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みが続きます。
ワタクシ、ワクワクした気持ちで旧東海道を歩いて行くのでした。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
旧宿場町も数多く訪れましたが、江戸時代の雰囲気を色濃く残すと言う意味では、ここ関宿は旧中山道の妻籠宿や奈良井宿に匹敵する
素晴らしい歴史的な風景かと思います。私が初めてこの町を訪れてから、もう20年以上の歳月が過ぎました。
この間に随分と町並みの整備、古民家の修復が進んだと思います。嬉しいことですね。
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