三浦鐵太郎は東洋経済新報社の主筆、専務として、日本の大国主義、軍備の拡張・軍事費の急拡大、帝国主義的拡張・大日本主義に真っ向から反対し、小国主義、小日本主義の論陣を張った。
「大日本主義か小日本主義か」
小日本主義は小軍備主義を意味す。何となればこの主義の眼目とする所は、内外に対する商工業の発展にありて、領土の拡張にあらず、ただ軍備に待つ所のものは、自国の絶対的平和と、対外貿易の安全とを擁護し得れば足り、このほかに何ら望む所なければなり。かくてこの主義の立場より観れば、軍備なるものは国民生活上むしろやむを得ざる必要に属し、決してこれによって国民の威厳を維持し、その福祉を増進せんとは願わず。これをもって軍費はこれを極度の小規模に維持するをもって理想とし、産業はいうに及ばず、思想、道徳、文芸、科学の向上を進歩を持って誇りとす。
東洋経済新報社は町田忠治(後に民政党総裁)が創立し、天野為之が活躍した。天野の教えを受けた植松孝昭、三浦鐵太郎の同期生らが編集、執筆し、植松が代表の時に片山潜を招き、その論陣は急進化していった。三浦は片山の強い影響を受け、後に新報社の経営を担当し、編集・主筆を石橋湛山に任せた。この植松、三浦の思想は石橋に引き継がれ、だいぶ後に武村正義に引き継がれている。
「大日本主義か小日本主義か」
小日本主義は小軍備主義を意味す。何となればこの主義の眼目とする所は、内外に対する商工業の発展にありて、領土の拡張にあらず、ただ軍備に待つ所のものは、自国の絶対的平和と、対外貿易の安全とを擁護し得れば足り、このほかに何ら望む所なければなり。かくてこの主義の立場より観れば、軍備なるものは国民生活上むしろやむを得ざる必要に属し、決してこれによって国民の威厳を維持し、その福祉を増進せんとは願わず。これをもって軍費はこれを極度の小規模に維持するをもって理想とし、産業はいうに及ばず、思想、道徳、文芸、科学の向上を進歩を持って誇りとす。
東洋経済新報社は町田忠治(後に民政党総裁)が創立し、天野為之が活躍した。天野の教えを受けた植松孝昭、三浦鐵太郎の同期生らが編集、執筆し、植松が代表の時に片山潜を招き、その論陣は急進化していった。三浦は片山の強い影響を受け、後に新報社の経営を担当し、編集・主筆を石橋湛山に任せた。この植松、三浦の思想は石橋に引き継がれ、だいぶ後に武村正義に引き継がれている。