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エーデルワイス①

2017-06-26 11:11:08 | お話
🍰🍰エーデルワイス🍰🍰①(全④回)

(エーデルワイス 比屋根 毅さん、ムッシュマキノ牧野眞一さん対談より)


🔸牧野、比屋根会長とこうして改まって語り合うことは滅多にないから、少々緊張しています。

私は、お菓子のことしか知りませんから、失礼なことを言うかもしれませんので…(笑)。

🔹比屋根、あはは。

そんなに肩肘を張らなくても、昔話でもするつもりで…。

君がエーデルワイスに入社してきたのはら何歳の頃だったかな。

🔸牧野、23歳でした。

その頃は会長もまだ現役でバリバリやっていらっしゃって、

こうして親しく言葉を交わすこともかないませんでしたけれども。

🔹比屋根、だけど、あなたも今では立派なオーナーシェフで、

あなたの立ち上げた "ムッシュマキノ" は、もう関西では知らない人がいない一流洋菓子店ですよ。

僕のところから独立したのは確か… 。

🔸牧野、42歳の時です。

独立させていただいて、もう20年以上になりますけど、

いまでもこうしてお声を掛けていただけるから幸せです。

私は、いまだに会長のところの社員のつもりでいますから。

🔹比屋根、独立して行った人から、僕の会社を我が家みたいに思ってもらえるのは嬉しい限りですよ。


🔸牧野、会長会長に初めてお目にかかった頃のことは、今でもよく覚えています。

会長は洋菓子のコンテストでも10回くらい連続優勝なさっていた第一人者でしょう。

それほどの方から、いきなり声を掛けられたのでビックリしました。

なんで私に? って(笑)。

🔹比屋根、コンテストや講習会の会場で、目の鋭い、すごくいい感性を持った子がおるなというのが僕の第一印象でね。

こう言っては今のあなたには失礼だけど、つくっているものは、まだ大したことはなかった。

けれどもセンスというのかな、

なかなか非凡なものが随所に垣間見えて、

この子はうまく育てたら大変な技術者になるなと思ったんです。

それで

「うちへ来てしっかり勉強したらどうだ」

と声を掛けたら、

すぐ飛んできたね。

🔸牧野、その時は他のお店でお世話になっていましたけど、迷いはありませんでした。

会長の持っていらっしゃるものはすべて吸収したいと思いましたから。

私は小さい頃から家庭に恵まれず、衣食住に飢えていたので、

とにかく早く学校を出て食べ物屋さんに入りたいと願っていました。

それでパン屋さんもいろいろ考えたんですけど、

ケーキはあの当時まだ珍しくて、貧乏人の自分でも職人になれば食べられるんじゃないかなと。

洋菓子の世界に入ったきっかけは、ただそれだけでしたけど、

比屋根会長と出会ったことで、私の人生は一変しました。


🔸牧野、だけど、比屋根会長のところは、それまでの職場とは全然環境が違っていましたね。

その当時からエーデルワイスというのは1つの軍団で、

経験別のコンテストでも全クラスで優勝さらっていたでしょう。

🔹比屋根、何度も完全制覇しました。

僕は10連勝した後、もうこれ以上出ないでくれと言われたものだから、

今度は後を託したうちの子たちがずっと優勝を続けていた。

その頃の弟子たちがいま、業界はトップに立って頑張ってくれているんです。

🔸牧野、私もそこそこ自信があって、あの軍団を打ち破るのは俺しかおらんやろ、と思って励んでいました(笑)。

でも実際にエーデルワイスに入ってみると、

各クラス10人ずつ、全部で30人ぐらい腕のいい若手が鎬(しのぎ)を削って、

その中で戦っていくわけですから大変でした。

🔹比屋根、一流揃いだから、いいと思う作品をつくってもそれほど目立たない。

ショックを受けて、もっと勉強しなしなければアカンなと気づいたろうね。

🔸牧野、いまでも鮮明に覚えていますが、いくらいい作品をつくっても、会長にポンと潰されてしまう。

何も言わずにね(笑)。

すぐにつくり直して、今度は大丈夫やろと思って持っていくんだけど、また潰される。

よそ予に持っていったら充分通用するレベルでしたけど、

会長は許してくださいませんでした。

🔹比屋根、コンテストに出るには、まず社内で勝ち残らなければいかんから、深刻だったろうね。

🔸牧野、後で分かったんですけど、去年つくったものは今年は絶対につくったらあかん、

二番煎じはダメだというのが会長の持論ですよね。

人の真似をするなら、オリジナリティーがないとあかん、

仮にそれで賞を逃すようなことがあっても構わん。

これまでの歴史や伝統が途絶えてもいいから、

新しいものをつくりなさいと。

いままでつくり上げてきたもの全部捨てて、

全く違うところからスタートしなければいけないわけですから、あれは強烈でした。


🔹比屋根、可哀想だと思うのは当然ある。

しかし、もっともっと伸びてほしいから、中途半端なレベルで認めるわけにはいかない。

そこで泣いて辞める者もたくさんおったけどね。


🔸牧野、いましたね。

🔹比屋根、本人にしてみたら、丹精を込めてつくり上げた絶対の自信作が、

ひと言の評価もなくバッと潰されるんだから、たまらないだろうな。

🔸牧野、1日、2日でできるものじゃありませんからね。

毎日仕事もしっかりこなしながら、睡眠時間を2、3時間くらいまで削って、

大体40日くらいかけてつくり上げていくわけでしょう。

やっとできあがっても一瞬でバーンだから、「ええっ!」と(笑)。

私も若い頃はショックでした。

それでも私が辞めなかったのは、そこでまたやり直すことで、

自分をもっと伸ばせることを学ばせていただいたからです。

そもそも、自分はもう会長のことを師と仰いでいるわけですから、

その師から「ダメや!」と言われたら、

やっぱりそれはダメなんですわ。


🔹比屋根、そういう素直さがないと、人間伸びないね。

素直さと根気、そして「こん畜生!」という思いが自分を高めるんじゃないかな。

これでいいやと妥協したら、もうそこで終わりですよ。

逆に、ダメ出しされても「こん畜生!」と発憤して、

魂のこもった作品をつくり上げたら、僕はものすごく褒めてあげる。

やれるじゃないかと。

これで自信を持って、しかし驕らずに、もっともっと頑張りなさいと。

そういうことを繰り返してコンテストで日本一になる頃には、

もう親子以上に深い繋がりができているから、

お互いに肩を抱き合い、涙を流しながら喜びを分かち合えるんです。

あの苦労があったから日本一になれたんやでと。

その度に、やっぱり厳しく教えてきてよかったなぁと実感するんですよ。


(つづく)


(「致知」7月号、比屋根 毅さん牧野眞一さん対談より)