よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

大名行列-三重県亀山市:関宿

2024年11月08日 | 三重
Old Seki Post Town, Kameyama City, Mie Pref.

さてさて、旧東海道の宿場町である関宿を訪れたワタクシですが、朝9時の宿場町はまだ訪れる人も少なく、
ゆっくりと散策を楽しむことが出来ました


言うまでもなく東海道は江戸時代の五街道の一つで、最も人の往来が多かった街道です。
江戸と京都を結んだ東海道は約490kmの距離で、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、
浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられました。なんと言っても歌川広重の浮世絵は有名ですね


この写真を見てもらうとわかると思うのですが、民家と道路(東海道)との間にちょっとしたスペースがありますよね。
これは参勤交代の大名行列が通行する際に、土下座をするための場所なんですよ


ただ、ワタクシたちがテレビの時代劇で見てきた大名行列の姿と、実際の大名行列の姿にはかなりの違いがあるようです。
まず、大名行列は街道を行く際、隊列を整えていなかったんですよ。
一糸乱れぬ行列で豪華さと華麗さを見せつけるのは、宿場町に入る直前だけなんです。
山道や農村を通過する時は、藩士たちはそれぞれ気の合う者同士でグループを作り、気ままに歩いたようなんですね。
宿場町の手前で藩士が揃うと、行列を整えて悠然と宿場町に入るんです。多くの人の目に触れる場所でだけ大勢の武士たちが、
いかにも規則正しく振る舞っていたのです。まあ、武士というのは見栄っ張りだったんですな


また、大名行列は臨時で人を雇い、いかにも人数が多く見えるように水増ししていたんです。
特に江戸に入る時は、さらに人数を水増ししました。江戸入府は最も多くの人の目に触れる参勤交代のハイライトですから、
より多くの人員を必要としたのです。この辺りは各藩の見栄の張り合いということでしょう


時代劇では大名行列が通行する際、「下に〜、下に〜」という掛け声を発していますが、これも事実じゃないんです。
「下に〜、下に〜」という掛け声は徳川御三家のみが行っていたそうで、一般の大名行列は「脇へ寄れ」「寄れ」といった
掛け声だったそうなんですよ。面白いですね


この建物を見た瞬間、二階の手すりや格子窓から「この建物は遊廓だったに違いない」と思いました。
調べてみると「開雲楼」という遊廓だったそうです。昔はどの宿場町にも「飯盛女」という遊女がいて、
遊郭も何軒かあったようです。ま、「旅の恥はかき捨て」ということだったのでしょう


昔は「旅=男の楽しみ」だったので、昭和の時代の温泉街などにも歓楽街、遊興施設が多かったですね。
今は女性の旅行客が増えたので、温泉街も随分と健全になりました。いいことだなと思います


なお、余談ですが大名行列の前を横切ることが許されていた職業というのがあったんですよ。
それは医者、産婆、飛脚だったそうです。なるほどねぇ

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


参勤交代(大名行列)というのは、幕府側から見るとよく出来た制度です。
有力な外様大名に多額の出費を行わせ、経済的に大きな負担を負わせるのですからね。
江戸から遠く離れた薩摩藩、加賀藩なんてのは物凄い金銭的負担だったことでしょう。



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