大阪東教会礼拝説教ブログ

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マルコによる福音書第1章16~20節

2022-01-02 15:41:46 | マルコによる福音書

2022年1月2日大阪東教会主日礼拝説教「キリストについて行く」吉浦玲子 

 新しい年が始まりました。新しい年に新しく連続講解説教を始めたいと思います。昨年のクリスマス礼拝に続きまして、マルコによる福音書を共に読んでいきたいと考えています。マルコによる福音書は福音書の中でもっとも成立が古いと考えられています。そして著者は12弟子の一人であるペトロの通訳をしていたマルコと考えられていましたが、当時、マルコという名前自体ありふれた名前であり、実際にペトロの通訳であったマルコが著者であるのかどうかは確定はできないようです。また、以前、使徒言行録を読みました時、その中に書かれていた話にマルコという青年が出てきました。彼は、パウロたちと一緒に宣教旅行に行ったのですが、どういう理由か分かりませんが、旅行の途中でマルコは離脱して帰ってしまうということがあったようです。その次の宣教旅行に行く際、パウロは前回途中で離脱したようなマルコなどを連れて行くわけにはいかないと言ったのに対し、それまでパウロと共に宣教旅行をしていたバルナバは、マルコを連れて行くべしと主張し、そのことが契機で、パウロとバルナバは別行動をとるようになりました。エルサレムで孤立していたパウロに親切にし、さらに伝道者としてのパウロの才覚を見いだしたのがバルナバでした。そのバルナバとパウロを対立させ、分裂させたマルコですが、新約聖書の書簡には何か所かマルコという名前がでてきます。ペトロやパウロから信頼されていた人物として出て来るのです。そこから、マルコは、のちにペトロのみならずパウロにも認められる宣教者に成長したのだと推測する人がいます。さらにはそのマルコはペトロから聞いた話をもとに福音書まで作成したのだという説があります。それははっきりとは分からないことです。しかし、そうでありますならば、たいへん美しい話でして、一時はパウロから宣教者として失格の烙印を押された青年マルコがやがて宣教者として成長し、ついには最初の福音書まで書いたということになります。神の特別な導きがマルコの上にあったということです。 

 そのあたりは確定はできませんが、ひとつはっきりしていますことは、主イエスを直接目撃した弟子たちの後の世代の宣教者が育ち、福音書として主イエスの物語を書いたということです。福音書より前に、パウロの書簡は信仰の手引きとして諸教会で大事にされていました。そしてまた、おそらく主イエスのお言葉やなさったことの伝承も伝えられていた思われます。しかし、信仰の広がりと信仰者の世代交代の中で、文書という形で、主イエスの出来事がまとめられたほうが良いと考えられたのです。そして、その文書がさらに後の世代に手渡された、その文書の最初がマルコによる福音書でした。2000年を経て、私たちが今、手に取っている書物は、主イエスを目撃した人々、そしてその目撃者の言葉を聞いた人々の熱い信仰の証しです。聖霊によって語らずにはいられなかった人々、聖霊によって文字として書き残さずにはいられなかった人々があった、その結果、福音書という文書はできたのです。 

 ひるがえって、私たちは、それぞれ信仰の証を記した文章を残すことはあるかもしれません。しかし、まとまった形での信仰書を記す人はほとんどおられないのではないかと思います。でも私たちも私たちなりのあり方で信仰を後の世代に手渡していきます。私たちが神から与えられた信仰は、伝えていくべきもの、手渡していくべきものだからです。いま、「べき」という言葉を敢えて使いましたが、それは強制された義務のようなものではありません。神によって与えられた信仰の命の息吹はおのずと誰かに伝わるものなのです。燭台のともし火をテーブルの上に置きなさいと聖書には記されています。燭台のともしびは隠されてはいないのです。テーブルの上で光を放っているのです。そしてその光は小さな窓から外へと漏れるのです。その光は誰かの目に留まるのです。神が目に留まるようにしてくださるのです。そして伝えられていくのです。 

 その信仰のともし火が最初に灯された出来事が今日の聖書箇所です。その後2000年に渡ってその灯は伝えられてきました。私たちにも灯されました。今日の聖書箇所には主イエスの最初の弟子たちは漁師であったことが記されています。シモンとシモンの兄弟アンデレという名前が出てきます。シモンとはペトロのことです。そしてまたゼベダイの子ヤコブとヨハネの名前もあります。やがて彼らは弟子たちの中でも中心的な存在となります。別の福音書を見ますと、ペトロとアンデレはもともとは洗礼者ヨハネの弟子だったと記されています。洗礼者ヨハネの言葉を聞いてアンデレが弟子となり、そののちペトロを主イエスのもとに連れていったと記されています。福音書間でペトロたちが弟子になった経緯の記述が異なるのですが、それは福音書の著者が何を伝えようとしたのかというポイントが異なるからです。 

 マルコによる福音書の記述はいたってシンプルです。主イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられた。日本のように水が豊かではないイスラエルにあって、ガリラヤ湖周辺は自然が豊かで美しいところです。ガリラヤ湖は琵琶湖の半分ほどの大きさで、魚のよく獲れるところであったようです。現代のガリラヤ湖周辺の写真を見ても、漁師たちの姿があります。おそらく漁は夜に行い、その後、網の手入れをしている朝のことでしょう。網を打っているアンデレを主イエスはご覧になりました。アンデレたちは、当時のイスラエルの家庭でごく普通に信仰教育を受けたユダヤ教徒であり、さらには、洗礼者ヨハネのもとで求道していた熱心な信仰者であったと言えるかもしれません。しかし、主イエスがご覧になったのは「網を打っている」ところでした。熱心に聖書を学んでいる姿でも、祈りを捧げているところでもありませんでした。網を打つという彼らにとってなりわいである行為、ごく日常の姿を主イエスはご覧になったのです。漁のあとの作業には疲れもあったでしょう。しかしそれをやらないことには、次にまた漁に出ることはできないのです。聖書を読みますと、ペトロには配偶者がいたようです。漁をして家族を支えなければならなかったのです。そんな彼らの当たり前の日常を主イエスはご覧になりました。そしておっしゃったのです。 

 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」 

 有名な言葉です。これからあなたたちは魚をとるのではなく人間をとるのだ。「人間をとる」という言葉に少し抵抗を感じられる人もあるかもしれません。魚はとられたあと、食べられます。死ぬのです。とられた人間はどうなるのでしょうか?生かされるのです。それも生き生きとした希望に生かされるのです。先日まで共に読んでいましたペトロの手紙Ⅰの1章で「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」られたと語られています。その生き生きとした希望はまず最初の弟子となったペトロたちに与えられました。そしてまた彼らが人間をとる漁師としてとった人間にも、生き生きとした希望が与えられたのです。 

 その希望は、ただキリストによって与えられました。キリストの方から人間へと向かって来られ、一人一人をご覧になって、キリストご自身がひとりひとりをとってくださいました。親がクリスチャンで、気がつくと教会に行っていた人もあるでしょう。様々な経緯で教会に初めて来られた方もあるでしょう。私は自分で教会に行こうと決めて、あらかじめ教会のことをいろいろ調べて教会に行きました。自分の意思で行ったのです。しかしどのような場合でも、実際のところは、キリストがつかまえてくださったのです。キリストがとってくださったのです。私たち一人一人も、それぞれの漁の網を打っているところから、とられたのです。私たちそれぞれの日常のなか、生きているただなかにキリストが来てくださったのです。そして「わたしについて来なさい」と声をかけてくださったのです。私たちもまたペトロたちと同様、キリストについて来ました。実際のところは、キリストと違う道を歩いたり、キリストについていくのではなくキリストの前に出て、勝手に先を歩いたりしたかもしれません。ペトロたちもまた、忠実にキリストについていったわけではありませんでした。彼らはキリストと共に過ごした三年半の間、まったく主イエスのことがわかっていませんでした。ペトロは、ある時はキリストに向かって、いさめるようなことを申し上げて主イエスから「サタン、退け」とまで言われています。そして最後の最後の十字架のときには、弟子たちは皆逃げてしまいました。彼らは十字架にまで、ついて行けなかったのです。 

 「ついて来なさい」とおっしゃった主イエスは、弟子たちが皆ご自分のことを分かっていないことがよく分かっておいででした。そして何より、弟子たちが決してついて来ることのできない場所があることもご存知でした。十字架は主イエスだけが向かわれる場所でした。神であり人間であるお方しか十字架において罪の贖いはできなかったからです。ただお一人だけで行かれる場所へと、主イエスは地上での生涯をかけて歩まれました。その最後の場所まで共に行けないことはご存知の上で、主イエスはおっしゃったのです。・ 

 「わたしについて来なさい」 

 しかし、キリストの十字架の御業は成就しました。弟子たちが逃げ、キリストお一人で成し遂げてくださいました。そしてキリストは私たちのところまでやってきてくださいました。そして私たちの日々のすべてをご存知の上で、わたしについて来なさいとおっしゃってくださいました。だからついて行くのです。 

 18節「二人はすぐに網を捨てて従った」とあります。アンデレとシモン・ペトロは大事な網を捨ててすぐさま従ったのです。かつて最初のクリスマスの時、羊飼いたちがすぐにベツレヘムへ向かったように。20節ではヤコブとヨハネもまたすぐに従ったことが書かれています。20節「父ゼベダイと雇人たちを舟に残し」従ったとあります。キリストについて行くというのは、すべてを捨てて従わなければならないのかと思われるかもしれません。キリストに従うというのは、ある意味、たしかにそういうことなのです。キリストに従うとき、これまでの価値観や優先順位のままで生きていくことはできないのです。しかしそれは実際に、職業を変えたり、家族を捨てたりしないといけないということではありません。キリストを第一として生きていく、それがキリストについて行くということです。あれも大事、これも大事、その大事なことの中の一つにキリストがあるということではなく、キリストを第一として生きていくこと言うことです。不思議なことに、キリストを第一として生きていくとき、あの大事なことも、この大事なことも、整えられていくのです。あれも大事でこれも大事で、キリストには余裕のある時従おうということでは、あれやこれやの中に人生は埋没してしまうのです。そしてあれやこれやのことへの思い煩いの中に生きていくことになります。 

 新しい年、私たちはキリストについて行きます。キリストについて行くことの第一は、礼拝です。私たちは今年も週の初めに礼拝をお捧げして生きていきます。週の最初にキリストについて行くのです。かつて弟子たちは十字架までついて行けませんでした。しかし、今や私たちはどこまでもキリストについて行くのです。その道は御国へと続いています。希望の歩み、喜びの歩みです。新しい命にあふれた歩みです。一歩一歩をキリストが守ってくださいます。