遠い昔、私が通っていた高校からすぐ近くに甲子園球場がありました。
クラブ帰り無料のアルプススタンドで氷の「かち割り」を買い半端じゃない暑さのなか地元高校を応援
懐かしい高校野球の思い出と歴史を元新聞記者をされていた講師がゆっくりとページを
開けてくださるようです、最初のページは「すべての始まり・・・」がサブタイトルのようでした。
野球の始まりは1873年、開成学校の米人教師が生徒に野球を教えたところからです
そして初の対抗戦は、またしても米国帰りの新橋鉄道局員が職場で結成したチームと駒場農学校の試合でした。
早慶を中心に大学野球が盛んになり1910年代には中等学校野球も普及、各地で大会が開かれ始め
いよいよ箕面有馬電鉄が経営する豊中グラウンドで第1回全国中等学校優勝野球大会が1915年にスタート!
1924年8月1日待望の甲子園球場が完成!13日から全国大会を甲子園で開催
もの凄い人が阪神電鉄甲子園駅を利用したのでしょうね~
1941年第2次大戦で全国大会は中止、1942~45まで4年間中断で「幻の甲子園」と呼ばれたそうですよ
しかし1946年、ついに阪神西宮球場で復活しました(甲子園は米軍接収中、物資集積場になっていました)
俳優・永瀬正敏さんが映画「KANO」で演じた主人公、近藤兵太郎氏は母校・松山商の野球部監督を
務めた後、台湾の高校野球部監督に就任「最後の一球まで諦めるな」の信念で指導!
1931年夏の甲子園に台湾代表として初出場し決勝まで勝ち進む快進撃を見せました
原作者・古川勝三さんは「台湾を愛した日本人Ⅱ」で主人公の近藤氏が野球への情熱を大切にし
日本人や台湾人など民族の違いに関係なく熱く指導していく姿を克明に描き出し
映画を観た人は、また一つ高校野球の魅力を発見されたでしょうね~・・・
豊中グラウンドも鳴尾球場も手狭になり当時の阪神電鉄が社運を賭け
アメリカ大リーグのヤンキー・スタジアムに匹敵する球場を目指し現地視察の時間もなく
手探りの中、たった1年でこの大事業をやり遂げ1924年8月1日に堂々と新球場は完成し
ラクビーやサッカーそしてアメリカンフットボールもできるよう「甲子園大運動場」と名付けられました
収容人員5万人の東洋一のマンモス球場も2016年8月1日で92歳現存する最古の球場です。
太平洋戦争では空襲を受け炎上、1995年の阪神淡路大震災でスタンドはひび割れ被害
しかし、近くに流れる枝川と申川の良質な砂で支える甲子園の土台部分強かった!
「この地に甲子園が建てられたのは、野球の神様の思し召しだったのだろうか」
講座の受講生に「第43回全国高等学校野球大会」で優勝した浪商のファースト守っていた上記写真のOBと
やっぱりファーストを守っている野球が大好きでしょうがない小学生が仲良く並んでお話を聞いている光景が
なんだか妙に暖かく不思議? これも高校野球が繋ぐ魅力かな~
元新聞記者をなさっていた講師のお話はとても面白くてアットいうまの1時間半で最後のページになりました。
101年も長~く続く野球の魅力がよ~くわかりました次回を楽しみに待っています