ひげめがね日記

基本的に自虐的な日記です。自虐ネタが好きな方はお喜びいただけると思います。

私がお好み焼きを焼かない理由

2011-09-06 21:53:08 | 日記
 先日、大阪は曾根崎(露天神社<つゆのてんじんじゃ>通称お初天神)に行って、その近くで元同僚とお好み焼きを食したことをブログで書いた。
 私にはお好み焼きを自ら率先して焼いて食すという習慣がなかった。初詣の参道で買って食べることはあっても、鉄板の上で自分で焼いてお好み焼きを食べるということは20年来したことがない。実際、今回も店の人に焼いてもらった(笑)。しかし、そこには、涙涙の物語があった…(というほどのことではないけれど)。

 あれは確か1994年の夏のことだったと記憶する。その年は前年の冷夏(そのためこの年はコメ不足騒動が起こった)の反動か、前例のない猛暑となり(その年から今のような猛暑が始まったとひげは認識)、都心ではあわや40度になろうかという最高気温を連発していた。
 そんな中、私の友人(日本文学専修)が、「日文合宿に来い」とのたまう。私は別の専修であったが、基本的に誘われたら断れない、「ドラえもんのいないのび太」のような性格なもので(笑)、やむなく参加した。その時、近世文学のグループに入り、近松について発表した覚えがある。なんか話がつながってくるなぁ。
 で、最終日に観光し、お昼にお好み焼き屋に行った。ひげめがねはお好み焼き屋に行くのがその時初めてであった。
 とりあえず見よう見まねで焼いて悦に入っていたところ、その時初めてお会いする先輩が次のようなことをのたまった。
「こんなのはお好み焼きではない。お好み焼きには美学がある。その美学を無視するのは人間として最低だ」(要約。これでも表現を柔らかくしております)。
 その後もずっとそのことについてのたまっており、さすがの温厚なひげめがねもブチ切れそうになった覚えがある。
 その時、「その先輩とは一生話さない。お好み焼きは一生焼かない」と決めた(笑)。

 しかし、この話には後日談がある。
 6世中村歌右衛門の最後の公演となった歌舞伎座(淀君を演じていた)の幕見で、その先輩と遭遇!終演後、銀座ライオンで閉店まで数時間ずーーっと歌右衛門談義をした。その先輩は5歳から歌舞伎を見ていて、歌右衛門をもっともひいきとしていたため、ずっとライオンの中で踊ったり演じたりしていた。今になれば、よくあの店から追い出されなかったものよのぉ。