私の田舎の家は丘の上にあった。いつも風が吹いており、丘の下の町に心地好いそよ風が吹いているとき、丘の上の家は強風に曝されているのだった。特に西風や北風は家を揺らすほど強烈だった。
東京に出てきてから初めて丘の上に住むことになった。やはりいつも風が吹いている。窓際のカーテンは満帆のごとくに風を孕んでいる。
爽昧からしばらく風は凪いでいる。やがて陽が昇り始めると、穏やかな爽涼たる風が吹き渡る。それはそう長くは続かない。太陽が中天に昇るにつれ、風も強さを増しはじめる。昼の最中には強風となる。夕刻が近づくと、再び涼やかな風となり、やがていっとき完全に凪ぐ。夜の帳が降りると、再び風が出て、今の時節では寒いくらいの風となる。
かつて何度も熱気球イベントを実施したことがある。熱気球は広いグランドを必要とする。競馬場の馬場内はもってこいのロケーションだ。しかし熱気球イベントは実施が難しい。
熱気球は早朝と夕刻、風の凪いだときが最も上げやすい。乗ってこれほど心地よい乗り物はない。日が昇り始めると、何もないグランドに風が起こり、時に強く吹き、熱気球は流され、横倒しにされる。そうなると上げることも困難となる。
太陽に温められた地表近くの空気が上昇し、そこにそれより冷たい重い空気が吹き込むのだ。何もない、広々としたグランドは風の通り道となる。熱気球イベントは中止を余儀なくされる。
「風がおこり、それはかけがえがない」…と書いたのは谷川俊太郎だった。本当に、風が起こったことは、かけがえがないことなのだ。
曖昧な記憶だが、「その丘には、いつも風が吹いていて、そこには失敗した冒険者の墓がある」…と書いたのは別役実だった。何という題名だったかは忘れたが、別役芝居の科白だった。
別役芝居には常田富士男という役者を欠かすわけにはいかない。怪優であり、名優であり、別役実の盟友なのであった。どこにでもいそうな平凡さゆえの圧倒的存在感と、強烈な個性を併せ持った役者である。市原悦子という女優も、この平凡さと強烈な個性を持った人だが、この二人が「まんが日本昔ばなし」をやっていたのだから、あれは何とも凄い優れたアニメ作品だったわけである。かつて城山三郎は、この「まんが日本昔ばなし」の放映を楽しみにし、絶賛していたものである。
「その丘には、いつも風が吹いていて、そこには失敗した冒険者の墓がある」は、当然常田富士夫の科白である。常田演ずるその男は黒ずくめの、まるでチャップリン然とした出で立ちである。その腕にはステッキではなく、黒い雨傘が掛けられている。
「私は、その丘に行っていたのです。ほら、これがその証拠です」と男は背広のポケットから、がさがさと枯葉を取り出すのである。
私はこの別役芝居を想い出すたびに、歴史学者の色川大吉がサクラメントで発見した「石坂公歴(まさつぐ)」の墓の逸話を想起してしまうのだ。石坂公歴が失敗した冒険者だったからである。彼の姉ミナは北村透谷の妻であり、透谷は公歴の親友だった。もう一人の親友であった大矢正夫らと自由民権運動から革命に夢中となり、大阪事件で脱落し、アメリカに逃げた。やがて帰国すると移民団を結成して再渡米したが、その夢は儚くも破れた。革命と自由を標榜した新聞を日本向けに出し続けるが、反応は全く起こらない。ついに公歴の音信も途絶える。また誰もが彼を忘れ去った。
年月が過ぎ、日米が戦争状態に入ると、アメリカの日本人は強制的に収容所に入れられる。ある日、マンザナ収容所でひとりの盲目の老人が死んだ。孤独な人で家族も友人もいなかった。名を石坂公歴といった。彼はどこかに、ひっそりと葬られた。
その丘には失敗した冒険者の墓があり、いつも風が吹いていて、秋になると、その小さな墓のあたりは枯葉が吹きだまり、墓を隠してしまうのだ。冬になって雪が降ると、そこには雪が吹きだまり、墓を隠してしまうのだ。
三多摩自由民権運動や北村透谷を研究していた色川大吉は、その雪の下に埋もれた小さな墓を掘り起こした。そして墓石に石坂公歴の名前を見つけた。その墓はサクラメントの丘の上にあった。
息を切らし、吹き出す汗を拭きながら、起伏に富んだ丘を上り下りして歩き回るうち、この地がかつては海底だったであろうと思われた。海底が隆起して陸地になったのである。最初の陸地は扁平だっただろう。やがてその陸地に海側から圧力がかかる。山側には強固な岩盤がある。こうして隆起し、褶曲した丘ができたのだろう。
この度の大地震で、海底が三十メートルズレ落ち、それに引っ張られて海岸沿いの陸地が七十センチ沈降したという。沈降した一帯はいまだに潮が引かないか、あるいは満潮時に潮に浸されてしまう状態なのだ。
日本列島弧は太平洋側から大陸に向かって移動してきたのだ。やがて日本列島弧は大陸側にくっつき、湖を生み出す。くっついた所から、マンモスも、それを追う人も列島弧に渡った。やがて大陥没が起こり、湖は日本海になった。東南アジアの巨大大陸も激しく動き、分裂していった。ひとつはオセアニア大陸になり、ニュージーランドになり、インドネシアになり、大陸にくっついた島はマレー半島を形成し、海に滑り落ち大陥没を繰り返した巨大な島は、大量の火山の島嶼群を作り出した。フィリピンである。大陸側も激しく隆起し、褶曲したヒマラヤの山脈を生み、雨や雪や氷や風に削られ、エベレストという高峰を形成した。
これらの形成には、数百万年、数千万年、数億年を要し、少しずつ、少しずつ、動き、その度に巨大地震と巨大津波を引き起こしたのだろう。しかも地球の芯は、まだどろどろに熱して動き続ける状態なのだ。
…小さな丘の上で、あれやこれや考えた。
(この一文は2,011年5月22日に書かれたものである。)