ある日、新潟で

【New-Lagoon Days】-αで描く新潟の光-

2005年12月25日

2017-12-25 | 雑記
2005年12月25日、JR羽越線の特急「いなほ14号」(秋田発新潟行)が、山形県庄内町で突風を受け脱線、1、3両目が築堤下の小屋に衝突し、乗客5人が亡くなる事故が起こった。
あれから12年が経った。


「羽越線列車事故慰霊碑」

当時、秋田県の方と遠距離恋愛をしていた俺は、会いに行く際には特急「いなほ」をいつも利用していた。「いなほ14号」は秋田からの帰りに利用していた特急だった。ダイヤでは秋田から新潟まででは最終便となる列車だ。
事故当日にニュース映像を見て、背筋の凍る思いがした。食い入るようにニュースに見入った。俺が乗るのは決まって先頭車両の中央よりやや後方あたりだった。映像を見ると脱線し横たわる車両の、ちょうどその辺りの天井が大きくへこんでいたと思う。
もしあの日、秋田に行っていたら、きっとそこに乗っていた。
ちょうどクリスマス。希望したわけではないけれど、たまたま連休になっていた。しかしその時は、秋田には行かずに新潟にいた。

翌、26日に出勤すると、俺の勤務表を見て、秋田に行っているかも?と思った同僚たちから「大丈夫!?乗ってなかった!?」と心配された。
幸い、俺は乗っていなかった。
でもやはり他人事に思えなかった。

だからずっと、この慰霊碑ができる前から、事故現場に行って手を合わせたいと思っていた。
思っていたのだけど12年も経ってしまった。
今年からまた「いなほ」を利用するようになったり、車でも酒田市付近を通過することが多くなって、ずっと心の隅に引っかかっていたのだけど、なかなか行けなかった。


事故の現場は、12年の歳月で俺の記憶もあいまいになってしまっていたようで、思っていたよりも、位置が違っていて、酒田の町を通り過ぎる際に、行こうと決めてスマホで調べてみると、だいぶ戻らなくてはいけないようだったが、今回こそは行ってこようと、思い切ってUターンした。

秋田方面からだと酒田駅を出発して砂越駅を過ぎて、最上川の鉄橋を渡った直後というあたりになる。
鉄橋から下ってくる築堤は、結構な高さがある。あの上で風に煽られて脱線、転覆したようだ。
事故現場には、慰霊碑と慰霊のための施設が併設されている。

事故の原因は、ダウンバーストとも竜巻ともいわれていて、いまだにはっきりはしていないようだ。
「突風を受けて」という表現にされているようだが。
この事故現場にではないようだが、この事故を教訓にして、今年、ドップラーレーダーを使用して突風を予測するシステムが羽越線に新たに導入されたそうだ。


せっかく行ったのだけど、ちょうど慰霊式の前日だったようで、準備のために業者の方が忙しく作業をしているところだった。
しかし、俺もここまで来て、何もしないで帰るのも嫌なので、作業の合間を縫ってお邪魔させていただき、お参りさせていただきました。



慰霊式のためか、ちょうど慰霊碑にはたくさんの花が供えられていた。
慰霊碑の前には事故の事が記された碑と、亡くなられた方の名が刻まれた碑があった。

どんな用事で「いなほ」に乗っていたのだろう?
もしかしたら、俺と同じような境遇の方もいたのかもしれない。


休憩施設には、事故当時に全国から送られたという、千羽鶴などが展示されている。


あれから12年が経ち、今も「いなほ14号」秋田発新潟行は利用しているけれど、やはりどうも未だに先頭車両には乗りづらい気持ちがある。予測しきれない気象は鉄道に限らずどうにもならないこともあるけれど、今後も安全な運行がされることを、ひとりの「いなほ」の乗客として思います。


また、ゆっくりお参りできそうな時に訪ねたいと思います。
まさか慰霊式前日とは思わなかったけど、そうですね、ちょうど事故から今日で12年です。


合掌。


【NEX-7】+【Vario-Tessar T* E 16-70mm F4 ZA OSS】

コメント
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