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ロマンチックな戦場?アイヌ2

2019-10-16 17:13:22 | 日記

ロマンチックな戦場?

アイヌの少年シクルシイが、その天才ゆえに歩まされた波乱万丈の半生――。
 
 『まつろはぬもの』にいきいきと描かれる、コタンでの母との暮らし、厳しいけれど温かく優しく導いてくれた女先生、差別に苦しむ一家を助けてくれた駅員や駐在さん、樺太に別宅を構えて事業を営む父の下へ、汽車と徒歩で野宿しながらの単独行、濡れ衣を着せられた際に勇気ある証言をしてくれた、和歌山から来た(おそらく被差別出身の)人びと。
 
少年時代のシクルシイ氏の回想は、誰もが一度は読んだことのある清々しいビルドゥングスロマンの色彩を帯び、読者はきっと、心の中で彼の成長を応援しながらページをめくるはずだ。
そして、国際都市満州に移ってからの、目まぐるしい身辺の変化。
 
 満鉄副総裁松岡洋右と対面した彼は、これまでの特別教育のいきさつと、今後彼を待ち受ける「任務」を告げられ、教育の内容は、語学以外に武器弾薬の扱いや格闘技、暗号の処理など、スパイそのものを養成するための内容に変わってゆく。
 
戦争はいよいよ避けられぬものとなり、彼は厳しい修業の末に、諜報員として野に放たれる。
哥老会、魯花公司、公利商行、黒幫、青幫、馬賊(緑林の徒)、ハイラル機関、アパカ機関、興安機関といった、広い中国にくまなく巡らされた様々な特殊組織や秘密結社とその情報網が、時に彼の隠れ蓑となり、その行動を手引きし、ある所からは密かに尾行され、命を狙われる。
 
苦力に身をやつして荷を運び、人買いに身を売って重慶の地下要塞に潜入したり、髪を剃り落としラマ僧の格好で探索行を続け、天津のフランス租界では、ナイトクラブで暴れていた憲兵を一撃で倒すなど、危険と隣り合わせの日々は、読む者にとってロマンチックですらある。
現金代わりに隠し持った上質の阿片を有力者に献上したり、駄賃として渡しながら隠密行動を続け、「眠っている間に殺されるのではないかと思いながら眠りにつき、朝、目覚めると生命を完うしたことを喜ぶ」7年間の戦場での単独行動。
しかし、『戦場の狗』で、ふいに書かれたこの一節に、読者は慄然とさせられるのだ。 ――東京に戻ると、すぐに去勢手術のために病院へ連れていかれ、一時間もすると処置は終わっていた。
 
松岡は「復元は可能だ」と言ったが、担当の軍医は「無理じゃないかな」と、こともなげに言い放った。   
私ははじめ、2010年に出版された『まつろはぬもの』を縁あって読んだが、シクルシイ氏と面識のある加藤昌彦氏による巻末の解説に、1993年刊行の『戦場の狗』と抱き合わせで読むべきであるとあったので、急ぎ取り寄せた。
 
 ともにシクルシイ氏の回想録であるが、『戦場の狗』を筑摩書房から出版するに当たり、大幅に削られた少年時代の逸話をこのまま公表しないのはいかにも惜しいと、関係者の手で自費出版に近い形で刊行されたのが、『まつろはぬもの』である。
 
 これに対して 『戦場の狗』には、満州にわたってからの特殊訓練の模様、スタニスロー教授とそのチームとの研究生活に名を借りた7年間の世界行脚の足跡(スタニスロー氏は米国CIAの前身機関の特殊工作員であった)、
 
そして何よりも、松岡の狗として戦場を這いずり回る生活と、世の人に知られることのない戦場の実態報告、さらに逮捕拘禁されてからの数ヶ月にわたる中国とアメリカ当局による取調べの内容が事細かに書かれている。
最初の手記『戦場の狗』から17年後、シクルシイ氏の死後10年経ってから出された『まつろはぬもの』を読んで、本当にこんな人生がありうるのかと驚き、
 
もっとシクルシイ氏について知りたい、彼が他に語っていることがあるならそれを聞いてみたいという衝動のままに 『戦場の狗』を読んだが、
 
そこに書かれてあったことは、さらに微に入り細を穿つ戦場の報告であり、家族から政府に売られ、そして使い捨てにされたアイヌの、身も蓋もない半生記であった。
では、彼の任務とは、松岡洋右がシクルシイ氏に命じたことは、具体的にどのようなものだったのか。 どんな意図があって、彼は自分の手駒を養成し、放ち、もたらされた情報を何に使ったのか。 
(さらにつづく)

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