だいぶ以前に読んだ本を引っ張り出して読み直している。書籍の題名と著者名、出版社名以外はほとんど失念しているので、新に読むのと同じである。
その一冊は「ドイツ戦争責任論争」で、今から17、8年ほど前に、未来社から出版された。
著者はヴォルフガング・ヴィッパーマンという方で、当時ベルリン自由大学の近現代史の教授であった。ヴィッパーマンの関心領域は現代政治と歴史政策、ファシズム論、ボナパルティズム論、第三帝国におけるユダヤとシンティ・ロマの迫害問題、ドイツ・ポーランド関係などである。
ボナパルティズムは今も研究の対象となりうるのかとも思うが、要は現代のフランス人の中に残る憧憬であり、いつでも現代政治にすら影響を与えかねないものなのだろう。ボナパルティズムは王政の復古でもなくフランス革命の革命性を支持しつつも、ジャコバン派のロペスピエールのような恐怖政治は忌避し、まるで新王政のような英雄(皇帝ナポレオン1世)及びその家系を支持し、彼らの中央集権的独裁制をよしとしたものである。その支持者たちは公・国家への奉仕、自己犠牲、社会への忠誠をよしとした。この「公・国家への奉仕、自己犠牲、社会への忠誠」が曲者なのである。いま日本の自民党が憲法に明記したいのがこれである。
ポナパルティズムはさほど大昔ではない18、9世紀の歴史上に登場した英雄的家系への反動的あるいは盲目的な憧憬であろう。これに似たようなエスタブリッシュ家系への憧憬がアメリカにもあるのではないか。例えばケネディ家、ブッシュ家など…。
さて、ヴィッパーマンは1990年のドイツ再統一後のドイツ国民の政治意識の変化や、96年にアメリカの政治学者ダニエル・ゴールドハーゲンの「ヒトラーの意に喜んで従った死刑執行人たち」が、ドイツの歴史学と歴史政策に混乱と退化を引き起こしたことを批判的に整理した。ドイツ国民の歴史へ想いや変化、退化現象は、歴史家論争からゴールドハーゲン論争へと続いて、実は今日も続いているのである。
さらに今日、欧州に、ドイツに流入した多くのシリア難民、アフガン難民たちと、イスラム国のテロの脅威と憎悪は、ドイツや欧州に、より危険な情況を生み出しているのではなかろうか。それは歴史修正主義がもたらす歴史政策、とりもなおさず現代の政治と政策への歪んだ反映である。
ヴィッパーマンが「ドイツ戦争責任論争」で扱っているのは歴史学と歴史政策の退化と論争と、「歴史政策」についてである。歴史政策は歴史学と対極にあるという。
歴史学は可能な限り客観的な歴史の描写であるに対し、歴史政策は歴史を材料に政治を行うことである。この歴史政策は戦後ドイツにおいてはナチズムに集中されている。なぜならナチズムは「過ぎ去ろうとしない過去」だからだ。「過去は現在と切り放せない。現代政治の問題が過去の歴史像に影響を与え、過去は現在の政治を規定している。」
何が退化なのか。今や、ナチズムの過去の影から抜け出し、この恐るべき過去を「相対化」する試みが積み重ねられる。それは直接あるいは間接的に行われた。ナチズムの過去を直接的に相対化するためにどのような議論が出されたか。
強制収容所ないしナチズムの犯罪の象徴となっている絶滅収容所アウシュヴィッツの否定である。アメリカの電気工学の教授、元親衛隊長、アマチュア歴史家、当時のガス室や死刑用具の製造業者、引退した財務判事、自称歴史家たち…彼らは、アウシュヴィッツでも他の収容所でも大量虐殺は全く行われなかったと主張した。またガス室は存在しなかったか、機能しなかったと主張した。
それに反する事実を証明する資料は、ユダヤによる捏造と主張された。戦争責任の嘘も主張された。
「ヒトラーはソ連を攻撃したのではなく、直前に迫ったスターリンの攻撃に対して機先を制しただけの予防戦争なのである。」
「ルーズベルトはチェコスロバキアの政治家たちを唆し、ズデーデン・ドイツ人たちを弾圧するよう勧め、ポーランドもドイツへの攻撃を準備していた。」…
読むうちに実に暗然たる気分になるが、歴史修正主義はどこにでもあるのである。この「アウシュヴィッツの大量虐殺はなかった」「嘘・捏造」論に象徴される歴史修正主義を、ヴィッパーマンは「もっとも拙劣かつ卑劣」と断じている。
ナチズムの歴史を真面目に再検討しようとした80年代の成果を、すべて無に帰せしめようとしているからである。
ドイツは「全体主義的な独裁制だったのか?」と懐疑的テーゼを示し、矮小な比較でドイツの全体主義をも矮小化するのである。
またドイツの地理的位置を考慮すれば、ドイツは悲劇的な中間位置にあり、ドイツへの非難は免責されるべきものである云々…。「強いられた戦争」であり、それを考慮すルことで正当化できる行動だった云々…。またナチスドイツの戦争で開発された技術は、近代化にとって「いい面もあった」云々…。そして、ドイツ人は「ユダヤ人死刑執行人」ではなく「自信に満ちた国民」だったのであり、その正しいドイツの歴史を伝えることによって「自信に満ちた国民」を取り戻そうというのである。
もう一冊は、マックス・ピカートが1946年に書いた「われわれ自身の中のヒトラー」で、みすず書房から1965年に刊行された本である。奥付には著者(訳者・佐野利勝)検印の小さなシールと、朱肉の滲みを防ぐパラフィン紙が貼られている。内容はまさに書名の通りである。
ちなみに私は以前、競馬エッセイ「競馬から見えたこと」の冒頭に、マックス・ピカートの「神よりの逃走」を引用したことがある。
「人間は、もっぱら逃走に参加するその程度に応じて存在しているに過ぎない。ひとりの人間が生きている…そして彼は生きているというそのことによって逃走している。生きるということと逃走しているということが一つになっているのだ」
さて、われわれ(国民、市民)の営みがヒトラーの出現を準備するのである。ナチ現象とはどういう相貌をしていたのか、記憶を喪失し、刹那的で、発展なき人間…なのである。
「現代のデモクラシーのなかでは、権力者の座にすわり独裁制を確立することのできる人間は笊ですくうほどある、とソレルが言っている。まつたくその通りである。しかし、そのようなことがおよそ可能なのは、ただ、現代社会では誰もが無目的にどんなところへでもつるつると滑ってゆくからなのだ。かくて誰かがたまたま国家権力へと滑り寄る。当人自身がまったく無自覚に国家権力へと滑り寄ることさえしばしばある。」
このピカートの「われわれ自身の中のヒトラー」は、また稿を改めて続けたい。