ピート・ハミルの「新聞ジャーナリズム」(日経BP社2002年刊・武田徹訳)という古い本を読み直した。原題は NEWS IS A VERB である。「ニュースは動詞だ」の著者のピート・ハミルは新聞記者、作家で、夫人はジャーナリストの青木冨貴子である。
この本は2001. 9.11前に書かれている。9.11後、アメリカは激変し、ジャーナリズムも激変したらしい。また読んでいて改めて気付いたのだが、彼がこのエッセイを書く10年ほど前から、アメリカは「モンロー主義」的政策を取り始めていたように思われる。
イラクが隣国クウェートに侵攻、併合したおりに、父ブッシュが国連安保理の決議を得て多国籍軍をもってイラクに侵攻した湾岸戦争の際でも、大きな目で見ればアメリカの内向き、モンロー主義的傾向はあったように思えるのだ。
このモンロー主義的傾向は今も続いており、大統領選の民主・共和両党の候補者たちの外交政策は、その基底において内向きのモンロー主義なのである。したがって、誰が次の大統領になろうとも、中国の南沙、西沙諸島の埋め立て領有に手出しはするまい。もちろん東シナ海や尖閣で何があろうと、アメリカは当事国の冷静な対処を求めるだけだろう。
ちなみに先述の湾岸戦争に疑問を投げかけ、真摯な反対表明演説をしたアメリカの民主党員が一人だけいた。バーモント州選出の上院議員バーニー・サンダースである。この時、議場はガラガラだったそうである。つまり、当の民主党員たちでさえ、誰も耳を傾けようとはしなかったのである。しかしその演説は予言性に富み、感動的な内容であった。その後の事態も、その後の世界も、全て彼の危惧や指摘通りに推移したのである。彼は、独り正しかったのだ。それについては別に触れる。
さて、ピート・ハミルが記者のスタートを切ったのはタブロイド版の「ニューヨーク・ポスト」である。彼はその後「ニューヨーク・デイリーニューズ」「ニューヨーク・ニューズデイ」といずれもタブロイド紙の一線で記事を書き続けたという。当時の記者たちは今のように高学歴ではなく、破滅的な人生を送っていた記者や、豪快な生き様の記者たちがいたが、どの記者も記事作りには真剣であったらしい。みな「ニューヨーク・タイムズ」の5分の1の人員で、妥協もなく、タフでクールで、スタイリッシュな新聞作りを誇りにしていたという。
ハミルはうまい喩えをした。ニューヨーク・タイムズがクラシック音楽のニューヨーク・フィルハーモニーとすれば、タブロイド紙はジャズバンドで嬉々として演奏しているようだと。
みな自分たちが完璧な新聞を作ったことがないと自覚していた。しかし、彼らは「新聞の恥」になるようなことは決して書かなかった。彼らはライカやペンを、あたかも処罰の道具のようには使わなかった。決して凶悪犯や無骨者のようにふるまわず、スマートに取材する方法を知っていた。だから、現在のように、タブロイド紙が蔑称のように使われることに隔世の感を覚えるという。
ニューヨーク・ポスト紙のマレー・ケンプトンは、いつもタブロイド紙記者や編集者たちの中心にいた。そのため、みな品性を持っていた。ケンプトンは「まるで編集室にヘンリー・ジェイムズ(作家)がいるようなものだった」という。
ケンプトンは「自分の視点をしっかりと持って世界を見ることができ」、ニュースエディターからコピーボーイに至るまで、全ての者に話しかけ、その態度はいつも民主的で、人をわくわくさせ驚かせる話に満ち、「強盗だってできる豪胆さ」と、「聖人のごとき優美さ」を持っていた。
また、ニューヨークの一流日刊紙が初めて雇った黒人記者デッド・ポストンは、最も黒人差別の激しい南部諸州に、たった一人で何度も足を運び、 KKKに追いかけ回され、危険にさらされながら取材を続けていたという。
ポストンが若いハミルに言った。「世界中で、これほど素晴らしい仕事はない」「どんな政府よりも多くの人間を助けることができる。だからこそ新聞の名誉を汚すようなことはしてはならないんだ。わかるかい?」
テッド・ポストンは誇り高く、愉快な人だったらしい。しかし彼がダイアナ妃やマドンナの恋人をつきとめるために、真夜中の通りをうろつくような姿は想像できず、当然政府・行政や大企業の広報が流す発表をそのまま記事にするようなことは決してせず、また被害者に無思慮にカメラを向けるようなことや、おセンチな記事を書くこともしなかった。いつも真摯に人々の助けになりたいと考え、「愚かな政府よりも自分の方がずっと多くの正義をなしている」ことを誇りに思っていたという。
ハミルは言う。…今や新聞は鵺のようなメディア企業グループや、新聞経営にはド素人の企業家が掌中に収めている。彼らはシリアル食品や不動産、駐車場などの他業界の経営術が、そのまま問題なく新聞にも適用できると信じている。彼ら発行人は、MBA取得者に編集室における権限を与えた。記者経験のない MBA取得者たちは、世論調査とサンプリング抽出インタビュー法による調査に頼りつつ、「新聞のようなもの」を作る。「読者中心のジャーナリズム」を標榜し、愚かにも長期的な成長の芽を摘み取る、孤高を保っている例はわずかとなり、多くの新聞は愚かさへと至る道を歩んでいる、とハミルは嘆く。この他業種から来た新聞経営者たちが言う。調査報道はテレビからも消えた、テレビもやめた調査報道を何で新聞がやらなくてはいけないのだ…。ハミルの深い溜息が聞こえるようである。
日本の場合、さらに悪いことに、政府官邸に餌付けされ、ジャーナリズムの魂を捨て、政財界の権力に媚び、その広報機関、翼賛系新聞となる。
扇情的なだけの記事、噂のレベルに過ぎない情報、誰かの宣伝に利用されている記事…。
こうしてハミルのエッセイの中に「ドナルド・トランプ」の名前が登場する。以下長いが引用する。
新聞業界に携わる人々は、一部の有名人が名前を売るのに躍起になっていることを他の業種の人たちよりよく知っているはずなのに、すぐにでも記事にできそうな電話がかかってくると、まんまとそれに乗ってしまう。そんな報道の典型が、ニューヨークの不動産会社経営者、ドナルド・トランプの誇大妄想から生まれたものだ。…だがトランプはスポットライトを浴びた。それを望んですらいたのだ。トランプのモットーはさしずめ「我、書かれる。ゆえに我あり」といったところだろう。トランプはゴシップを書き立てるコラムニストや記者に自ら電話をかけ、自分の人生の「真相」や「素晴らしい」性生活、唐突な離婚について話題を提供する。新聞は「トランプ氏の近い関係筋より」と添えて、記事の信頼性を印象づけようとする。しかし他紙のニュースエディターはネタ元が、他でもない、トランプ自身の言葉だとわかっている。記事はトランプと記者の深い協力関係の賜である。「関係者筋より」の表記は、この場合、読者だけに真相が分からない暗号のようなものだ。トランプはある意味で特殊な才能を持っていたといえよう。自分を売り込み、功績を膨らませて吹聴し、時には本当の功績にしてしまうことにかけては彼は天才だ。今やトランプ自身が作り上げた架空人物を中心に世界は回っている。
トランプが大統領になったら、日本は困るだろう。彼はアメリカ軍の駐留費用の全てを日本に要求するだろう。韓国も要求されるだろう。日本国内(ほとんど沖縄だが)にアメリカ軍が駐留しているという有効な「ブレゼンス料」であって、有事の際はお前たちが血を流せ、お前たち他国のためにアメリカ人の血を流すわけにはいかないと言うだろう。
トランプは TPPにも反対する。もっとアメリカの雇用に役立つものにしろ。他国の雇用などどうでもいい。アメリカの雇用を増大させない協定なら反対だ。 TPPでアメリカの雇用増大をというのはオバマと同じだ。クリントンの反対理由は分からない。サンダースの、「グローバル大企業を利するためだけの協定であり、どこの国の人々にとっても不公正で貧富の差を拡大させるだけだろう。だから反対」に、アメリカの若者たちが熱狂するはずである。
とまれ、ハミルの「NEWS IS A VERB」は現在の「新聞ジャーナリズム」に対する強烈な警告、あるいは鎮魂歌である。これはそのまま、日本のジャーナリズムの鎮魂歌ともなろう。改めて読み返すとなかなか面白い本だったのである。