川上音二郎から添田啞蝉坊の演歌の流れを書いてみた。
自由民権運動の時代、青年・音二郎は「自由童子」として政権批判の演説に駆け回った。政治批判演説が禁止されると、寄席でフランス革命をタネとした政治講談をやり、やがて大阪で歌舞伎役者に弟子入りした。さらに改良演劇と称した芝居一座を組み「壮士芝居」を始めた。自由民権思想をより多くの大衆にわかりやすく広めるためである。
絵本の桃太郎のような奇妙な出で立ちで、板垣遭難記、佐賀暴動記など、生々しい事件も取り上げたが、ほとんど珍奇なお笑いショーに近かった。音二郎は壮士芝居の中で歌を歌い出した。
オッペケペ、オッペケペッポー、ペッポーポー
…
権利幸福嫌いな人に
自由湯をば飲ませたい
オッペケペ、オッペケペッポー、ペッポーポー
…
いきな束髪、ボンネット
貴女に紳士のいでたちで
うわべの飾りは立派だが
政治の思想が欠乏だ
天地の思想がわからない
心に自由のたねをまけ
オッペケペ、オッペケペッポー、ペッポーポー
不景気きわまる今日に
細民困窮かえりみず
目深にかぶった高帽子
金の指輪に金時計
権門貴顕にひざをまげ
芸者たいこに金をまき
内には米を倉につみ
同胞兄弟殺す気か
オッペケペ、オッペケペッポー、ペッポーポー
啞蝉坊の演歌は堺利彦や西川光二郎らと出会ってから変化し、社会問題を歌うようになった。堺や西川らの演説会に警官たちが「演説中止!」を告げると、啞蝉坊らは「では演説をやめて歌を歌いましょう」とやり、これが受けた。さらに啞蝉坊の演歌には剽軽さと哀調を帯びた芸術味が加わり始めた。「まっくろけ節」は芸術的である。
米で鳴る 陸奥に生まれて 食えぬとは
嘘のようだが 来てみやれ
炒り藁松葉餅 まっくろけのけ ホレまっくろけのけ
雨が漏る 雨が漏る漏る美術館
汚点(しみ)が画になる その汚点が
職工の涙よ まっくろけのけ ホレまっくろけのけ
金ほしや お金ほしやの空想の
果ては足尾の銅山に
カネを掘る掘る まっくろけのけ ホレまっくろけのけ
進みゆく 文明の光か瓦斯燈か
夜を昼にする工夫さん
おまえはいつでも まっくろけのけ ホレまっくろけのけ
労働者 下司よ下郎とバカにされ
それが開化か文明か
労働者がなけりゃ世は まっくろけのけ ホレまっくろけのけ
川上音二郎の「オッペケベ節」を借りて作詞してみた。
薩長藩閥とくせん倒し
文明開化の幕開けが
古代の昔に逆戻り
王政復古に祭政一致
水干直垂平安烏帽子
太政官と神祇官
不平等条約改正できず
異国衣装で鹿鳴館
オッペケペ、オッペケペッポー、ペッペッポー
富国強兵に邁進し
演説中止に発禁発禁
統帥権に陶酔軍人やりたい放題
ここが日本の生命線と
どんどん外地にせせり出て
多くの外地を苦しめた
長い戦に明け暮れて
叩き潰されすべてを失くし
オッペケペ、オッペケペッポー、ペッペッポー
多くの同胞犠牲にし
得たのが平和な憲法だ
薩長藩閥やしゃ孫どもが
再び古代の昔に憧れて
国民主権は制限付きで
平和な憲法捨て去って
自由言論政権批判は許さない
美しい国を目指すとさ
オッペケペ、オッペケペッポー、ペッペッポー
それでは「まっくろけ節」に最後はオッペケペで…
甘利明先生の歌
〽TPP、TPP アメリカ様の要求は すべてOK TPP
合意内容はまっくろけのけ ホレまっくろけのけ
あたしゃそれよりUR なんとかもっと金を出せ
おれの顔立て金を出せ それで合意だUR
甘い利得だ議員先生の特権だ 斡旋利得だ甘利さん
ホレまっくろけのけ~で オッペケペー オッペケペッポー
ペッポッポー
山田俊男先生の歌
〽TPP、TPP 選挙のときは反対だ 選挙のために反対だ
だけど当選万歳だ ホレ万歳だ
総理もTPP推進だ だからあたしも推進だ
文句あんのか百姓め あたしに文句を言う奴は
本当に殴るぞ百姓め ボディブローだアッパーだ
ホレまっくろけのけ~で オッペケペー オッペケペッポー
ペッポッポー
菅原一秀先生の歌
〽女はね女はね 25過ぎたら女じゃない 俺の定義は厳しいの
女はね女はね 子ども産んだら女じゃない
保育園落ちても俺知らねえ 日本死んでも俺知らねえ
それより国会休みたい 国会なんか俺知らねえ
嘘の休暇を届け出て 愛人連れてハワイ旅行
ホレまっくろけのけ~で オッペケペー オッペケペッポー
ペッポッポー