詩人の八木重吉に、確かこんな詩があった。「私の間違いだった。私の間違いだった。草に座るとそれがわかる。」
童話や寓話は単純化しなければならない。単純化すると見えることもある。
昨日、100人で100のモノを作り、全てが売れて10の純利が出た。
今日も100人で105のモノを作り、全部売れて10.5の利益を出す。これが経済成長するっていうことだ。
明日も110.25のモノを作り全部売って11.025の利益を出すのが目標だ。…しかし高齢化がすすみ、子どもも減り、95人で目標の数のモノを作る。人口が減った分、消費も減り95しか売れなかった。純利は9.5を確保したが、在庫が15.25になり、結局▲5.75の赤字が出た。
人口が95人に減ったら、95のモノを作り、9.5の純利を確保する。…
これが「パパラギ」の酋長ツイアビの教え、ダグラス・ラミスの「経済成長がなければ私たちはゆたかになれないのだろうか」というタイタニック現実主義への警告。
そしてまだ読んでいないが、五木寛之の「下山の思想」、平田オリザの近著のタイトル「下り坂をそろそろと下る」からイメージしたこと。