2020年11月1日大阪東教会主日礼拝説教「信仰の門を開く」吉浦玲子
【聖書】
二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、
ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。
【説教】
<神が養われる群れ>
パウロたちは、各地に教会を立てながら、そして弟子たちを生み出しながら宣教旅行を続けました。これはパウロの第一回目の宣教旅行でした。その旅行を終え、彼らはシリア州のアンティオキアに帰っていきます。今回の宣教旅行の最後の宣教地テルベからシリア州のアンティオキアに戻るには陸路を東に向かうこともできるのですが、彼らは敢えて、これまで来た道を逆に戻っていきました。これは地図を見ましても遠回りであるようです。リストラ、イコニオン、ビシティア州のアンティオキアと西へ向かい、そこから南へとむかい、船でシリア州のアンティオキアに戻りました。
彼らはこれまで、宣教してきたそれぞれの町で迫害を受けました。石を投げられるといった命をも狙われることがあったにもかかわらず、パウロたちはそれらの町をたどり、ふたたび訪問しました。
その町々には、パウロたちの言葉を聞き、福音を信じるようになった人々が残っていました。激しい迫害にも関わらず、そしてまた最初の指導者たちが追われて出ていったにも関わらず、キリストを信じる群れは残っていたのです。神が残されたのです。本来ならば、生まれたばかりの集団は、その指導者を失えば力を失い離散してしまうものです。しかし、神がそれぞれの群れを養い育ててくださったのです。パウロたちが敢えて危険を冒して、かつて自分たちが宣教した町々をふたたび巡ったのは、その神の御業を確認し、喜ぶためでもありました。どれほどパウロたちが力ある宣教を行ったとしても人間の影響力や力には限界があります。その限界を越えたところに神は働かれます。その神の御業をパウロたちはその目で見るために、そしてまた生まれたばかりの教会を力づけるためにあえて危険を冒して、訪問をしました。
そしてパウロたちはそれぞれの町でクリスチャンを励まして言いました。22節の「弟子たちを力づけ」というのは「弟子たちの魂を強めて」「弟子たちの心を強め」という意味です。ただ、みんな元気か?たいへんだけどがんばってという力づけではなく、霊的に深いところへたしかな力を与えたのです。パウロたちと同様、弟子たちにも迫害との戦いがありました。その戦いを戦い抜く力を与えたのです。
翻って考えますと、今日の日本では、目に見える形での社会的な迫害はありません。しかし、この国ではクリスチャンはマイノリティであり、信仰を持ち続けていくにはそれなりの困難はあります。大なり小なり周囲の無理解の中で生活していかなくてはなりません。そこにはやはり戦いがあります。しかしまた、結局のところ、それはおそらくキリスト教国と言われる国においてもやはり同様ではないかと思います。まことに信仰を持ち続けていくとき、そこにはかならず戦いがあるのです。たえず福音ならざるものは信仰者を脅かし、さいなむからです。
<神の国へ入る>
さて、パウロたちはその信仰の戦いの中にある弟子たちを励まして言いました。「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。」この言葉は、<苦しみを経てがんばったら神の国へ入る>あるいは<神の国に入るためには苦しみに打ち勝たねばならない>と勘違いして読みがちなところです。しかし、原文の構造からしますと、そうではありません。むしろ<私たちは、必ず神の国へ入るのだ。その道の途上には苦しみがある>というニュアンスになります。苦しみを経ることが神の国へ入る条件として上げられているわけではないのです。苦しみに打ち勝ったら神の国へ入れると言っているのではなく、すでに神の国への道は備えられている、かならず神の国に入れるのだ。しかしその途上には苦しみがある、戦いがある。でも、失望することなく必ず入れる神の国へむかって歩もうと言っているのです。
当然ながら、キリストを信じた者、十字架と復活を心から信じる者、信じて御言葉と共に歩み、御言葉を行う者は、神の国に皆、入るのです。だから安心して十字架と復活を信じて歩んでいこう、そうパウロは力づけているのです。
そしてパウロは「信仰に踏みとどまるように励ました」とあります。信仰にとどまるという言葉も誤解されやすい言葉です。弱い自分の心を強くして、踏ん張って信仰を選び取る、守り抜くというイメージを持ってしまいます。特に迫害という背景があるとき、たとえば、殺されるのを覚悟で踏み絵を踏まないとか、拷問を受けても信仰を捨てないといった、イメージがあります。そのような激しい状況ではなくても、信仰に踏みとどまるというとき、問題とされるのは人間の側の行為や思いのように感じてしまいます。しかし、ここではそのような信仰者の行為や心がけを奨励しているわけではありません。
問題なのは、とどまるべき基盤は何かということなのです。私たちがとどまるべき基盤は、自分が救われた、という現実なのです。そして先ほど申し上げたように、神の国へ必ず入れるというところなのです。つまり、キリストの十字架と復活によって神が成し遂げてくださったところに立つ、ということなのです。
私たちは弱い者です。踏み絵の前でどうしていいのか、現実的な迫害の中でどうしていいのか分かりません。特にそのような迫害がなくても、日々のさまざまな状況の中で、信仰が揺れ動くことがあります。そのとき、私たちは自分の力で揺れ動く心を押さえることはなかなかできません。しかし、ただ一点、自分がキリストによって救われた、ということに心を向ける時、力を与えられます。罪赦され、神の子とされている、そこに目を向ける時、私たちは信仰に踏みとどまることができるのです。
自分自身の信仰の話-証といいますが―その証に同じ話を繰り返す方がおられます。以前、ソリデオグロリアのコンサートをしていたとき、出演するたびに、同じ証しをされアーティストがおられました。その方以外にも、証しと言えば同じ話ばかりする人がいました。聞く方はまた同じこと言っているよと思うのですが、ある意味、それは語る人にとってごく自然なことなのです。自分自身が踏みとどまらせていただいている信仰の基盤となるところを語らずにはいられないからです。私自身、さまざまに奇跡のような神の御業の体験というのはしてきましたが、本当に自分が救われた、自分が神に愛されていることを知ったキリストとの出会いは、ある一回の決定的な出来事でした。さまざまな状況の中で、私自身の気持ちが揺れる時、立ち帰っていくのは必ずそのキリストとの出会いの出来事です。自分の信仰の強さで信仰にとどまるのではなく、キリストご自身の御業ゆえにとどまれたのです。キリストご自身がその救いの御業のゆえに私たちを踏みとどまらせてくださるのです。
そしてまた、御言葉を聞くということも信仰にとどまることです。キリストの御業を聞き続けるのです。そしてまた今日は聖餐式を行います。この聖餐式もまた神の御業を繰り返し体験することです。キリストの十字架と復活という救いの御業をパンとぶどうジュースというものを通して繰り返し体験します。聖餐式を通しても、私たちは神の御業を見て、信仰に踏みとどまらせていただくのです。
<主に任せる>
さて、パウロたちは各教会で「長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」とあります。教会の組織を整えたのです。ここでいう長老とは今日の長老ではなく、まだ司祭や牧師、長老、執事といった役職が分離する前の教会の指導者といえます。しかし神によって召された者であることは変わりません。「断食して祈り」というのは、その任命が神によるものであることを切実に祈り問い確信するためです。単に人間的な能力や適性ではなく、神の御心であることを彼らは問うたのです。パウロたち自身がシリア州のアンティオキアの教会から送り出される時も、教会の人々は断食して祈って、パウロたちを送り出しました。そして祈ったのち、神に任せたのです。人間ができることは熱心に祈って、御心を求めることだけなのです。その後のことは神にお委ねするしかないのです。
お委ねするしかないということは、消極的な響きを持っているかもしれません。しかしそうではありません。ある先生は繰り返し「すべての責任は神がとってくださる」とおっしゃっていました。立派な上司は部下に思い切り仕事をさせてその部下が失敗しても、その失敗の責任は上司自らがとってくれます。この世では、失敗の責任を部下になすりつける上司もいますが、神はどのようなときでも責任を取ってくださるというのです。私たちはもちろん努力をします。でも完ぺきではありません。やりたくてもできないこともあれば、失敗もします。どんなに優秀な人であっても、その道の途上に多くのできなかったこと、失敗したことを残していきます。でも、その一つ一つを神様が後ろから拾ってきてくださるのです。だから安心して神にゆだねて前に向かって歩めるのです。失敗をおそれず、後ろを振り向くことなく、自分の力の及ばないところはゆだねつつ、神に信頼して前向きに歩んでいくことができるのです。
<信仰の門を開く>
さて、パウロたちは、祈られて旅立ったシリア州のアンティオキアに戻ってきました。彼らは、長い旅の疲れを癒すのではなく、「すぐ教会の人々を集めて」この旅のことを報告しました。それは教会の支援を受けて旅に出たのだからすぐに報告しないといけないという義務からというより、語ることがあふれていたから「すぐに」集会を開いたのでしょう。神の恵みを分かち合いたかったのです。聖霊によって示され送り出された彼らは、聖霊の導きによって、豊かな実りをいただいたのです。彼らは「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」のです。福音書にも主イエスから派遣されて宣教に出かけた弟子たちが戻って来て喜びの報告をする場面があります。つまり主イエスが宣教をされていた時代から、教会は、信仰の門が開かれたことを報告する場であったのです。信仰の種をまき、その実りを喜ぶ共同体が教会、ギリシャ語でエクレシアでした。エクレシアとはもともと呼び出された者の集会という意味がありました。キリストによって呼び出された者の集まりがエクレシアです。キリストによって呼び出され、派遣され、その実りの喜びを分かち合う、それが教会です。
今日は逝去者記念礼拝として礼拝を持っています。例年のようなご遺族を招いての礼拝ではありませんが、気持ちの上では例年と同じように、先人を導いてくださった神の御業に感謝をいたします。大阪東教会に信仰の門が開かれたのは138年前でした。キリストに呼び出された人々が集められエクレシアたる教会が立ち上がったのです。まさに異邦人である日本人にキリストを信じる信仰の門が神によって開かれました。そのために奉仕された宣教師たちの喜ばしい報告は海を越えて伝えられました。そしてまた大阪東教会においても多くの宣教の種が蒔かれました。大阪東教会もまた多くの信仰の門が神によって開かれたことを喜ぶエクレシアでした。
先人たち一人一人もキリストに呼び出され、お一人お一人が信仰にとどまられました。お一人一人に信仰の戦いがありました。神の国への道のりの途上、苦しみがありました。お一人お一人の人生に生活の労苦があり、病があり、高齢による困難があったことでしょう。しかしなおキリストがお一人お一人を呼び出され続けました。そしてお一人お一人がそれに応えられました。病の床の上で身動きならなくなっても、なお信仰にとどまり続けられました。私たちの命の貴さは、その一生で何を為したかではなく、どこにとどまったかによります。神が開かれた信仰の門の内側にとどまり続ける時、その命は輝かされるのです。先人たちも輝かされました。そしていまは神の国でやすらっておられます。続く私たちも、神によって輝かされるのです。神の御国に入るその時まで私たちの命は輝かせていただくのです。
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