若槻泰雄という元玉川大学農学部教授の、日本語で書かれた著書のほとんどを愛読してきた。
彼は中国の青島に生まれ、近衛歩兵第八連隊に入隊。悲惨な引揚げも目撃して来た。復員後に東大法学部を出て、農林中央金庫、日本海外協会連合会(国際協力事業団)等を経て、玉川大学農学部の教授となった方である。
彼は少年時代に日本軍やその威を借る日本人の横暴や暴力を目撃してきた。外務省の外郭団体職員として、政府の棄民政策も目撃してきた。彼の中に、沸々と国家への怒りがこみ上げてくる。彼はそれらの体験を元に戦争、国家、天皇制に対する著述を始めた。
著書に「排日の歴史」「原始林の中の日本人」「シベリア捕虜収容所」「発展途上国への移住の研究」「韓国・朝鮮と日本人」「戦争引き揚げの記録」「ニッポン難民列島」「日本の戦争責任」「『在中二世』が見た日中戦争」「外務省が消した日本人」「バナナの経済学」などがある。おそらく憤怒が彼にこれらの著述をさせたものだろう。いずれも名著である。
以下は、美濃部達吉の天皇機関説排撃に乗じた陸軍が政府に圧力をかけ、「国体明徴に関する声明」を政府が発表した部分について触れたものである。
恭しく惟みるに、我が国体は、天孫降臨の際、下し賜える御神勅により昭示せらるる所にして、万世一系の 天皇、国を統治し給い、宝祚の隆(さかん)は天地(あめつち)とともに窮(きわまり)なし。されば憲法発布の御上諭に…
人間それ自体や、自分たちの種族・民族・さらには統治者の祖先が、天界から地上にやって来たのだ、というような神話や観念は世界各地に見られることでべつにめずらしいことではない。ただ日本が世界的にみてめずらしいのは、二十世紀も半ばにかかっている時代、しかも一応相当程度の文明に達した国が、こんな幼稚な神話を信じ、あるいは国家が国民に信じることを強制した、という点にある。
「日本の戦争責任 最後の戦争世代から」
大日本帝國憲法が発布された際、中江兆民は苦笑したという。こんなものより全国の民権家たちが草した私擬憲法のほうがよほど優れていたからだ。ベルツは日本の人々を気の毒に思ったという。大日本帝國憲法は「愚妹なる国民」が前提なのであった。
ちなみにベルツの前で、この憲法制定の責任者であった伊藤博文は、軍参謀総長に据えられた宮様のことを宮家に生まれるということは気の毒なことだと言い、操り人形の真似をして踊って見せた、とベルツの日記にある。